2019-08-27

「富裕になることの最大のパラドックスとは?」

というQuoraの質問に対するK. P. Gill氏の回答がとてもおもしろかったので翻訳しました。ロサンゼルスの富裕層の集まる豪邸でのパーティに呼ばれたK. P.氏が、主催者の大富豪の告白を聞いた、その要約を引用します。

君が金を持っていないときには、君は金で問題事を解決できると考える――これはある程度は事実だ。しかしある段階から、金はそれ自体による問題をもたらす。金を持つことは子どもを持つこととよく似ている。君は子どもの面倒を見て、気をくばり、毎分見守らなければならない。そうするのは、成長していることをたしかめるためだけではなく縮小しないかをたしかめるためでもある。金は生きていて、容易に変化しうる。つまり私はつねに自分の金について考えているということだ。私は朝起きて一番に金のことを考える。そして寝る前に金のことを考える。……さて、そういったことは金がまるで重荷であるかのようだし、ときには本当に重荷になる。しかし残酷な真実は、私の人生のなかで金を稼ぐより大きな満足を与えるものがないということだ。このことは経験しなければ理解するのは難しいだろう。この家を例にとってみよう。私はこの家のための資金を一年で、たったひとつの小さな株式投資で稼いだ。私は10万ドルを3百万ドルに変えた。株価が上昇しつづけるので毎朝私は笑いながら起きたものだ。たった一日で株価が5万ドル以上あがったこともある! すばらしい気分だ! しかし、それこそが狂ったことだ。つまり、こういったことを私は十分に楽しんでいる。これらガラクタはすべて私をわりあいに楽しませるし、退屈しないようにしてくれる。しかし、所有物が増えるにつれて、正直に言うと――そして私はほんとうにこのことを考えるのだ――他のなによりも、私の犬たちから喜びを得るのだ。これが真実だ! 物質的には、幸福になるために私は多くを必要としない。欲しいものはすべて揃っている。私が働いているのは、まったく正直に言うとすれば、それは金を稼ぐスリルのためだ。それはゲームを遊ぶようなもので、そのゲームの賞品は権力であり、それは金によって表される権力だ。なんのための権力か? そんなことは問題ではない! 権力それ自体が賞品だ。権力を持つという感覚がすべてなのだ。金をかせぐときにはある感覚がある……もし君が経験したことなければ、私はそれをセックス、ギャンブル、コカインと例えるしかできない。まさしくそのようなものだ――たぶんそれらよりも良いかもしれない。だから、私の投資とビジネス・ベンチャーは、さまざまなカジノゲームのようなものだ、ゲームのオッズがつねに私に有利であることを除けば……そして私が毎日生きているのは、それらゲームを遊ぶことのスリルのためなのだ。これがクソいまいましい真実だ! もし私が金を稼ごうとすることをやめれば、朝ベッドから出る理由さえわからない……。私が最初に自分がどん詰まりであることを認識しはじめたのは、他人の職業を収支の面から考えていることに気づいてからだった。私には子どもの頃からの友人である医師がいる。そして私はなんて非合理的な職業選択だろうかと考えている自分に気づいた。彼もまた金のことを気にかけており、そして私は単にこう考えたのである、彼の才能と時間の使い方は、なんと無駄で……なんと非効率的なのか、金を稼ぐにはよりよい方法がいくらでもあるのに、と。狂っているだろう? 私は医者になることがどんなものか知らないが、人々がその仕事に打ち込むことには意味の全体的なレベルがあると私は想像する。しかしそんなことは私にとっては意味がない。まるで私が理解できるものは金だけのようだ! 私が数年前に50代になって気づいたことは、ビジネスが私のアイデンティティとなっていること――そして私がそういう自分を好きかわからないということだった。しかし私には選択肢はない、末期の麻薬中毒者と同じように。私はビジネスマンたちが自分が本当はなにをしているかについて自分をごまかすことを知っている――すべては家族のためだとか、他のでたらめのためだとか。自分を騙すな、と私は思う。私はお前のことがわかっている! お前はただ猿にエサをあげている(すべきではないことをしている)だけなのだ! と……。とにかく、それが私のストーリーだよ、K. P. 。私は自分の人生を完全には誇れない。でも、そのことを受け入れた。私はできるかぎり快適であろうとし、楽しもうとした、しかし私は何事においても現実を否定しない。私は根本的には、自分が次の注射のために生きている単なるジャンキーであることを知っている。

感想

私が本当に好きな映画「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」より

この投稿の非常におもしろい点は、大富豪の話を聞く投稿者は、哲学科を卒業し、知恵を追求して生きてきた失業者(当時)であり、知恵を求めるあまり経済的に自立できていない状態の者だったということです。

投稿者には知恵はあっても、世の中を動かす力をもたなかった。一方で大富豪は絶対的な力を持ちながら、自分がしていることに確信を抱けず、疑念を抱いていた。このコントラストが印象的な内容になっています。

あとは個人的な感想です。

はじめは「金持ちざまあ!貧乏人正義!」とか、「資本主義はやっぱクソ!」的な読み方をしていたのですが、よく読むとずっと深い内容だと感じました。実のところ、私は彼と同じ虚無に直面しています。

私も金儲けは大好きですが、彼ほどは執着はしません。基本的に「知性>金」だと思っているからです。金があっても知恵がなければ不幸ですし、知恵があれば金がなくても自由に楽しく生きていける。

しかし、金を追求することと知恵を追求することは本質的に違わないのだと最近考えています。私が知恵を追求するのは、大富豪が金を求めるのと同じ――それがより多くの快楽と権力を与えるからです。

私がなにか知識をたくわえようとするとき、投稿の大富豪と同じような虚無感や意味の不在を感じることがあります。読書をして新しい知識を得るときには「麻薬中毒者が注射を打つ」ような快楽を覚えるし、知的深化をすすめるときには「権力が賞品のゲーム」のように感じることがあります。

そういった意味で、私は大富豪の葛藤に共感しますし、境遇はまったく違えど、本質的に同じ類の人間であると感じます。

そもそも、人間は権力ゲームに興じるジャンキー以上でありうるのか? と……索漠とした気分になります。

自分がしていることを直視せず、自分を騙して生きている――それはビジネスマンだけではなく、ほとんどの人間に当てはまる「クソいまいましい真実」ではないでしょうか。

3 comments

  1. はてなブログの頃から拝読させていただいておりますが、今回初めてコメントさせて頂きます。高卒ながらも思想・哲学には興味を持っていたので、御厨鉄さんの記事はとても理解しやすく、勉強になります。自分自身は生活や将来の事もあり、安月給の賃金奴隷を受け入れざるを得ない立場ではありますが、こうした普段の生活では得られない知識はとても新鮮で、常々更新を楽しみにしております。

    今回の記事で感じている事、とても共感出来ます。私自身、御厨鉄さんの影響を受けて『バガヴァッド・ギーター』や『唯一者とその所有』などを読んだり、積んだりしていますが、読めども読めども満たされない飢餓感的な感覚は確かにあります。どこまで行けば満たされるのかも分からず、渉猟の日々を重ねていく内に何を目的に読み始めたのか迷うこともしばしば……外的な物質(金銭)と内的な物質(知性)の差こそあれ、上記の「大富豪の告白」で語られた事をそっくり「読書」に置き換えている状態かもしれません。

    以前『高IQの世界』のコメント欄を読んでいて感じましたが、金銭にしろ知性にしろ、マウント取りが全てなのかもしれません。その場での優劣を決めるための材料でしかないのでしかない、みたいな。そうであれば、「では知性とは、知能とは何だったのか」となってしまうw(これは研究職などではあてはまりませんが、身の回りにいる「大して頭が良くないのに、周りからは頭が良く思われている人」レベルではありそうな話だと思っています)そのための仮定の指標として「IQ」があるのかもしれませんね。

    「生きる理由などありはしない」とフランスの某ダダイストは言いましたが、結局、全ては暇つぶし程度にすぎない物かもしれません。金銭と知性の類似性については、どちらを求めるかは人の「気質」が問題ではないかと私は時々考えます(『バガヴァッド・ギーター』的に言えば、純質・激質・惰質の所謂「三徳」ですかね)気質で人の性格や志向や好み、求める物が変わってしまい、金銭にしろ知性にしろ、果ての虚しさは変わらない……ただ、外的要因に左右されず、ボケない限りは永続性を保っていられる知性の方が、人生において重要視されていると言った程度のものなのかも(この気質こそが、人と人との相互理解を阻む障壁でもあるのだろうとも考えてしまうのですが)

    最後の二行の件ですが、そもそも人が自分の行いをしっかりと自覚もって行えていれば、世の中こんなにも悪徳が蔓延るものでしょうか。謙虚に、自己を見つめることが出来る人間が多ければもう少しましな世の中になっていたかもと思う今日この頃です。

    とりとめのない、的外れなレベルの低いコメントで申し訳ありません。陰ながら応援しております。今年は天候や気温がぐちゃぐちゃです。御厨鉄さんも、体調には十分お気を付けくださいませ。

    1. 私の影響でギーターや唯一者を読まれたとのこと、とても嬉しいです。

      >金銭と知性の類似性については、どちらを求めるかは人の「気質」が問題ではないかと私は時々考えます
      私も同じことを考えていました。金儲けを選ぶか、知を選ぶか、というのは生まれ持った性質の違いでしょうね。
      「大富豪」もギーター風にいえば「行為に専心している」わけで、決して間違った生き方ではないように思います。

      私も「生きる意味などない」というニヒリズムに傾倒しているのですが、このニヒリズムはなかなか厄介ですね。
      最近は東洋思想に関心がわいてきます。「無から有が生じる」とするのが東洋思想ですから。
      あたたかいコメントありがとうございます。今後も読んでいただけると幸いです。

  2. 少し閃いた気がしたのでコメントさせていただきます。

    「金を求めるか知を求めるかは性質の違い」というのは同感です。ただ、両者に最大の相違があるとすれば、知は圧縮できるのに対して金はそうではない(表面上は圧縮できますが)という点ではないかなと思いました。

    達人や賢者が独特な美しさを帯びるのは圧縮された力を所有しているためで、富豪が(一般的に)あまり美しくないのは肥大した力を所有していることが原因なのかなと思います。星が綺麗なのも膨大なエネルギーが凝縮されているからかもしれません。というわけで、知を求めるのは美意識も関係しているのかなと思いました。

    ところで「人間はジャンキー以上でありうるのか」という事については美や愛といった(とても騙されやすい概念w)が鍵になりそうなのですが頭痛くなってきたので寝ます。
    度々失礼しました。

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