「成長のための成長は癌細胞のイデオロギーである」Edward Abbey

貧困、ホームレス、過労死、失業者、強盗、孤独、不眠、鬱病、肥満、パワハラ、セクハラ、そして金持ちの変態。

資本主義が生みだした/増大させたものの例です。

私たちは資本主義を当たり前のものだと認識しています。親しみさえ覚えている。ヒナ鳥が初めてみたものを親鳥だと思うように。

「だって資本主義はもっとも自由で成功した社会制度じゃないか」。そう考える人は山ほどいる。

人は資本主義がクソだと認識している者とまだ認識できていない者の二種類にわけられます。

もっとたくさんの人に資本主義のクソさをわかってほしい――そんな思いで反資本主義の入門を探していると、ちょうど良いものが見つかったので紹介します。

by Mark Wagner

反資本主義101

Anti-capitalism 101より翻訳していきます。

著者はSteve Klabnik氏、原文はCCO 1.0ですのでかなり意訳・改変しています。

資本主義:はじめに

資本主義は3つの要素に基づく経済システムだ。

  • 賃金労働(賃金のために働くこと)
  • 生産手段の個人所有(工場、機械、農地、事務所のようなもの)
  • 交換と利益のための生産

生産手段や資本をもつ人がいる一方で、私たちのほとんどはそれを持たない。私たちは生き残るための賃金のために自分の能力を売る必要がある。

この最初のグループは資本家階級で、マルクス主義のジャーゴン(難解な意味不明の言葉)では「ブルジョワジー」と呼ばれる。後者のグループは労働者階級または「プロレタリアート」だ。

資本主義は「金がより多くの金を生むために投資される」というシンプルな過程に基づいている。

たとえば、企業がその利益を用いてより多くの人員を雇ったり、新しい施設をつくり、さらに多くの利益をあげるとき、この金は資本として機能している。資本が増大すると(あるいは経済が拡大すると)、これは「資本蓄積」と呼ばれる。これが経済の原動力となっている。

彼らがコストを他に移すことができるとき、資本蓄積はより増大する。環境を保護しなかったり、低賃金しか払わないことによってコスト削減できるのであれば企業はそうするだろう。したがって、破壊的な気候変動や広範にわたる貧困は、システムが正常に機能していることを意味するのである。さらに、金がより多くの金を生むためには、より多くの物事が金で交換できるようにならなければならない。日常的なものからDNA配列まで、そして決定的なのは――私たちの労働能力までが商品化される傾向にある。

そしてこれが最後の点だが――私たちの創造的生産的能力、また私たちの労働能力の商品化は――資本集積の秘密を隠している。金は魔法によってさらに多くの金になるのではない。私たちの行う毎日の労働によってなのだ。

すべてが商品として売られる世界では、私たちは必要なものを買うために何かを売らなければならない。自らの労働能力しか売るものがない私たちは、この能力を工場やオフィスなどを持つ人々に売らなくてはならない。そしてもちろん、労働で生産したものは私たちのものではなくボスのものになる。

さらに、長時間労働や生産性向上その他のために、私たちは労働者とやっていくための必要以上に生産する。私たちが得る賃金は、私たちが毎日生存し、働いていくために必要な商品の値段とだいたい同じである(だから私たちの月末の銀行口座額は、その前の月とほとんど変わらない)。私たちに支払われる賃金と私たちの生みだす価値の差異によって、資本が集積され利益が生み出される。

私たちの受けとる賃金と生みだす価値の差異は「剰余価値」と呼ばれる。雇用主による剰余価値の抽出が、私たちが資本主義を搾取――労働者階級の搾取――に基づくシステムだと見る理由である。このプロセスは民間企業だけでなく、すべての賃金労働で本質的に同じである。公共部門の労働者もまた、経済全体のコスト削減と利益最大化のために賃金や労働条件への攻撃に直面している。

無賃労働

資本の集積はまた、未払いの労働、たとえば家事や家内労働などにも依存する。つまり子どもを生み、育てることでの労働力の再生産――次世代の労働者――であり、そして現在世代の労働力に肉体的、感情的、性的に奉仕することである。この無給労働は主に女性によって行われる。

男性や子どもの面倒を見ることは資本に奉仕する。家事と再生産を労働ではなく、女性の「自然で女性的な」プロセスにつくりかえることによって、資本主義は無賃労働の利益を得る。資本は夫に賃金を払えば、一人ではなく二人の労働者を得ることができる。家内労働の賃金を否定することは、労働を不可視とすることになる。

競争

資本集積のためには、ボスは市場において他の企業のボスと競争しなければならない。彼らに市場の力を無視する余裕はない。そうでなければ彼らはライバルに負け、金を失い、破産し、買収され、最終的に私たちのボスではなくなる。したがってボスたちが資本主義をコントロールしているのではない。資本それ自体がコントロールしているのだ。

ボスと労働者は、したがって、この過程によって疎外される。しかし違った方法によってだ。労働者の視点からは、私たちの疎外はボスにコントロールされることによって経験される。ボスは非人格的な市場の力と他のボスとの競争によって経験する。

このことから、ボスと政治家は「市場の力」の前には無力であり、それぞれが継続的に蓄積するための行動をする必要がある(ともあれ彼らはまったくうまくやる!)。彼らが私たちの利益のために行動することは不可能だ。彼らが私たちに譲歩すれば、それは国内または国家間でのライバルを助けることになるからだ。

例えば、もし自動車を作る新しい技術が開発されたなら、生産性を二倍あげて労働者の半分をクビにし、利益をあげ自動車の価格を下げて競争力を保つことができる。もし別の企業が従業員にとって良い企業であろうとし、人々に悪い思いをさせたくないのであれば、最終的にその企業は廃業に追い込まれるか、より冷淡な競争相手に買収されるだろう――競争力を保つためには新しい機械を導入し、クビを切らなければならないのである。

もちろん、ビジネスが完全に好きなように自由にできるなら、独占企業がたちまち発達し、競争を停止させ、システムは急ブレーキがかけられることになるだろう。なのでそこに国家が介入し、資本全体の長期利益のために行動する。私たちは泥棒男爵時代のアメリカでこのことを観察できる。

国家

資本主義社会における国家の第一の役割は、資本主義システムを維持し、資本集積を助けることにある。私たちが資本に反して自らの利益を追求しようとするとき、国家は労働者階級への抑圧的な法律と暴力を用いる。たとえばストライキ規制法によって、またはストやデモに対する警察や軍隊の派遣によって。

現代の資本主義下の国家の「理想的」なタイプは自由民主主義である。しかし資本蓄積を続けるためにときに違った政治システムが用いられた。ソ連の国家資本主義、イタリアやドイツのファシズムはそのような例となるモデルである。それらはその時代の権力層が資本主義の継続を脅かす労働者階級の強力な運動を破壊するために必要だったのである。

抑圧が過剰なとき、国家は脆弱となる。この理由により国家と国際法は労働者の権利と環境を守るのである。一般に、これらの法律の強さと効力は、雇用者と被雇用者の間のパワー・バランスによって増減する。たとえば労働者がよく組織化されており戦闘的であるフランスでは最大の労働時間は週35時間である。労働者があまり戦闘的ではないイギリスでは最大労働時間は週48時間、そしてストライキすらしない米国では完全に制限がない。

歴史

資本主義は「自然な」システムとしてあらわれる。人間のコントロールを超越した力によって生まれた山や丘のように形づくられたもの、人間の本質から生まれた経済システムであるように。

しかし資本主義は「自然な力」によってではなく、世界中の激しい膨大な暴力によって確立されたのである。第一に「先進」国においては、エンクロージャー(囲い込み)によって自給自足で暮らす農民を共同体の土地から追いだし、工場で働かせるために都市へ移らせた。すべての抵抗は破壊された。賃金労働の強制に抵抗した人々は、放浪者法vagabond lawsや投獄、拷問、強制送還や処刑の対象となった。イギリスではヘンリー8世の統治時代だけで72000人が放浪により処刑された。

その後の資本主義は西洋帝国主義勢力による侵略と征服によって広まった。共同体が彼らの土地から賃金労働に追いやられることによって、すべての文明が無残にも破壊された。征服を逃れたわずかな国々は――日本のように――国外の帝国勢力に対抗するために自ら資本主義を採用した。

資本主義が発展したところのどこでも、農民と初期労働者たちは抵抗した。しかし、最終的には巨大な恐怖と暴力に屈服した。

資本主義は人間の本性から生じる一連の自然法から生じたのではなかった。エリートによる組織暴力によって広まったのである。土地と生産手段の私有という概念は現在では自然な道理と思われているが、私たちはそれが征服によって強制された人工の概念であることを思いださなければならない。

同様に、労働力以外に売るものをもたない階級の人々はつねに存在したのではない――共有されていた土地が強制的に押収され、飢餓または処刑の恐怖の下で賃金のために働くことを強制されたのである。

資本が拡大するにつれ、資本は搾取しまた依存するところの、世界人口の大多数からなるグローバルな労働者階級を作り上げた。

未来

資本主義が地球上の支配的な経済システムとして存在したのは200年と少しばかりに過ぎない。50万年にわたる人間存在と比べるとそれは一瞬の変化である。資本主義が永遠に続くと考えることは素朴といえる。資本主義は私たち労働者階級と私たちの労働に依存しているために、私たちがそれを許すかぎりでしか存続しえない。

階級と階級闘争:はじめに

第一に述べることは階級について表現するにはさまざまな方法があるということだ。多くの場合、人々が階級について語るとき、文化的/社会学的ラベルを用いて話す。たとえば、中産階級の人々は外国映画のようであり、労働者階級はフットボールで、上流階級はシルクハットといったように。

階級について語る他の方法は階級の経済的地位に基づくものだ。このように私たちが階級について語るのは、いかに資本主義社会が機能しているかについて理解する上で不可欠であると考えるからである。その結果、私たちがそれをどのように変えられるかがわかる。

階級と資本主義

現代の世界で支配的な経済システムは資本主義と呼ばれている。先に述べたとおり、資本主義は本質的に資本の自己拡張――商品と金がより多くの商品と金を生む――に基づくシステムである。

このことは魔法によって起きるのではなく、人間の労働によって起きている。私たちが行う労働については、私たちが自ら生産するもののほんの一欠片しか支払われない。私たちが生みだす価値と、賃金によって支払われる賃金の差は、私たちの生む「剰余価値」である。これは私たちのボスの利益として確保され、より多くの金を得るための再投資されたり、プールや毛皮のコートやらを購入するために用いられる。

このことが実現するためには、自らで金を稼ぐためのもの、たとえばオフィス、工場、農地、その他の生産手段を何ももたない人々の階級がつくりだされなくてはならない。生き残るために必要な商品やサービスを購入するために、自らの労働能力を売らなくてはいけない。この階級が労働者階級だ。

したがってスペクトラムの一極はこの階級であり、自らの労働能力以外持つものがない。もう一方の極には自らの資本を拡大させる労働者を雇う、資本を所有する人々がいる。社会のなかの個人はこのふたつの極の間のどこかに存在するが、政治的な観点から重要なことは個々人のある場所ではなく階級間の社会的関係である。

労働者階級

労働者階級、ときに「プロレタリアート」と呼ばれるが、この階級は生き残るために賃金労働を強制され、もし仕事が見つけられなかったり、働くには病んだり老いすぎている場合には給付金を請求しなければならない。私たちは自らの時間とエネルギーをボスの利益のために売っているのである。

私たちの労働は社会の基盤である。そしてこの社会が私たちの労働に依存していることは事実である。同時に利益を最大化するために私たちを抑圧することは社会を脆弱にする。

階級闘争

私たちが働くとき、その時間と行動は自分のものではない。アラーム時計、タイムカード、上司、締切やノルマに従わなければならない。

労働は私たちの生活の大部分を占める。自分の友人やパートナーよりも上司に会うことの方が多いだろう。たとえ私たちが仕事のいくつかの部分を楽しむとしても、それらを何かほとんどコントロールができないものとして、自分を疎外するものとして感じる。

このように強制された労働は、私たちに抵抗するよう強いる。

雇用者やボスは私たちから最大の労働量を求める。最大限の労働時間と最小限の賃金支払いによって。一方私たちは自らの人生を楽しみたいと思う。大変な労働はしたくないし、少ない時間でより多くの賃金が欲しいと望む。

この反作用が資本主義の中心である。この両サイドの綱引きなのである。雇用者は賃金をカットして労働時間を伸ばし、労働のペースを早くする。しかし私たちは抵抗しようと試みる。ひそかに個人的に、仕事を楽にし、同僚とおしゃべりする休憩時間をとろうとしたり、病気だと電話をかけたり早退したりする。あるいは私たちは明白に集団的に、ストライキやスロー・ダウン(怠業)、占拠によって抵抗することもできる。

これが階級闘争である。この対立は賃金のために働かなければならない私たちと資本家階級または「ブルジョアジー」と呼ばれる雇用者や政府との対立である。労働の強制に抵抗することによって、私たちは自らの生活がボスの利益よりもより重要であると主張することになる。この攻撃は階級や生産手段の私的所有のない世界の可能性を示している。私たち労働者は自ら自身の存在に抵抗しているのだ。私たちは労働と階級に苦しんでいる労働者階級なのだ。

職場を超えて

階級闘争は職場で行われるだけではない。階級対立は生活の多くの場面であらわれる。たとえば、手頃な価格の住宅はすべての労働者階級に関係するものである。しかし、私たちにとって住宅が手頃であることは「彼ら」にとって利益がないことを意味する。資本主義経済においては、何万人もの人々がホームレスになることよりも、私たちが手頃に購入できる家を建てるよりも、贅沢な豪邸をつくりあげることの方が理にかなっている。したがって公営住宅の建築を守るための闘争、または生活するための空き家を占拠する(参照:スコッター)ことは階級闘争の一部となる。

同様に、医療の提供は階級対立の場となりうる。政府や企業は医療サービスに支払制度を導入し、予算を削減し、コストを労働者階級に負担させようとする。一方で私たちは最小限のコストで最良の医療を受けたいと望む。

「中産階級」

資本家の経済的利益は労働者の利益と正反対だが、少数の労働者階級は他の労働者よりも良い生活をしていたり多くの権力を持っている。社会と歴史の変化について語るとき、プロレタリアートのこの一部分を「中流階級」と呼ぶことは有用だろう。

階級闘争はときに中産階級の創出や拡大を許すことによって遅らせることができる。マーガレット・サッチャーは1980年代の大闘争の間、公営住宅を安く販売し住宅所有を促進させた。労働者が住宅ローンを持っているとストライキをする可能性が低くなることを知っており、いくらかの労働者に集団レベルではなく個人レベルで良い暮らしをさせるために。そして南アフリカでは、黒人の中産階級の創出がアパルトヘイトが終わったときの労働者による闘争を遅らせることに役立った。黒人の労働者に限られた社会的流動性を許し、システムの恩恵を与えることによって。

ボスは労働者階級を物質的、心理的に分断させるためのあらゆる種類の方法を探しだそうとする。賃金の差異や専門的地位、人種やジェンダーなど。

再度強調しておこう。私たちは労働の社会的諸力を理解するために階級の定義を用いているのであって、個々人をラベルしたり、いかに個々人が特定の状況で行動するかを論じているのではない。

結論

政治的な意味での階級を語ることは、資本主義を定義する基本的な対立について語ることである――生きるために働かなければならない私たちvs私たちの行う労働によって利益を得る人々。

資本と市場の独裁に対抗し、私たち自身の利益と必要を勝ち取ることによって、私たちは新しい種類の社会の基礎を築く――金銭、階級、資本主義のない、必要なものを直接満たしてくれる組織:リバタリアン共産主義社会を。

あとがき

客観的で網羅的でバランスがとれている文章です。マルクス経済学に忠実な内容ですが、マルクスを読んだことのない人にもわかりやすいでしょう。

特に強調されていることは、労働者と資本家の階級闘争によって私たちのいまある社会条件が決定されているということです。

デンマークが「幸福な国」なのは労働者たちが厳しく権力を監視し、権利を実力で守っているからであり、日本のように何も知ろうとしない抵抗もしない人ばかりだとどんどんブラック化していきます。

資本家と労働者との綱引き――極端に単純化されているようですが、資本主義は究極的にこの両極の闘争なのです。

この文章は無賃労働(≒シャドウ・ワーク)の記述があるところも良いですね。結局女性への抑圧は資本主義によって最大化されたのでした。

また、「分断統治」についての記述があるのも重要なことです。大企業正社員のような比較的裕福な中産階級は、資本主義が維持するために作られた存在と言える。

究極的に資本主義の終焉は労働者が団結して「NO」を突きつければ終わります。労働者が働かなくなればすべての社会は崩壊するからです。

最後まで読んで「なんだ結局共産主義の宣伝かよ」と思った人がいるかもしれません。「リバタリアン共産主義」は無政府共産主義とだいたい同じです。国家の強制によるかつての共産主義とは異なり、自由な連帯による下からの共産主義です。

資本主義はクソです。

でも私たちはすでに資本主義のクソさを認識するだけでなく、ポスト資本主義の時代を模索する段階にあるといえます。

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2 comments

  1. コメント失礼します。
    都内に住む大学生です。
    約3ヵ月くらい前から御厨さんのブログを拝見しております。

    ブログを読んでいくうちに、物事の考え方や見方が変わり、特に日本の教育や政治に関する違和感がありましたが、それがスッキリした感覚がありました。(資本主義の洗脳から解き放たれた感じですね笑)

    そして私はプリミティブな社会には大賛成です。
    次回以降の記事も楽しみにしています。
    コメント失礼しました。

    1. コメントありがとうございます。私の記事が役に立ったようで嬉しいです。
      プリミティヴィズムについては今度記事を書こうと思っています。

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