自由刑の起源

刑務所は「罰」ではなく「労働習慣」を与える場である。

昔から刑罰はあったし、監獄はあった。しかし、自由刑のルーツは牢獄ではない

刑罰の種類

刑罰にはどのようなものがあるか、整理しておこう。

  • 自由刑:受刑者の身体を拘束することで自由を奪う。
  • 財産刑:罰金、科料
  • 生命刑:死刑
  • 身体刑:鞭打ち、入れ墨や鼻そぎ、四肢の切断など
  • 名誉刑:晒し、烙印、入れ墨や鼻そぎも入る
  • 流刑:島流し、植民地送り

現代の日本では、犯罪に対する罰として課せられるのは自由刑、財産刑、まれに生命刑だが、明治以前の日本では生命刑、身体刑、名誉刑が一般的だった。「十両盗めば首が飛ぶ」とよくうたわれたように、簡単に死刑になった。なぜそのような変化が起きたのだろうか?

自由刑の起源

刑務所で生活していること自体が刑に服していることになる、というのは当たり前のことに思えるかもしれない。しかし世界各国で自由刑が広く用いられるようになるのは、18世紀以降のことだ。

まず最初に牢獄についてのフーコーの記述を見てみよう。

当時、牢獄とは通過する場所だったのです。それは死にいたる通過でもあったでしょうし、また、金銭で自由を買い戻した場合は自由への通過ということになったでしょう。ともかく、監獄がそれ自体で懲罰たり得るという発想は中世にはまったく無縁のものであって、その種の実践も中世社会には存在しなかったのです。(フーコー・コレクション 4 権力・監禁)

牢獄の目的は現在とは違い、未決囚を収容するためのものであった。刑が決まれば囚人は死刑となるか、孤島(植民地)に流されるか、財産や土地を没収されるか、むち打ちや身体の一部を切断されるなど体刑を受けるか……いずれにせよ、牢獄は囚人が一時的に収容される通過点でしかなかった。牢獄に閉じ込めること自体が罰になることはなかった。

はじめの自由刑

自由刑のルーツは17世紀初頭の一部ヨーロッパ諸国の「懲治場house of correction」にあった。最初期の懲治場とされているのは、16世紀後半のロンドンのブライドウェル宮殿とアムステルダムの懲治場である。このふたつが近代的な刑務所の原型とされている。

The Prospect of Bridewell from John Strype’s, An Accurate Edition of Stow’s Survey of London (1720).

ブライドウェル懲治場はエドワード六世が教会の教義にこたえて1555年、乞食や浮浪者に労働の習慣をつけさせるために居城内に設けた労役場だ。アムステルダム懲治場は、当時もっとも発達した資本主義体制をもつオランダの国情を背景に1595年、労働忌避を罪悪視するプロテスタントの教義に鼓舞されつくられたものである。

当時、時代の最先端をゆくふたつのヘゲモニー国家がいち早く懲治場を創出したことは象徴的である。

犯罪者が収監されるように

懲治場ははじめ、街なかに溢れかえった浮浪者を収容し矯正するための施設だった。しかしその対象は拡大していき、軽犯罪者、売春婦、精神異常者、しつけの必要な子どもなども入れられるようになった。

ときがたつにつれて各種の罪人を拘禁する牢獄的な使われ方が一般化してゆく。重犯罪者も死刑ではなく懲治場に入れられるようになった。フランスでは1865年の法改正で 懲治場と牢獄の区別が撤廃され、現在の刑務所に近い性格を持つ地方監獄となった。

日本ではどうかというと、以下Wikipediaの丸写し。急激に「上からの」近代化が行われた日本では、刑務所の変化も急激である。

明治時代に入り、律令制の復活による徒刑が導入された。1872年に欧米諸国に学んだ監獄則が制定され、1879年に国立の集治監が東京都と宮城県に建設され、少年矯正施設なども作られた。その後1908年に監獄法が制定され名称を監獄とした(監獄という名称は、1922年(大正11年)に、組織法上、刑務所及び少年刑務所と改められた)。

まとめ

近現代の刑務所のルーツは懲治場にあった。それまでの監獄とはまったく別物だったのである。刑罰の形は近代化によってさまがわりしている。

ざっとまとめると近代以前以降の刑罰の違いは以下。

旧来的な刑罰:

  • 罰を与える
  • 殺す、追放する、無力化する
  • 上から降りかかる権力

近代的な刑罰:

  • 閉じ込める
  • 規律や規範を身に着けさせる、労働力、生産性を高める
  • 社会福祉的な権力
なぜ刑務所は変わったか

資本主義の結果である。

旧来的な権力は人々を暴力によって抑圧し隷属させるものだった。しかしそれは生産力の減衰を導く。近代社会の権力は、個々人の生産性を高める方向にはたらく。自ら動き、自らすすんで働く存在をつくりあげなければならない。

現代日本の刑務所内で一般的な労働者と変わらない週40時間労働、また職業訓練が行われるのは、労働習慣を身につけさせるためであり、「懲治場」と役割が変わらないことになる。

セコムなどの運営する半官半民の刑務所が「社会復帰促進センター」となっているのは象徴的だ。社会復帰とは「労働」「遵法」という2つの適応を意味する。

刑務所は実のところ、社会の落伍者をまじめな勤労者に作り変える装置なのである。その意味では病院や学校と変わらないようだ。

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