資本主義+ドラッグ=死

現代の死に至る病、アルコール依存症。

エタノールは世界で二番目に強い依存性物質だ(一位はヘロイン)。

そして人類と酒の歴史は古い。人類は有史以前から酒を愛して生きてきた。

そして……私と酒の歴史も古い。15年近く、毎日ワイン一本近くを飲み続けてきた。

しかし、最近気づいたことがある。現代の人類と酒の関係は「不健康」である。そして、私と酒の関係も「不健康」だと。

そんなわけで、現代資本主義社会がいかにアル中を生産し、人々の生活を破壊するのかを見ていきたいと思う。

「ジン横丁」1750 William Hogarth

人類と酒

人類は酒を飲むようデザインされた。

タバコ中毒やカフェイン中毒が人類を支配しはじめたのは比較的最近のことだ。たかだか数百年の歴史しかない。

一方で酒との付き合いは古く、普遍的だ。ぶどうをすりつぶして放置すればワインになる。何もしなくても自然が勝手に酒を作ることもある。木から落ちた腐りかけの果実は中に果実酒を含んでいる。

ほとんどの動物にとってエタノールは危険な毒物である。だからアルコール綿で殺菌できるのだし、昆虫にエタノールを吹きかけると死ぬ。

「腐りかけの果実」を食べることができるのは、ヒト科ではチンパンジーとゴリラくらいである。これは大きなアドバンテージだっただろう。ヒトは果実酒を積極的に摂ってきた。

酒は人類の必需品だった

文明があるところに酒があった。

紀元前7000年から、チグリス・ユーフラテス川の近隣でワインが製造されていた。古代エジプト文明ではビールは水の次に飲まれており、子供さえ飲んでいた。

現在では嗜好品であり、不健康であり、社会的に悪いものだとみなされる酒だが、近代以前は合理的な必需品だった。

塩素殺菌のない時代、「安全に飲める飲料」は貴重なものだった。酒はバクテリアを殺菌し、生水よりも安全に飲むことができた。

また、ビタミンBや必須アミノ酸を摂取できる。そして神秘的な体験を人間にもたらす……。

文化と酒

多くの宗教で酒は神聖なものとして扱われる。儀式の際に酒を飲む信仰はいたるところに存在する。

酒は不思議な飲み物である。発酵中の液体はほのかにあたたかく、絶えず発泡している。そして腐らずに、肌に触れれば清涼であり、独特の風味を持つ。

何より、飲むと気分が高揚し、不思議な感覚を与える。宗教者は酒によって「異界とのつながり」「霊感」を感じることができただろう。

「音楽」など文化の起源は酒にあるという説があるが、私は半ば支持している。

人類はいつからアルコール依存に?

このように酒を飲み続けてきた人類だが、それなら人類はアル中となるべく生まれてきたのだろうか?

そうではない。破壊的なアルコール依存が世界中に広まったのは近代以降のことだからだ。

それ以前のひとびとの意志が強かったのではない。酒は一般的に高価で、貴重品だった。毎日がぶがぶ飲むわけにはいかない。

近代以降、酒は工業的に大量生産されるようになる。17世紀にカリブ海諸島でラム酒が醸造された。続いてジンが発明された。「安く酔える」ために貧困層の間にジンが爆発的に広まり、18世紀にはロンドンがアル中だらけになった。なにせミルクより安かったのである。

アルコール依存が増えた原因のもうひとつは、社会的不安の蔓延である。資本主義社会では下級労働者は失業の不安や労働の疎外、貧困などさまざまなストレスに日常的にさらされることになる。

社会不安と、酒が安価に簡単に手に入ることが、アルコール依存のリスクファクターであることが明らかになっている。工業化は人々に酒を与えたが、苦悩をもまた与えた。酒と苦悩のハイブリッド――それがアルコール依存なのだ。

現在、酒はいたるところで安価に買える。日本のスーパーでは、100円も出せばひどく酩酊できる濃いチューハイが売っている。そしてそれは売れに売れている。

統計が信用できない国なので不明だが、現在の日本のアルコール依存者はかつてないほどだろう。

そしてこのことはシステムの安定化に寄与する。

資本主義システムとアルコール依存

すべての政府は例外なしに、人々に解放を促す可能性のあるものを隠す。一方で、人々を衰退させ、意気をくじくようなあらゆるもの奨励する。……感覚のあらゆる種類の娯楽……タバコやアルコールのような肉体的な愚物でさえ、その課税は国家の主要な税収のひとつを構成するのである。(トルストイ、Government is Violence)

抑圧的な国ほどアルコールに寛容なのはなぜだろうか? 日本は何もかも高いのに、酒だけは異常に安い国である(ビール除く)。そして酒は文化的に受け入れられている。酒をうまそうに流し込む映像がテレビCMで流されている。

社会的病としてのアルコール依存

私たちは、鬱病や自殺を「個人の問題だ」と考える。そうシステムが洗脳するからだ。しかし、自殺者は実際にはシステムに抑圧され、殺されているのである。

自然な社会――狩猟採集社会では、鬱病は現代の100分の1程度だったとされている。当然、自殺の例はどこにもない(ソースは失念した)。

同じことがアルコール依存についても言える。アルコール依存を「病気」とする考え方が現代では主流だが、それは半分正解であり、半分間違っている。それはかなりの部分で社会的病だからだ。

なぜ資本主義社会は人々に酒を飲ませようとするのだろうか。それは、不当な扱いを受けている労働者や貧者に資本主義を受容させるはたらきがあるからだ。

世界中至るところ、貧困街や労働者階級の多く住む地域には安酒屋や安居酒屋が存在する。

貧者たちは自らの悲惨から数時間でも逃れるために、払える金をすべて払って――あるいは借金をしてまで――酒を飲む。

資本家階級は、この利益を求めているだけではない。

アルコールが人々を無気力にして、受動的にして、服従させる上で非常に有用であることを彼らは知っているのだ。アルコールは資本の最高の盟友なのだ。

酒がもたらす厄災

酒は父権主義の象徴だ。

「酒を飲むことは男らしい」とされている。大量に酒を飲めばかっこよく、タフであると認識される。酔っ払った男たちは、自動車でだれかを轢き殺し、妻をレイプし、子どもを殴る。

一方で、酒を大量に飲む女性は「女らしくない」「ふしだらだ」とみなされる。酒を大量に飲まされた女性は、コンドームなしでレイプされ、望まぬ妊娠や性感染症の蔓延を引きおこす。

そして酒は人を殺す――しかも、合法的に。

大量の常飲は「死に至る病」を引きおこす。不安、抑鬱、糖尿病、癌、肝障害……。WHOによれば酒は毎年250万人殺している。

まとめ

アルコール依存は支配秩序の維持のために広まった。

それは資本家の利益となるとともに、労働者階級を支配システムに順応させることができるからだ。

システムの維持と拡大のために何百万人が死んでいく。しかし、それでもかまわない。それが資本というものの、支配というものの本質である。

終わりに 「断酒宣言」

私は15歳頃から、15年間酒を飲み続けてきた。

だいたい毎日ワイン1~2本程度の酒を飲んできた。毎朝起きるときの気分は最悪だし、酒のせいで行ったバカなことは数え切れない。

それでも私が酒を飲み続けていたのは、人類にとって酒が自然なものだと考えていたからだ。人類は酒と共にあり、これからもあるだろう。私は自分の自然な本性に従っているだけだ――

しかし、私は間違っていた。罠にかかっていた。酒を飲むのは自然だが、大量飲酒は不自然だ。私と酒の関係は「不健全」だった。

もともと、私が酒を大量に飲むようになったのは、生きることが苦痛で仕方なかったからだ。それを癒やすために酒が必要だった。

しかし、今ではかなりの部分で自分は自由であり、幸福だと感じている。結局、酒を飲んでいるのは単に惰性、慣習に過ぎない。もう一生分酒を飲んだ。そろそろ辞める「時機」と思っている。

「自分が自分の主人となる」。それがアナーキズムの原則だ。酒が自分の主人となってはいけない。

というわけで……今日限り酒をやめることにした。

「私はだらしなく座って自分の頭をファックするよりもやるべきことがある」と誰かが言った。

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4 comments

  1. 御厨さんもとうとう断酒のステップに入ったんですね。
    私が愛読している以下のブログでは、日本のアルコール文化や同調圧力の文化を朱子学カルトと名付け徹底的に批判しています。
    徒手空拳日記
    https://www.mushiro.net/
    御厨さんも気に入る内容のブログだと思いますので、ぜひ一度読んでみてほしいです。

    1. ええ、断酒のステップに入りました。
      一生酒飲みで生きていくと思ったんですが、ふと思い立ったのです。
      おもしろいブログですね。批判精神に富む人のブログは楽しいです。

  2. お引っ越しされてから、御厨さんのブログや言葉が、何故だか少しだけ淡い柔らかな印象になった気がしていました。
    禁酒成功をお祈りしています。

  3. おかげさまで、今のところ禁酒は成功しています。
    文体、たしかに変わったという自覚があります。新しいサイトに慣れていないこともありますし、環境や自分の変化もあると思います。
    私としては、もっとパンチがある文章が書きたいですね。

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