若者が消費しない理由

タダみたいな値段で古民家を買って改修したり、二束三文で買った土地に小屋を建てたり、畑で野菜を作り、自給自足するような若者が増えています。

私は以前、原付で放浪し、海岸で数ヶ月野宿し、その後ボロい家屋に住む音楽家にあったことがありますが(近かったので笑)、あんがい普通の好青年であり、むしろ私なんかよりずっとしっかりしているな、と驚いた覚えがあります。

そこまでいかなくても、いま「ミニマリスト」なんて人が増え続けており、若者の消費は低迷の一途を辿っています。

その理由としてあげられているのは、「もう十分に豊かだから」などという、あいかわらず現状肯定のconformismで片付けられるのですが、実際ぼろ小屋に住んだりミニマリストでいることは全然豊かでも快適でもなく、日本よりはるかに豊かなアメリカやヨーロッパでも消費は伸び続けており、問題は別のところに存在するのではないかというのが今日の話です。

消費は金持ちを富ます

まず単純なテーゼを申し上げますと、消費するということは、お金と商品の交換です。そして商品には必ず「儲け」がふくまれていますから、半額のさらに半額弁当などを除けば商品には価格以上の価値はぜったいないわけです。

日本の場合は、大企業が市場競争なんてかったるくてやってらんない、と「なかよしクラブ」になってしまったので、商品価格が外国よりも1.5倍も2倍も釣り上げられています。もはや商品を買うのか企業に「納税」するのかわからなくなっています。

「消費」という行動は、自分が損をして、だれか他者を儲けさせるという行為です。それを自覚させないように企業も心理戦をうちだしています。これこれを買うのは「当然だ」「流行だ」「お得だ」と宣伝広告で刷り込みます。布切れにビニールを貼っただけの「高級バッグ」がウン十万円で売れるのです。昔の人が言ったように、「商業は詐術」といえます。

さて金は天下の回り物といいますが、「消費」したことで自分の賃金があがるようになればいいのですが、現実にはお金持ちがよりお金持ちになる一方で、底辺の労働者に回ってくる分はわずかにすぎません。これは「マルクスの基本定理」で明らかになっています。

お金は命を削って生まれたもの

「金は命より重い」なんて某漫画の言葉が流行りましたが、労働して賃金を得るということは、まさに命を削っているのです。

日本ほど労働が神聖化されている国は類を見ず、「プロ倫」を鼻で笑える状況なのですが、若者の間ではネットのおかげか洗脳が解けたのか、「労働は苦役」「生活のためにしょうがなくするもの」という当たり前の常識が蘇っている気がします。

黒人奴隷でさえ稀だった「過労死」なんていう、まあ実情は「過労殺し」なのですが、こんなことを野放しにしている日本という国家には1mmも期待がもてねーな、というのが今の若者のcommon senseです。

しかしながら、戦時下並に相互監視の厳しいこの日本では、ニートに対する圧力はすさまじく、「穀潰し」「寄生虫」「うんこ製造機」など信じられない暴言が飛び交う低レベルな状況で、若者もしぶしぶ働かざるをえず、嫌な人と顔を合わせ嫌な仕事をして、やっと得た過剰にピンはねされた賃金までも奪われたら敵わんな、と思っているのです。

サイレントテロ

そんなわけで現状の若者の消費離れは、ほとんど無自覚的でしょうが、サイレントテロめいています。

若者は、おもてにあらわれない憎悪Resentmentをだいぶ抱えており、ちゅーちゅー吸いとる吸血鬼を太らせるよりは、「メルカリ」や「ジモティー」といった、消費税も企業の搾取もない優しい世界の物々交換に熱中し、タダで冷蔵庫をもらったり、5万円で車を買ったりする状況は原始共産制の再現であるともいえます(自動車は維持費が高いので初期費用を抑えるのは大切なことです)。

ミニマリストなんて言っている人もタイの下町に行けば、屋台に通うでしょう。というのも屋台のおばちゃんを儲けさせれば、彼女の何人もいる子どものおまんまとなり、教育費となって、みんなハッピーなのです。本来お金とはそういうふうに使うべきなのです。

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