“無知の知”の無知

ソクラテスは「無知の知」なんて説いてなかった。

「無知の知」をベースに記事を書いていたのに、よく調べてみると「プラトンはそんなこと書いてないよ、実際にはソクラテスはそんなこと言ってないよ」という記述があってすべてがおじゃん。

どういうことだ。

「無知の知」のルーツ

具体的にどんな記述が「無知の知」を生み出したのか。「無知の知」にもっとも近い記述は「弁明」のこの部分である。

私はこの男より賢い。なぜなら二人とも善や崇高についてよく知らないようだが、彼は知らないのに何か知っていると思いこんでいるのに対し、私は知らないのでそのように思い込んでいない。
この些細な点で、私のほうが彼より知恵が優れていると思う。私は自分が知らないことを知っているとするような幻想を抱いていないからだ。
I am wiser than this man, for neither of us appears to know anything great and good; but he fancies he knows something, although he knows nothing; whereas I, as I do not know anything, so I do not fancy I do. In this trifling particular, then, I appear to be wiser than he, because I do not fancy I know what I do not know.

この記述は、ソクラテスが知者として知られている政治家を訪問したあとのことである。

彼は「俺より賢い奴に会いに行く」とカプコンのヒーローのような気分で訪問したのだが、政治家と問答を続けるうちにどうも彼が賢者ではないように思えてきた。そこで「君は自分では賢いと思っているようだが実はそうではないんじゃないか」と言ったところ、政治家は怒るしその周囲のひとびとも怒ってしまった。その後一人になって考えたら、上の記述のように(やっぱり俺はあいつよりも賢いよなあ)と思ったということだ。

それだけの話だ。なんらかの哲学的理論として「無知の知」というテーゼを打ち出したのではない。

無知の知とは、「だれも物事を本当には知らない、しかし私はそのことを知っている。だから私は人よりも少しばかり知っていることになる」といった程度の意味だ。なんとも弱いというか、ささいな発言がソクラテスの「無知の知」のもっとも大きな根拠なのである。

国外でも問題だった

「無知の知」は国内だけの問題ではない。英語圏でも「ソクラテスのパラドックス」として“I know that I know nothing”というフレーズが有名だ。

このフレーズは、「世界で最も有名な引用符の1つ」とも言われているが、一方Quoraでは、ソクラテスが「無知の知」を説いたのは都市伝説扱いだ。下水にワニが住んでるのと同じと書かれている。なんだ、都市伝説だったんだ……。

しかし案外歴史のある都市伝説のようで、Wikipediaでは、古代から“I know ….”がソクラテスの言葉として用いられてきたとある。著名なプラトン主義者が「もうそういう無根拠な主張はやめよう」と言っているらしい。

たぶんこれが日本語の「無知の知」のルーツだろう。東大の納富信留氏は昭和初期の高橋里美が原因だとしているが、詳しくは不明。

「無知の知」はソクラテスを歪める

無知の知や“I know that I know nothing”の記述の問題は、ソクラテスが不可知論者のように思われてしまうことだ。“know nothing”なのだから、まるでソクラテスは「人間は何も知らない、知りえない」と言っているかようである。しかしそこまでソクラテスは徹底した懐疑主義だったのではない。

ただ、私はこの言葉が流行るのもわかる。ソクラテスが人間の知性の限界をたびたび説いたことは事実だからだ。

諸君、真実知者であるのは、どうやら神なのであって、それで神は、あの神託をかりてこのこと、つまり、人間に許されている知恵というのは、ほんのわずかな価値のものか、あるいは、まったく無価値なものでしかないということを、言おうとされているらしい。(「弁明」)

ソクラテスはけっこうまじめな宗教家で、ほんとうの知識は神様しか知りえないと考えているのである。だからまあ「無知の知」が的外れとも言い難いし、ソクラテス(プラトン)の言説として流布されるのもわからなくはない。

「無知の知」はかっこいい

なぜこの言葉が広まったか。

たぶん、「無知の知」とか“I know that I know nothing”がすごく完成されたフレーズだからだと思う。簡潔で響きはいいし、矛盾してるし、なんだか「哲学っぽい」じゃないか。哲学初学生に「ソクラテスというダイセンセイは、無知の知を提唱したのである」なんてやったら権威がつきそうだ。

ソクラテスという人はあまりに偉大になりすぎた。偉大な人にはその人を象徴する偉大な理念がなければならない。「無知の知」はそれにぴったりの言葉だったのだろう。ソクラテスに「そう言ってほしかった」という願望が、いつしか「言った」ことになってしまったのではないかと私は思う。

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *