生の権力とは何か

生権力とは、フーコーによって有名になった概念である。一言でいえば、対象に活力を与え、生かすような権力のことだ。以下はこの奇妙な概念について調べたまとめである。

なお本記事はメモ書き程度なのでご留意を……。

生権力の発生史

生権力は比較的「新しい」権力である。いったいいつ生まれたのだろうか? (以下はフーコーの歴史観になるので注意されたし)

政治はだれによってなされるべきだろうか。古くから――アリストテレスの時代からルネサンスの初期まで、それは人間の正しいふるまいによってなされるべきだとされてきた。政治は芸術絵画のように、「神の目的」と結び付けられてきたのである。権力者に求められたのは「勇敢さ」だった。つまり血と剣によって権力を獲得してきた(戦国時代みたいだね)。

しかし16世紀頃、マキャベリズムが台頭する。権力は「技術によって獲得され、保護され、拡大されるべきものになった。その一方で、従来の価値観……つまり臣民の理想の支配者となることや、市民の自由を守ることは顧みられなくなった。

マキャベリズムが広がるのと同時期に、あらたな価値観が高級官僚たちの間で生まれる。実際に国家権力の政策決定を担うような無名の官僚たちは、人口populationを資源とみなすようになったのである。彼らは人間の種としての性質、生物学的な特徴を暴き立て、そして管理しようとした。そこに生政治Biopoliticと生権力Biopowerが生まれた。

このようにして、従来の権力――君主権力から、生権力が中心となる社会へと変化する。

君主権力sovereign power

「命を奪うか、生きたままにする take life or let live」権力。基本的に集団ではなく個人に働く。欠如と制限、抑圧をもたらす受動的でネガティブな力。前近代の中心的な権力だった。

生権力 biopower

「命を育むか、死ぬまで命を否定する権力foster life or disallow it to the point of death」。文字通り肉体にはたらく。人々を生きさせる、あるいは生産性、経済性、有用性を高めるポジティブな力。個人に向けてではなく、統計的に全人口の生と死に働きかける。近代国家、資本主義の成立と発展に必要不可欠。

例:都市計画、健康診断、予防接種、労働環境の改善。ナチズムにおける優生学。出生率、死亡率、人口の再生産や病気への配慮。

補足
  • 君主権力は現代の生権力と置き換わったわけではない。古典的な権力は主流ではなくなったが、生権力とともに機能している。
  • 君主権力は生権力と反発するものではない。相互に関連しあい、全体性を保ちながら発展した。

まとめ 福祉という権力

フーコーの考え方はラディカルだ。対象を「生かす」ことも権力となるのだから。

「生権力」という言葉が矛盾しているように感じるのは、権力とは「対象に対象がしたくないことをさせる」ことを意味するからだ。私たちはだれしも健康を望み、そして死よりも生を志向している。

しかし、私たちは嫌々ながらも「生きること」「活き活きと生活すること」「健康であること」に同意させられているのかもしれない。

君主権力から生権力への移行は、フーコーの重要な研究である監獄の変化にも存在する。監獄は殺す、追放する場所から、社会人として生きるための更生施設となった。

私たちを「生かす」ような権力についても警戒しなければならない。それは結局、私たちの自由や自立性を奪う恐れがあるからだ。


参考:Michel Foucault: Biopolitics and Biopower

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