武士道という偽りの伝統

日本ではいまだにトム・クルーズの教える「武士道」が信じられている。

武士道の成立は100年前

武士は古くから存在するが、武士道という言葉が生まれたのは二〇世紀の初めである。新渡戸稲造が生みだした。彼は英語で「Bushido: The Soul of Japan」というトンデモ本を書いたら、なんでか人気が出た。

新渡戸が「Bushido」を書いた目的は、日本は優れた国だと外国に訴えたかったからだった。日本にはキリスト教がない。でも、武士道というものがあります。日本は文明国で、道徳的に気高い国です、と彼は外国にアピールしたかった。当時、列強はすべてキリスト教圏だったから、たしかに必要な目的であり、有効な手段だった。

「Bushido」には素朴な西洋人だけではなく、日本政府もぱくりと食らいついた。またたくまに政治利用され、「日本の古からの伝統」となった。この時期は、武道や相撲といったさまざまな伝統が「発明」されており、武士道はその典型のひとつになった。

武士道は大まかに言えば、ふたつのテーゼをもっている。「主君への無条件の忠誠」と「戦場で死ぬことの美徳」だ。

ただ、このふたつは過去の武士にはほとんど見られなかった。10世紀に武士が生まれて17世紀までの間、実際の武士は、時代劇に出てくるカタブツではなく現代のスポーツ選手のようだった。つまり、報酬が十分ならそこで戦うけれども、より多くの報酬を払うオーナーがいればそちらに移籍してしまう(寝返る、ともいう)。利用価値がなくなれば武士はためらいなく主君の元を去った。たしかに、武士が主君に忠誠を示すことはあったが、それは武士特有のものではなく、単なる儒教精神だった。

また、武士がバカ正直に正面から戦うなんてことはほとんどなく、謀略や詐術は当たり前で、有利に戦争を展開していったことは史実の示すとおりである。むろん、逃げ回るより勇敢に戦うことが高貴とされていたが、そんなことはどこの文化でも共通する価値観である。特別な事情があれば腹を切って名誉自殺もしただろうが、たいていの武士は長生きすることを選んだ。

「武士はかくあるべき!」みたいな議論がはじめて生まれ、活発化したのは17~18世紀のことだった。なにせ日本から戦争がなくなったのである。特権階級だった武士は困ってしまった。「なんでこいつら戦わないのに偉そうにしてるの?」というムードが蔓延した。

そこで武士がなんで存在するのか、なぜ武士が偉いのか、はじめて理論化する必要が生じた。山本常朝、大道寺友山、山鹿素行が「理想の武士像」を描きだしたのはそういう背景による。彼らの目的は、武士の階級を守ることだった。エリートはかくあるべきだ、民衆とは違うのだ、ということを説こうとした。

絵に描いた餅――地方を旅していると、「犯罪のない町、○○町」なんて看板があるが、だれもがそんなことは嘘で、犯罪があることを知っている。それと同じように、「理想的な武士」なんてほとんど存在しなかっただろう。事実「葉隠」にあるような武士が存在した証拠はひとつもない。

利用された武士道

大戦中の日本政府の関心は、市民を好戦的で、死を恐れない兵にすることだった。その点で「武士道とは死ぬことと見つけたり」の葉隠の言葉は、さいこーにすてきだった。この言葉は将校たちにたいそう好まれたし、「武士道精神」によって神風特攻が成立したといってもいい。

また、国体思想や天皇への忠誠としても、この思想は都合がよかった。天皇への絶対忠誠を強化するうえでも効果的だった。現実にはこの忠誠心は、儒教と変わるところがないのだが、武士道なら「日本オリジナル」になるので都合がよかった。

「武士道」が単なる政治利用に過ぎなかったことは、戦後の戦争責任者たちがわずかしか自殺しなかったことからも伺える。かえって武士道と無縁のナチスの方が自殺者数は多かったのではないかと思われる。

そんなわけで、伝統的な武士とは何も関連性のない帝国軍において、「武士道」はすべての階級に共通する日本人の本質として教え込まれたのである。

まとめ

武士道は「偽りの伝統」。実証的な根拠はひとつもない(あったら教えてください)。

それにしても、「気持ちのいい嘘」は日本人の心をとらえてやまないようだ。歴史家や思想家のハートもがっちりキャッチ、「日本精神」として生き続けている。個人的に、武士道を信じるかどうかでその人の知性が判断できるので、便利といえば便利なのだが。

参考:The Historical Foundations of Bushido

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