日本アナーキズム思想史

現在、日本国内でアナーキストはとんと見かけない。外山恒一が有名だが、彼はファシストに転向している。けれどもかつては大杉栄や幸徳秋水など、魅力的な思想家が存在した。

今回はダブリンのアナーキスト団体のサイトから、明治維新以降のアナーキスト史を確認してみよう。なお1999年の記事なので年代の記述にずれがある。

日本アナーキスト思想史

引用元:Brief history of anarchism in Japan

今日の日本は、ハイテク企業、くたくたに疲れた小学校児童、企業への忠誠をもとめる過酷な労働倫理を私たちに想起させる。日本は130年前、まったく異なる国だった。封建制のエリートが支配する農業主体の国だったのである。1868年、支配者たちは工業化され、高度に中央集権化した社会を築き上げようとした。そのため、日本の資本主義の歴史はヨーロッパの国々とは異なる。

ヨーロッパでは商人たちが(革命的に、あるいは徐々に)貴族に置き換わった。それに対して日本では貴族が新しい商人となった。封建制の文化は撤廃されることも拒絶されることもなく新しい社会の背景に残り続けた。20世紀になりつつあり、工業化をさらに発展させようとしていながらも日本が非常に保守的だったのはそのためである。このような困難な状況の中、日本のアナキズムが初めて定着していった。

思想運動は、世界大戦に大きな影響を受けている。あきらかな3つの段階がある。1906-1911、1911-1936、1944-現在。

アイデアはどこからかやってこなければならない。日本のアナーキズムは当初、幸徳秋水によって広められた。彼は1871年、田舎の町に生まれ(*高知県四万十市)、10代の頃東京に渡った。彼の政治思想は、彼が編集・執筆を担った新聞(*「萬朝報」)によって徐々に発展した。当初その新聞はアナーキズムではなかったが、そのリベラル思想は当局の警戒を呼ぶのに十分だった。1904年、新聞法を破った罪で幸徳は監獄へ入れられた。多くの人にとってそうであるが、牢獄は彼の学校となった。

幸徳秋水

彼はクロポトキンの「田園・工場・仕事場」を読んだ。監獄の中で彼は日本社会における天皇の役割を考え始めた。当時多くの社会学者は、天皇を批判することを避けた。しかし幸徳はいかに天皇が国家権力と資本主義の中枢に位置しているかを認識した。

出獄した後、彼は渡米した。そこで彼は新しく結成された労組の影響を受けた。サンディカリストの労組で、アナーキズムの影響を色濃く受けた世界産業労働組合である。アメリカにおいて幸徳は、クロポトキンの「パンの略奪」といったアナーキスト文学を入手することができた。

1906年、幸徳は日本に帰国。米国滞在時に彼が育んだ理念について、大規模な公開討議を行った。数多くの紙面がそれに追随した。彼はこう書いている。「かの普通選挙や議会政策では真個の社会的革命をなしとげることはとうてい出来ぬ。社会主義の目的を達するには、一に団結せる労働者の直接行動(ジレクト・アクション)によるのほかはない」

この発言は当局が反体制を一挙に押さえ込む待ち望んだ好機だった。数百人が拘束され、最終的に26人が裁判にかけられた。彼らは天皇の殺害計画という罪で逮捕されたが、現実には彼らのアナーキズム思想のためだった。2人は懲役刑で、12人は終身刑、12人は幸徳を含めて死刑となった。彼の死後、多くの活動家が亡命したが、彼らは何度も投獄されなければならなかった。

このような困難な状況の中でも、思想運動が死ぬことはなかった。第一次世界大戦の終結はインフレを巻き起こし、多くの町や都市で米騒動が起きた。新しく生まれた産業労働者たちが組織化し、労働争議の回数が増していった。ロシア革命は国内のいたるところで激しい議論を生んだ。どうすれば良い社会を生み出せるだろうか。社会はどのようにあるべきなのだろうか。この活発した国民の意見は、大杉栄と伊藤野枝の2人のアナーキストの悲劇的な惨殺によって陰りをきたした。

大杉栄、伊藤野枝。殺害された1923年の写真。

1923年、大地震が日本を襲い、9万人以上が死亡した。国家はこの混乱と騒乱をたくみに利用した。6歳の甥を含む大杉・伊藤の二名が、憲兵に連行され撲殺された(甘粕事件)。この残虐な殺人はアナーキストの復讐を必然的に生んだが、国家の弾圧により運動は再び衰退する。

だが、すべてが失われたわけではない。アナーキストの組織はかつてないほどに成長した。1926年には全国に2つのアナーキスト連合が形成された。翌年、共産主義的アナーキストとアナクロサンディカリストの間で激しい討論が行われた。主題は革命に向けての最良の方法は何なのかということだった。理論的な議論の一方で、賃金や労働条件に関する行動についてもアナーキストたちは積極的だった。

しかしふたたび戦争の影が忍び寄る。日本は満州都の対立に向けて動き始め、思想弾圧を再開した。アナーキスト運動は生き残りをかけた多くの戦略をとるも、国家の勝利が決まった。第二次世界大戦勃発以降、すべてのアナーキスト組織は強制的に解散させられた。アナーキストは自らの政治思想を市民から隠し通さなければならなかった。

終戦後、日本はアメリカの実効的な支配を受けた。人工的に「右派」「左派」の政党が作られたが、これはすべての左翼運動を政治から排除するためだった。巨額の投資と急速に発展する経済は、労組の自律性を抑制した。アナーキストはふたたび結成され、組織化されたが、これらの状況では拡大が困難な状況にあることを次には知った。

今日のアナーキストの運動はかつてよりもはるかに小さなものである。アイルランドからでは、日本のアナーキストの英語情報はほとんど見つけられない。日本のアナーキストたちが私たちと同じ問題を抱えていることは疑いようがない。――人々にいかにそれをする必要がなく、別の方法が可能であり、その方法を創造することが可能であると教えるか。

現在の日本の経済的混乱は、人々に既存のシステムを拒絶し、批判するように導くだろう。それによって、日本のアナーキストは自由と平等に基づく社会のビジョンを提供し、運動を再建し、もう一度アナーキスト思想が強力な影響力をもつようになると思われる。

(引用ここまで)

終わりに

思想弾圧ヤバすぎ。無政府主義というだけでぽんぽん殺されたら敵わん。

幸徳秋水の思想についてはもう少し調べたい。特に彼の天皇批判に興味がある。直接行動論についてはここが詳しい

戦後GHQの作った社会党、共産党がかえって左派思想を排除するものだったという考え方はおもしろい。GHQや昭和天皇がアナーキズムや極左を深く警戒していたことが伺える。GHQが天皇制を固守したのも、その点で利害が一致したからだろう。

戦後のアナーキズムってどうなっているのかも気になる。日本では驚くほどアナーキズムが弱い。私も先達の知恵にあやかりたいのだが、見つからない。もう少し調べてみようと思う。

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