脱近代宣言

私たちは近代社会の中を生きています。いま生きている日本人は老若男女すべてが近代的諸制度の中に生まれ、それと共に生きています。

賃金労働、医療、司法、民主主義、学校教育、消費主義、メディア……そういった近代の国家的諸制度は不可侵の権威となっています。だれもが病院や学校を信じており、働くことを善いことだと考え、良い商品をたくさん消費することに余念がありません。

学校はこう教えます。現代のみがゆいいつ自由で公平な社会であり、それまでの時代は暗澹とした失敗だったのだと。過去は暗く現代だけが輝いている。奴隷制や封建社会は恐ろしい社会だったが、私たちはそれを乗りこえて今のずっと良い社会を築き上げたと信じられています。

近代は終わる

しかし私たちの社会はほんとうに優れた社会でしょうか?

たとえば私たちは本当に「自由」でしょうか。奴隷は鎖で縛られムチ打たれて働きましたが現代の労働者にはムチも鎖も要りません。奴隷は厳しく監視されましたが労働者にはわずかの監視で十分です。奴隷は逃げたらそれまでですが、労働者はすぐに次の替えがやってきます。労働者は自ずから雇用主を求め、自ずから懸命に働きそれを「自分の意志」だと信じています。

実は私たちは自由と信じ込まされている奴隷なのではないでしょうか。逃げだす恐れのない犬の首輪を外したところで、その犬が主人から自由になったとは言えません。現代の私たちは奴隷制度や封建社会の支配構造から自由になったのではなくより「巧妙な」奴隷制度に支配されているのかもしれません。つまり、恐怖政治は支配の究極形態ではなく、その失敗だった――。

近代社会は早くは16世紀頃にイギリスで誕生しました。日本では19世紀の終わりです。今現在まで近代的システムは発展し、繁栄しています。でも、だからといってどうして今の社会が優れていると言えるのでしょうか。なぜ今の社会が「野蛮」で「未開」ではないと言えるのでしょうか。

人々は殺されなくなったけれど自殺するようになりました。便利で快適になった一方で生きる意味や目的を喪失しています。一部の限られた人だけが莫大な富を得、ほとんどの人は明日の生活のために働かなければいけません。人々は意識的・無意識的に罠にかかったような感覚に悩まされています。

永久に維持される社会制度はありません。あらゆる古代文明は滅びました。このことは歴史から学ぶべき真理です。社会は相対的なもので、過去から未来へと移り変わるものです。

社会に変化を

私たちの社会に必要なのは変化であり、現状維持ではありません。私たちの肉体はじっとしていても眠っているときでも絶えず動き変化し続けています。社会にも同じように新陳代謝が必要です。流れない川に汚塵は溜まり、流れ続けるとき清流となります。

21世紀は近代が終わる時代になると私は信じています。人類は近く、新しい朝を迎えるでしょう。革命は常に虐げられる者によってなされます。私もまた、その人類の進歩の一助になりたいと思っています。

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *