重大な問題は人々が革命が可能だと信じていないことであり、まさにそのことによって革命が不可能となっている

ユナボマーことテッド・カジンスキー。

3人を爆弾によって殺した彼はしばしば「狂人」と呼ばれている。しかし、彼の思想を真摯に考慮すると、狂人ではなくはるかに理性の人間であることがわかります。

そして狂っているのは、彼の敵である「技術産業社会」であるように思われる。技術産業社会は膨大な数の人間と動植物を殺しています。肉体的な死だけでなく、精神的な死をももたらしている。

テッド・カジンスキーを知る上で重要なインタビューがあるので全文訳していきます。インタビュアーはTheresa Kintz、ジョン・ザーザンの支持者のグリーン・アナキスト。

原文:Interview with Ted Kaczynski

by Dale Livezey

テッド・カジンスキーへのインタビュー by Theresa Kintz

セオドア・カジンスキーは人生の非常に早い時期から産業技術システムに対する否定的態度をつのらせてきた。1962年、彼のハーバードでの最後の年に、彼の説明によれば、システムに対する幻滅の感覚をいだきはじめた。彼はまったくの孤独を感じていたという。「60年代では技術批判はいくつかあったが、私が知るかぎり技術システムに反抗する人は存在しなかった。1971年か1972年、私がモンタナ州に移ってすぐのことだが、私はジャック・エリュールの「技術社会」を読んだ。その本は偉大な作品だった。それを読んだとき非常に熱狂した。私は思った。「見ろよ、この男は俺がずっと言いたかったことを言っているぜ」と」

私は聞いた。なぜ自ずから技術に反対するに至ったのか? 彼は即座に答えた。「なぜそう考えるのか? 技術は人間を機械の歯車に変え、私たちの自律性と自由を奪う」。しかしあきらかにそれ以上のものがあった。機械に対する怒りに加えて、彼の言葉はまさに特別な場所であるモンタナの自然に明らかに愛を持っていることを示していた。そこでつくりあげた山のなかでの生活と、システムの侵害に対して防衛しようとしたことを関連付けながら話すとき、彼はもっとも活気づき、もっとも情熱的になった。

「正直に事実を言えば、私は政治志向ではない。むしろ本当に森のなかで死ぬまで暮らしたかった。もしそこに道路を切り開き、樹木を切り倒し、ヘリコプターやスノーモービルのやかましい音をたてる者がいなければ、私はただそこに住み続けただろう。他の世界がどうなろうとどうでもよかった。言うなれば、私が政治問題に関係するのはそれに追いやられたからだ。私はそういったことに本当は向いていない」

カジンスキーは1971年にモンタナ州リンカーンの近くに自ら建てた小屋に移り住んだ。その最初の10年、彼は自然のなかで自律的に生きることができるような原始的なスキルを身につけることに集中した。そのようなことをしたいという衝動が幼少の頃からつねに心の一部にあったと彼は説明する。「問うまでもなく、私が技術システムからドロップアウトしたのは、別の生き方について、特に原始的な人々について読んだからということに疑いない。11歳頃、私はイリノイ州のエバーグリーンパークの小さな地元の図書館に行ったときのことを覚えている。そこにはスミソニアン博物館の出版したさまざまな科学領域の書籍があった。とりわけ私は人類前史の書籍の中の考古学について読んだ。私はその魅力に気づいた。ネアンデルタール人などを主題にした本を読んだあと、私はもっと読みたくてうずうずした。なぜなのだろうと自問したが、私がほんとうに望んでいることはさらに多くの読書することではなく、そのように生きたいと思っていたことに徐々に気づいた」

野生の食用植物、動物の追跡方法、原始技術の模倣といった研究に、学者として研究したように没頭したとカジンスキーは語る。「何年も前、私は動物の行動を学ぶために、アーネスト・トンプソン・シートンの「狩猟動物の生活」を読んだ。しかし森のなかにしばらく住んだあと、あらゆる科学的な記述を読むことに嫌悪感を持つようになった。ある意味で、専門職の生物学者が野生の生活について語ることは私にとってそれを破滅させ汚染することであった。より重要になり始めたのは、私が個人的な経験を通じて獲得した野生生物に関する知識だった」

カジンスキーは電気や水道なしで小さな小屋に住んだ生活について詳しく話した。彼の弁護士が、裁判の間彼の正気を問題にするために弁護団によって使われたのがこの小屋と生活スタイルだった。カジンスキーが自然に彼を憤らせたというのは彼の弁護の手段だった。私たちは彼の日々の作業を語ろう。「私は野生の食用植物をみつけることにかなりの経験がある」。彼は誇らしげに語る。「私が知るなかでもっとも充実した活動は、森のなかにでかけて食べるのによいものを探すことである。しかしモンタナ州のような場所の問題は、東部の森林と違い、でんぷん質の植物食材がはるかに入手困難だということである。食べられる根はあったが通常それらは非常に小さく、分布域も限られていた。もっとも良いものはふつう低地の農地、実際的には牧場に育つ。牧場主はおそらく牧場を掘られたくないだろうから、でんぷん質の食品は文明化された食品だった。私は小麦、コメ、コーンミール、オートミール、粉ミルク、食用油を購入した」。

カジンスキーは三つのことが満足にいかなかったことを嘆く。狩猟に使えるクロスボウの製造、岩だらけの丘で行う毎日のハイキングに耐える鹿革のモカシンの製造、そしてマッチを使わずに確実に火をつける方法の習得。彼は孤独な生活でとても忙しく幸福だったと語る。「森のなかで暮らしていたときに気づいたことのひとつは、未来について心配することがなくなるということだ。君は死ぬことを心配しなくなるし、もし万事うまくいっていれば君は考えるだろう、「まあ、もし来週死ぬとしても、いまのところはいいのだから」と。ジェーン・オースティンだったと思うが、彼女は小説のひとつで幸福はつねに未来に期待するものであり、今ここにあるものではないと書いた。つねにこれが正しいわけではない。おそらくそれは文明においては真実だろう。しかしそのシステムから出て違った生活様式に適応したとき、幸福とはしばしば君が今ここにもつ何かなのである。」

彼は70年代の間にかなりの数のモンキーレンチング(訳注:資材や機械を破壊する環境活動。機械の歯車にモンキーレンチを入れる破壊活動から)をしたことをすぐに認めたが、彼がシステムに対する闘いにより多くのエネルギーを注ぐことを決めるときがきた。彼は動機について語る。

「私にとって最高の場所は、第三紀から残る高原の最大の遺物だった。それはなだらかに起伏した土地で、平地ではなく、もし絶壁に立てば、崖のように非常に崖のように急峻な渓谷であることがわかるだろう。そこには滝さえあった。そこは私の小屋から二日ほど歩いたところにあった。1983年の夏までそこは最高の場所だった。その夏、私の小屋の周囲にはあまりにも多くの人がくるようになって、平穏が必要だと心を決めた。高原にゆくと、そこで私が目にしたのはその真中を突っ切る道路を作ろうとする人々だった」。彼の声は消え入りそうになった。いったん話をやめ、そして続けた。「私がどれほど憤慨したか君には想像できない。その時点からさらに野生のスキルを習得することよりも、システムに復讐することに取り組みはじめた。復讐だ。モンキーレンチングをするのはそれが初めてではなかったが、そのとき、そのような行動が私の最優先となった……社会的問題、特に技術的問題に関するものを読む意識的な努力をした。一つは社会がどのように変化したかを理解することに関心があった。そのために私は人類学、歴史を読んだ。少し社会学と心理学を読んだが、大部分は人類学と歴史だった」

カジンスキーはすぐさま結論づけた。単にシステムを「改善」するだけの改革者の戦略では十分ではなく、大衆の意識の変化がいつの日か技術システムを弱体化するという考え方にもほとんど自信を持てない。「それが可能だとは思わない。人間の傾向として、ほとんどの人にとって、例外もあるが、もっとも抵抗の少ない道を歩もうとすることが理由のひとつである。彼らは楽な道を歩むのであり、車、テレビ、電気を断念することはほとんどの人にとって楽なことではない。私が見るところ、産業システムを解体することのできる制御された、または計画された方法があるとは思えない。それを排除するためには、破壊し崩壊させることが唯一の方法だと考える。その結果はロシア革命や、バルカン半島、アフガニスタン、ルワンダなど世界の他の場所で起きていることのようになるだろうと考える。これは非暴力的な観点を持つ過激派にとってはジレンマを提示するだろう。物事が崩壊すれば、そこには暴力があるだろうし、そのことが疑問を生じさせる。私がそれを道徳的問題と本当に呼びたいかはわからないが、しかし重要なことは産業技術システムを廃止する必要性を理解している人にとって、もしその崩壊のために働けば、結果として多数の人々を殺すことになるということである。もし崩壊すれば、社会的な無秩序が生まれるだろうし、飢餓があるだろう。現代の農耕が依存している農薬や化学肥料、農耕機械の予備部品や燃料はなくなることになる。周囲に十分な食糧がなくなりつつあるなら、何が起きるだろうか? 私が読んだ限り、過激派がこのことを正面から考察しているのを見たことがない」

このとき、彼は私に過激派としてこの問題に取り組んでいるかと聞いた。私はその答えはわからないと答えた。彼は私もそうだといい、指を組んで私を熱心に見つめた。彼の用いたはっきりとした中西部のアクセント、話し方、口語表現はとても親しみがあった。そして私が考古学、歴史、政治哲学の生徒として関わったオハイオの教授たちを思い起こさせた。私はカジンスキーと同じハーバードの卒業生である、私の大学院の指導教員だったレズニック博士が政治的合法性について以下の質問をしたことを関連づけることにした。科学者の集団が、新しい発明の導入について国内の有力な政治家との会談を求めているとしよう。科学者たちはこの技術の恩恵は議論の余地のないものであり、発明によって効率があがり、全員の生活がより楽になると説明する。唯一のデメリットは、それが機能するためには毎年四万人の罪のない人々が殺されるということだ。政治家は新しい発明を受け入れるかどうか? そのような提案はすぐに却下されるだろうと学生たちが主張しようとしたとき、彼は何気なく発言した。「私たちはすでにそれを持っている――自動車」。彼は私たちに、技術システム――私たちが全員そのなかに生まれ、そのなかで適応する以外に選択肢がないシステム――を維持するという私たちの決定の結果として、いかに死と無罪の人の苦しみがもたらされているか考えることを強いた。だれもが既存の技術社会が暴力的で抑圧的で破壊的であることを知っている。しかし私たちに何ができるだろうか?

「重大な問題は人々が革命は可能だと信じていないことである。そして革命はまさに可能だと信じていないから不可能なのである。エコ・アナーキズムの運動はかなり成果を上げていると思うが、私はもっと上手くやれると考える…… 本当の革命家は改革者から自分を切り離すべきだ…… そして私はできるだけ多くの人々に野生を紹介する意識的な努力があればよくなると思う。大まかに言えば、私がなされなければならないと考えるのは、人々の大多数に私たちが正しいと説得したり信じさせることではない。システムが崩壊し始めるまで社会の緊張を高めることにあるのでもない。人々に不愉快な状況をつくりだすことで十分に彼らを反抗させることができる。問題はそれらの緊張をどのように高めるか? だ。私は知らない」

カジンスキーは技術産業社会のすべての側面について詳細に、深く、そしてなぜ・どうやってそれに終焉をもたらすかについて話しあうことを求めた。それは私たちの両者に多くの考えを与えたテーマだった。私たちは政治的イデオロギーの限界と直接行動について議論した。しかしこれまでのところ、もっとも興味深い議論は野生生物や野生の自然の優位性を中心に展開したものだ。インタビューの終わりに向かって、カジンスキーはスノーシュー・ラビットと育んだ親密な関係についての心をうつ話を語った。

スノーシュー・ラビット。北アメリカに生息する大きな足を持つ大型うさぎ。

「これは個人的なことだ」と彼は言いはじめたとき、私はテープを切った方がいいか聞いた。彼は、「いや、私はそれについて話そうと思う。私が森のなかで暮らしている間、私はある種の自分のための神々を発明したのだ」そして彼は笑った。「私はそれらを知的に信じていたわけではないが、それらは私がもっていたある種の感情と一致する概念だった。私は最初にグランドファーザー・ラビットを発明した。スノーシュー・ラビットが冬の間の私の肉の主要な供給源だった。彼らが何をしているかを学び、それらを射ることができるほど近づくように足跡を辿れるようになるまで多くの時間を費やした。ウサギをずっと追っていると、足跡が消えていることがある。ウサギが足跡を消してどこへ行ったかはわからない。私は自分のための神話をつくった。それはグランドファーザー・ラビットで、すべてのウサギの存在を担う祖父なのだ。彼は消えることができる、だから君は彼を見ることも捕まえることもできないのだ。スノーシュー・ラビットを射るたびに、私はつねに「ありがとうグランドファーザー・ラビット」と言った。しばらくして私はスノーシュー・ラビットを描きたいと思うようになった。彼らが私の考えの大部分を占めるほど彼らと関わり合った。私は実は木の彫刻をしていたのだが、とりわけ私はスノーシュー・ラビットを彫った。もっと良いものを作ろうと思ったが、それは成し遂げられなかった。ときに私がウィル・オ・ウィスプ、または朝の翼と呼ぶものがあった。君が午前中に丘に出かけるときに、さらにさらに進むように引き寄せられていると感じるとき、君は囁きに従っているのだ。それは私が発明したもうひとつの神だった」

さて、テッド・カジンスキーは野生の中で住み、前史時代の人々の世代のように森の神々を再発見したのである。私は彼がそれらの神に見放されたと感じているかが気になった。刑務所の中で彼にはもはや自由がなく、自然とのつながりもなく、技術産業システムの崩壊を実現する革命的な計画と自然への誠実な愛と知識への愛を除けば、彼にとって人生の残りにおいて重要なものは残っていない。私は彼に正気を失うことが怖くないか、今ある状況が意欲をつぶすことはないかと問うた。「いや、私が心配するのはこの環境に慣れてしまってもはや怒ることがなくなることだ。そして私は山々や森の記憶を失うことを恐れている。それが本当に悩ましいことだ、記憶がなくなれば私は自然と接触する感覚を失うことになる。しかしそのことが私の意気をくじくことはない」。そして彼は技術システムへの批判を共有するグリーン・アナキストたちに、エドワード・アビーのように以下のアドバイスを送った。「産業文明の破壊的なジャガーノートよ」「決して希望を失うな。辛抱強く、頑迷であり、決してあきらめるな。あきらかな劣勢者が突然勝者となる例は歴史において数多くある。君たちはすべての希望が失われたと結論づけてはならない。」

終わりに

美しい自然の中で、小さな小屋を建て、自給自足で静かに暮らしたい

現代社会に生きる私たちは、おそらくだれしも潜在的にそういう願望を持っているでしょう。少なくとも私は憧れます。

モンタナのリンカーンという辺鄙な場所でそうやって生活していたカジンスキー。彼は「でんぷん質」の購入のために完全に自給自足ではなかったようですが、それでも20年ほど年1000ドルの支出で暮らしていました。しかし彼の「忙しく幸福」な生活は道路開発や飛行機やスノーモービルの騒音によって破壊された。

文明は不可避的に自然を破壊し、人間の精神をも侵害します。彼が殺人を犯してまで主張したかったことは、人類の自由と幸福のために技術は破壊されなければならないということでした。

壮大な思想ですが、彼ほど緻密に批判的に方法論を考察する人はいません。彼は元数学者らしくあらゆる理想を退けて合理的に革命を考察しようとする。

私も彼の意見に賛同します。技術産業社会は控えめに言ってクソであること。そして自由な社会の実現のためには技術を殺さなければならないということ。

長くなりましたが、彼の人となりや思想を知る上で重要なインタビューの訳でした。これが彼が投獄されて最初のインタビューになります。インタビュアーのテレサ氏は良い仕事してましたね。レズニック博士(Michael David Resnik氏)の話にハッとさせられた。いつものことですが誤訳だらけですので英語ができる人は原文を読んでください。

……モンタナの山奥で火をつけようとしてうまくいかないカジンスキー、なんかかわいいですね。

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