2019-10-22

アナーキズムは民主主義の最大化を意味する

テッド・カジンスキーが惚れ込んだ男、エッセイストのエドワード・アビー(1927-1989)の「Theory of Anarchy」を訳しました。

民主主義とアナーキズムの深い関係。

そして産業文明社会のゆく果について描かれています。

Nonfactual No. 5 by Moab Art

アナーキーの理論

聖書には、金銭への愛が諸悪の根源とある。しかし、金の本質的意義とはなにか。金が魅力的なのは、労働やサービスを命じる手段、ひいては他者の生活――人間であれその他であれ――を命じる手段だからである。金は権力だ。私は聖書のアフォリズムをこのように拡大したい。諸悪の根源は権力への愛だ。

そして権力は最悪の人間を惹きつけ、最高の人間を腐敗させる。たとえば警察の職を嗜虐的な本能を持つ人間(だけではないが)にとって魅力的なのは偶然ではない。その典型を私たちは知っている。あるいは完全にふつうの、平均的な男に大尉のバッジをつけて、他者に対する一方的な権力の手段を与えると、彼は――特異な性格の持ち主でないかぎり――マルティネット(規律に厳しい軍人)のささやかな独裁者となる傾向があるだろう。権力は腐敗する。そしてアクトン卿が指摘したように、絶対権力は絶対的に腐敗する。民主主義の問題は権力の問題である――いかにして権力を脱中心化し、平等に分配し、公平に共有するのか。アナーキズムは民主主義の最大化を意味する。政治権力、経済権力、そして軍事権力の最大の分散化である。アナーキスト社会は自立的、自助的、自律的なコミュニティーによる自発的協力によって成り立つ。アナーキスト共同体は(前農業、前産業時代にそうであったように)血縁でしばられる自助的・自立的な、自由で独立的な家族の自助的なアソシエイションと相互扶助の伝統によって成り立つだろう。

アナーキーは真剣に受けとめられた民主主義である、重要な国事がすべての市民の直接投票によって決定されるスイス――各々の市民が、軍事訓練を受けたのちに、自らの生活を守るために武器を持ち帰るところのように。アナーキーは社会的生活のあらゆる主要な面において民主主義をとりいれたものである。たとえば、政治的民主主義は、多数者に対する少数者の経済的権力の蓄積を許す社会においては成り立たない。あるいは警察権力や軍事権力を専門的なエリート部隊に委任する社会においては。遅かれはやかれ、専門家たちが乗っとることになるだろう。私のアナーキスト共同体の概念は、すべての市民――男性にせよ女性にせよ――が武装され、訓練され、要事には警官や兵士の役割を果たすことができるようになることである。健全なコミュニティとは自警するものだ。健全な社会についても同様である。略奪者、暴漢、犯罪者はいつでもどこでもあらわれるが、自然においてはそのようなタイプは変異体、異常者、少数者である。真に民主的でアナーキスト的な共同体のメンバーは、彼らに対処するとき外部の助けを必要としない。これを自警的正義と呼ぶ人がいるかもしれない。私はこれを民主的正義と呼ぶ。すべての市民が犯罪の抑制と処罰に参加し、道徳的責任を共有する方がよい――シャツにブリキのバッジをつけた制服を着た準犯罪者(あるいは英雄)に嫌な仕事をさせるよりも。そう、私たちにはヒーローが必要だ。ヒロインが必要だ。しかし彼らはインスピレーションや事例としてのみ有用であるべきで、指導者としてではない。

たとえば今日のレバノンの国民が、対抗勢力を抑圧することが可能な権威主義的政府に喜んで承諾することは疑いのないことである。しかしそのような権威主義的政府は抑圧されざる人間の自由への欲望を引き起こし、反乱、蜂起、革命へと導くだろう。もしレバノンがそこまで人口過多でなければ、最良の解決策は――南アフリカのように――領土を分割し、自己統治の、独立した地域と社会に委譲することにある。これは宗教や人種、深刻な文化的差異によって分割された人口の自然ななりゆきであり、抑制されるべきではない。この傾向はしかし、権力への愛に対立するため、中央集権化した政府はつねに分離主義的運動を破壊しようとする。

政府は権力の独占を通じて強制させる社会的機械である。あらゆる良きマルクス主義者はこのことを理解している。ブルドーザーのように、政府は支配権を握ることに成功した人物や集団の気まぐれに奉仕する。アナーキズムの目的はそのような制度を解体しその再構築を防ぐことにある。人類史の1万年間は、私たちの自由が権力に魅了された野心的な少数者に委ねることができないことを示している。私たちは自らを統治することをふたたび学習しなければならない。アナーキズムは「無法no rule」を意味しない。それは「支配者の不在no ruler」を意味する。困難であるが、しかしユートピアンではなく、アナーキーの意味は自己支配、自己統治、誠実、人格を意味するのである。

現在、アメリカ人の生活は多数者にとって、ほとんどの(すべてではない)他の国々よりはるかに良いものである。しかし、その事実は私たちの失敗の言い訳とはならない。私たちはジェファーソンが描いたような独立した自由保持者の社会とはなっていない。またリンカーンが想像したような、真の民主主義――人民による統治――にもなっていない。

そのかわりに私たちはマディソンとハミルトンによって考案されたスキームの実現を見ている。すなわち少数派の私的な富の集中を促進し保護する一方、大多数を国家や産業の依存的な従業員に弱体化する強力な中央集権国家。私たちは技術―軍事―産業管理者の寡頭制によって支配される奴隷人民である。

歴史上、奴隷がこれほどよく食事を与えられ、完全に治療され、贅沢な娯楽を与えられたことはない――しかしそれでも私たちは奴隷である。テレビ、ロック音楽、ホーム・ビデオ、加工食品、機械的娯楽、壁張りの建築術――は奴隷の文化である。さらに、この壮大なる全構造は自己破壊的でもある:利潤への動機づけ(権力)を神格化し、私たちを導く理想とすることは、構造が存在し続けるために必要な、土地、空気、水――自然界――の激烈で加速度的な消費を促進する。貪欲の上に立てられた家は長持ちしない。それが資本主義と呼ばれようと、社会主義と呼ばれようと大きな違いはない、ともに同じ動機にもとづく、独裁的、軍国主義的、拡大主義的、欲求的、そして工業的で技術的なシステムであり、ともに自己破壊的である。核戦争という災難がないとしても、私は軍事産業国家がこの地球上から1世紀以内に消滅すると予想している。この信念は、私の生まれもった楽観主義によるものであり、より高次の文明として復活するという私の希望の源である。点在する適度な数の人間人口が、漁、狩猟、食料採集、小規模の農業と牧場によって生き、廃墟となった都市に道徳的、霊的、芸術的、知的な創新のための祭に年に一度集まる、野生が遊び場ではなく自然の故郷である人々。

新しい特権階級が興り、新しい暴君が現れるだろう――間違いなく。しかし、私たちは地球に忠実であり、根源的な動物的本性に忠実であるかぎり、その再発する異常に抵抗しなければならないし、そうすることができる。自由という言葉が必要になる以前、人間は自由だった。奴隷制は文化の発明である。自由は生である。エロスeros+アナルコスanarchos=バイオスbios。

民主主義に万歳。

アナーキズムに万歳二唱。

(訳文ここまで)

終わりに

エドワード・アビーは、ユタ州モアブでレンジャーとして勤務していたときのエッセー「砂の楽園(原題”Desert Solitaire”)」が有名です。ソローの「森の生活」に並んだ名作だとしばしば言われています。あとは「モンキーレンチギャング」という非常に過激な環境保全の本が、特に「アース・ファースト」というこれも過激な環境保護団体に強い影響を与えました。

私が彼のエピソードで好きなのは、ニューメキシコ大学で学生新聞の編集者だったときに、「最後の王が最後の神官の腸で絞め殺されるまで、人間は自由になることはない”Man will never be free until the last king is strangled with the entrails of the last priest.”」と書いて大問題となったという話。これはヴォルテールをもじったものだったようですが、すごい文言です。

アビーはスイスの直接投票制に賛成し、また、軍事訓練や武器保有を支持しているわけですが、この点についても私は同感です。日本で重大な国事を直接投票するならば、消費税増税なんてありえなかったでしょう。そしてアナーキスト界隈では「3Dプリンター製の機関銃によって平等社会が実現する」とたまに言われています。

実際――日本でも、同じことを主張してプリンター銃(拳銃ですが)を作った大学職員が逮捕されてました。「弱くとも正しい人が生き残るべき。銃が力を平等にする」と彼は言うわけですが、法的にはどうあれ、思想的には正しい。

アナーキストが目指す社会とは、個々人が最大限の権力を有し、少数者が権力を独占することをつねに警戒し実効的に抑制するような社会です。

私はアナーキストですが、「社会」や「民主主義」に希望を抱かない個人主義者ですので、アビーの主張はやはりユートピア的だと感じますが、それでも大部分は共感できます。

たとえば私も東京を歩くたびに「核ミサイルでも落ちればいいのに」と思うタイプですので、アビーの過激な発現には割と共感してしまうのでした。

それにしても、アビーの生きた時代に比べると、核戦争のような人類削減の危機は薄れており、いびつな平穏がまだまだ続きそうな予感がします。

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