人生の時間は限られています。

週40時間労働を何十年も続けることは、生命をドブに捨てるようなものです。

統計データを見ていたら、悲しい事実がわかりました。

8時間の自由時間は実際には2.6時間

一日8時間の労働が提唱されたのは今からちょうど200年ほど前でした。

1817年、改革者のロバート・オーウェン氏の労働短縮運動の際に「8時間睡眠、8時間労働、8時間余暇」というスローガンをかかげました。

8時間の余暇――なんでもできそうですね? でも、ここには罠があるのです。

その自由時間――つまり、労働と睡眠の間の自由時間には、しなければならないことが山ほどあります。

ヒゲを剃って、通勤電車に乗り、食事を作り、風呂に入り、自動車を整備に出し、歯医者へ行く。自由な時間は実はほとんどない。

総務省統計局の平成28年社会生活基本調査によれば、フルタイム労働者(週40~48時間労働者)の生活の内訳は以下のとおり。

  • 睡眠 436分
  • 食事 92分
  • 通勤 49分
  • 家事 80分
  • 身の回りの用事 92分
  • 買い物 27分
  • 通勤を除く移動 29分

※「身の回りの用事」とは「洗顔、入浴、トイレ、身じたく、着替え、化粧、整髪、ひげそり、理・美容室でのパーマ・カットなど」です。

これは休日と平日をあわせた平均値です。労働日の睡眠時間はもっと短く、通勤時間は長いでしょう。しかし便宜的に労働日の数字として用います。

さて、睡眠や食事など生活に必要な時間は「805分」となります。これは13.4時間です。

それでは、労働の八時間を加えると、私たちは何時間を生活に費やしているのか?

答えは、21.4時間です。

つまり、あなたが労働日でほんとうに自由に使える時間は、2.6時間です。

たった2.6時間。この時間で何ができるでしょうか? ほとんど何もできません。ボケっとYoutubeでも見てたら終わりです。

さっさと眠って、明日の労働に備えなければいけません。

補遺:週単位ではどうか

もっと正確に考えてみましょう。平日と休日が混同されているため、上の記述は正確ではありません。

休日を含めた平均労働時間は382分です。これに上の睡眠+生活に必要な時間の数字を含めると、19.8時間です。つまり、休日をあわせても、平均して4時間しか自由時間を持ちません。これは24時間のうちの16%です。

つまり、フルタイム労働者の自由時間は、その40年近くの間、16%だけです。

その他の時間は、ただ生きるため、明日も仕事をするために費やされます。

週40時間労働制は完成された支配システム

週40時間労働は、資本主義における完成されたシステムです。

一日12時間労働などの長時間労働と比べると多くのメリットがある。

  • 労働者が健康であり続けることで熟練労働者を維持できます。
  • 能率よく労働ができるため、労働者のミスが減り、同じ賃金でも高い生産性が得られます。
  • セックスや子育てのための時間を与えることで次世代労働者の再生産が可能になります。
  • 娯楽やレジャーのための最低限の時間を与えることで、ストライキや賃上げなど階級闘争の意欲を奪うことができます。
  • 勉学や知的深化のための十分な時間を与えないことで、労働者を他律的な従順な労働者として管理できます。

週40時間労働制は、「成熟した資本主義システム」の一部です。つまり支配を強固にし、持続可能にします。

私たちにとって自然ではないし、有益でもないのです。

短時間労働のすすめ

万人のうちで、英知に専念する者のみが暇のある人であり、このような者のみが生きているというべきである(セネカ)

私は一日4時間労働をしていたことがあります。そのときの感想を率直にいえば「ストレスフリー」でした。

単純に考えて2.6時間の自由時間が6.6時間になりますから、やりたいことはだいたい何でもできました。それなりの労苦はありましたが、安定した収入がある分、ニートのときより気楽だったと思います。

ギリシア語のschole、ラテン語のscholaは、知識を探求する余暇、およびそのための時間と場所を意味しました。

管理された生ではなく、自由な自律的な生を送りたい人、自分自身の大きな目標がある人はフルタイムの労働から解放されなければいけません。

自由な時間がなければ、私たちは自らを十分に発達させることができません。未熟な人間のまま死にたくないのであれば、40時間労働を脱出すべきです。

2 comments

  1. 普段ネットには書き込まない人間なのですが、失礼します。

    最もです。私も全くの同意見です。
    まぁ残念ながら周囲の人間から理解が得られることは少ないのですが。十中八九変人か怠け者扱いされます。…怠け者で何が悪い!頭が良い人間は効率厨で無駄を嫌うから大抵怠け者なんだよ(自画自賛)。

    古代ギリシアでは、暇な時間(スコレー)によって高度な文化が気付かれたのは余りにも有名で、少し教養のある人間なら誰でも知っている事実です。てか、世界史の教科書(資料集だったかな?)にすら書かれているくらいですし。

    労働に囚われる人生とは、嗚呼なんて嘆かわしい!
    知性追求こそ人生。人は獣畜生ではない!

    …なんでみんな不思議に思わないんでしょうね?よく8時間も耐えられるよね。それはそれで凄いとは思うけれども。過労死してもしょうがないよなぁ。
    かのラッセルさんとかも短時間労働にせよ、と説いていましたね。あーベーシックインカム実現しないかなぁ。

    そもそも。
    かなりマクロな見方になるけど、一部の欲深い人間のせいで、我々のような知的追求を至上とする人間が割りを食っているんだよねぇ。
    ここまで高度な文明があるのなら最低限の生活水準を保つような資源分配は本来なら可能のはず。
    しかし実際は金儲けが得意な(或いは偶発的要因による)、一部の人間に過剰供給され他の人間は貧困に喘ぐ。既得権益を貪る俗物がいるのでしょう。
    俺にはこんな便利な生活も、溢れたモノも、いらないから時間(つまり最低限の生活維持の為の金だけ)をくれ。頼む。お前らの欲望という都合を押し付けるな。

    行き過ぎた資本主義。言い方は悪いけど、賢者が愚者の贄になる社会なんですよ。バカが得をする。

    …むしゃくしゃして書いてしまったw
    ちなみに。
    こんな書き込みをしてしまいましたが、私は決して共産主義者ではありませんw資本主義万歳ではないだけです。

    ただの通りすがり、底辺INTPの戯言ですからお許しを。
    こういう挑戦的なブログ好きですよ。頑張ってください。

  2. 現在いわゆるフルタイムで仕事をしている者です。なんとなく感じていたことが言語化されていて興味深く拝読しました。かつて大学で教わったことの中に”芝居の幕構成は呼吸のリズムで”というのがありました。観客の注意を引く派手な幕とそうでない幕を交互に配置して芝居を作るように、という意味でしたが日常生活も同じという気がします。仕事して、或いは仕事に必要なことをして”息を吸った”分はどこかで”息をはかなければ”ならないのですが、バランスが全くとれていない生活です。無理して短い時間で”息を吐ききる”必要が有りますが、その短い時間さえ勝手な相手の都合で残業という形で削られます。1時間残業すれば1時間長く”息を吸”うのに”息を吐く”時間は1時間短くなります。
    会社に雇われて働く身ですので、このブログからすれば低次元の話でしょうが、一つの小話として読んでいただければと思います。

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