奴隷、農奴、賃金奴隷

Mark Starr “A Worker Looks At History” 1917 5章より


よくあることだが、多くの現代の労働者が陥っているような仕事量について不平を言うと、こう言われることが決まっている。労働はつねに生活の助けに必要だったのだ、今後もそうだろう。「初めからそうだったし、今もそうで、これからもそうだろう」この言葉が言い終わるや否や、あなたの監視の目はどこかへいって、労働が必要なことを美徳とし、かつてないほど増え続ける骨折り仕事を誇りに思うようになる。たしかに労働は必要だったことは事実だ。文明が始まってから、つねに労働者階級があった。この事実はしかし、現在の状況に屈服することを正当化するものではない。本稿では、かつての様々な労働者階級の簡単な検討と、現代労働者階級の比較を試みる。

奴隷

この起源は戦争にあった。戦争捕虜を食べたり、殺すよりも、奴隷にしておくことが有益であることが判明したとき、経済発展がおきた。そのとき共食いが罪とされた。動物が家畜化と農業の発展が始まる以前、奴隷は役立たずの重荷だった。初期の聖書の家長制には奴隷が登場する。そしてその後の聖書には他にも多くの言及があり、ユダヤ人の国には奴隷制の存在と発展があったことが示されている。すべての古代の帝国は、奴隷経済によって築き上げられている。ギリシャ、ローマはよく知られた例だ。いずれにおいても帝国が衰退したことによって奴隷経済が発展した。偉大な始祖である自由人は戦争で殺されたか、土地を奪われ暴徒化した。かつては奴隷を所有していた自由人が巨大な所有者の物となり、奴隷労働をすることになった。ギリシャの哲学者は、奴隷制を神が授けたものとして受け容れ、それにより彼らは労働から解放され、思想に時間を費やすことができた。アリストテレスは奴隷制を自然法則の一部とした――現代の資本主義を擁護する知識層もまた、現在の制度が自然かつ永遠であることを労働者に説得しようとしている。ギリシャの歴史のあるときには、一人の自由人につき十人もの奴隷がいた。

ローマもまた同じ歴史を繰り返した。キリスト者の血縁的な結束や自由権を持つ人は殺された。いくらかの個人が1万人もの奴隷を所有していた。アレクサンダーとシーザーは征服軍と世界中を行進する間、世界の仕事は奴隷によって行われていた。支配によって得られた金銭的富と奴隷の富は、崩壊のプロセスを早めるだけだった。ヨーロッパにおいて14世紀から奴隷制は見られなくなったとLeckyは言う。奴隷制は農奴制に移り変わったのである。アメリカでは1861年5月のアメリカ戦争の後に消えた。イギリスでは奴隷は1770年に植民地に向けて宣伝され売られたが、1807年にイギリス領において奴隷の取引は禁止された。

いくらかの違いが奴隷と賃金労働者の間にある。

  1. 奴隷は、彼が役に立つ間は、人が馬を生かさなければいけないのと同じく、生存を保証されていた。だから奴隷の労働競争や失業はなかった。
  2. 奴隷は法的権利を持たなかった。彼は法廷に立つことはなかった。彼の結婚は認められず、私有財産が認められなかった。主人は彼を磔にしてもいいし、切り刻んで金魚の餌にしてもよいし、彼を秘書や内緒の友人に昇格させることができた。のちのローマ法は主人の絶対権力を抑制した。
  3. 奴隷は彼の労働力を売ることがなかった。彼は彼自身を売った、そして自明だがすべての奴隷労働は無賃であり、もちろん彼の主人は彼を維持しなければならなかった。
  4. 主人が所有権を放棄すれば奴隷を自由にすることができる。たくさんの奴隷が忠実な奉仕の報酬として自由人になっていた。私有財産を許された場合、いくらかの奴隷は自由権を金で買った。国家や個人の感謝によって、また彼らの死に際に、奴隷所有者は「彼らの魂のために」と奴隷に自由を与えた。キケロがうまく立ち回る奴隷は6年間で自由になることができると想定したので、「逃亡」の実践は盛んになった。この状態はしかし一般的ではなく、誘拐や戦争によって奴隷が豊富に供給されたとき、彼らは悲惨な目にあった。奴隷制には「輝かしい過去」の保証はなかった。

農奴

古い共同体におきかわった封建制下に農奴は存在した。ローマの自由な奴隷やこじきとなった自由人は、奴隷制を持たない野蛮な侵略者の土地に住むことになった。地質学においては、岩盤の特定の岩層が欠如しているところに、適切な循環は決しておきない。歴史も同様である。ある国が他の国の経た開発段階をスキップしてもよいが、その段階は適切な場所から生じないことになる。歴史学者の間では、ノーマンが1066年にイギリスを征服した以前に封建制が発達したかどうかを巡って論争がある。いずれにせよ、ノーマンの征服が封建制を広め、17世紀に崩壊するまで残った。領主の保護を得るために、農奴はいくらかの時間を領主の土地で働かなければならなかった。農奴の地位には注目すべき点がある。

  1. 農奴は奴隷と違って売られることがなかった。彼は所有者ではなく土地に固定され、娘を嫁にやっても、息子を奉公人としても、領主の許しがなければ彼は生地を離れることができなかった。奴隷と同じく、彼は競争や解雇の恐れはなく、また生計の心配もなかった。
  2. 農奴の政治的地位は低く、奴隷のように、彼の領主の言葉が法律だった。(賃金労働者だけが法的観点から平等を享受している……通例すぐ消えてしまう大言壮語の平等だが)
  3. 農奴は労働力を売ったり、賃金をもらうことがなかった。彼は一定の制限を受けていたが、土地という生産手段を有していた。彼が領主の土地で行わなければならない労働は、無賃労働として明確ではっきりとしていた。
  4. 奴隷のように、農奴は自由を得るチャンスがあった。彼は町を逃げて、徐々に大きくなっていたギルドに入って賃金労働者になるか、彼の奉仕を金銭で支払うことにしたり、小作農となることができた。

高利貸し、商業や産業などの様々な資本の発展と、その発展が封建制を侵食し、資本家階級と賃金労働者をいかに生み出したかは、簡単に説明することはできない。街のギルドの職人や、小家屋に機織り機を持ち、小さな農園を耕す田舎の生産者が農奴と賃金労働者のギャップを橋渡しする存在だろう。

賃金労働者

現代の賃金労働者の興味深い点は以下の通りだ。

  1. 奴隷や農奴と違い、彼は「自由な」労働者で特定の主人や土地に縛られない。彼は「自由」に働いたり働かなかったりができる。農地からも「自由」だし、生産手段や保証された生活からも「自由」である。そしてよりよい職があれば雇用からも「自由」である。一時間、一日、あるいは一週間前に解雇通知あるいは退職通知をすることで、彼と雇用主は離れることができる。
  2. 現代の賃金労働者は社会的地位がより高くなっている。同じ法律が富裕層と貧困層に適用される――まあ富裕層は優秀な法律家を雇うし、裁判官は無意識な偏見にまどわされて判決を下すだろうが。奴隷と農奴は労働者が持つような政治的特権を持っていなかった。しかし参政権はしょせん、彼のパンとバターを得る経済的権利を要求するためにしか使われないのだが。
  3. 賃金労働者は、一時間毎、一日毎、一週間毎に彼の労働力を売る。[作業量は平均的な労働者がかかる時間に基づいている] 彼は生産手段を持たず、完成した製品を持つこともない。彼は農業に従事して賃金を得るし、奴隷の場合すべての労働が無賃だったが、彼はあらゆる労働に対して賃金をもらっている。これは「余剰価値」の理論で説明しなければならない、一種の錯覚である。
  4. 労働者は個人として自由であるように見えるが、彼は縛られている。資本家階級に対するところの労働者階級に。彼が単独でどんな雇用主を見つけられるとしても、また彼が単独で労働力を売ることができるとしても。よって、彼の個人的自由はもし雇用主を見つけられないときに飢える自由にも変貌する。ひとつの関係を破壊することが奴隷や農奴を解放したが、賃金労働者を解放するためにはすべての所有関係を変え、個人所有された生産手段を公共物にする必要がある。職人は彼自身の主人になるチャンスだし、それぞれの奴隷は立ち上がり、奴隷制から逃げるかもしれない。しかし現代の鉱夫は現代の鉱山を持つ危険はない。賃金労働者は、彼の階級の結束した努力に参加し、彼の地位を向上させるしかない。

古代ギリシャ、古代ローマの時代から、生産手段や製品は偉大な進歩を遂げた。ネロの時代に四日半かかった量以上の小麦が、アメリカでは10分間で育てられる。余暇的な楽しみはもはや教養ある少数の権利ではなく、全員の楽しみであるべきだ。支配的権力によって無慈悲に粉砕された奴隷反乱や農奴の一揆が歴史として伝えられている。現代の労働者階級である賃金労働者は失敗の運命にあるわけではない。必要な労働が全員の手によって行われ、過去の発展の恩恵をみなで楽しむことができるような進歩の階段の次の段階に社会を押し上げることが彼らの使命となるだろう。

労働の産業的な力が発展しない限り、労働は人類にとって重荷となるだろう。産業力は今日巨大に発展し、何百万の過重労働者を無慈悲に抑圧している。古典的な奴隷、農奴、賃金労働者は「労働の悲劇」という悲しいドラマの役者なのだ。[W. W. Craik in Railway Review]

資本主義は実質世界を支配している。野蛮国を侵略し文明化し、更新させ、しばらくして低開発国にするような影響を免れる未開国家は存在しない。長い不況のあと、黄色人種脅威論が恐怖された。日本と中国が資本主義の魔法の杖をあてられて、急速に発展した。フランスとイギリスの金はごく最近まで残っていたロシアの農奴と共同体を破壊し、いまや帝国主義的段階にある資本主義に即座に置き換わった。このドラマは世界中でおきており、なお促進し続けている。次の劇の幕をあけるのは賃金労働者である。憂鬱な労働の悲劇はめでたい勝利の前に消えなくてはならない。

 

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