2019-08-25

「仕事辞めたら何をするの?」と同僚に聞かれた。

「何も考えてない」と私が答えると、彼女は笑った。

私も笑った。

そろそろ退職が近いので、労働とはなんだったのか? と考えている。

The Observer II by Jeffrey Smart

賃金労働は奴隷制度である

賃金労働は奴隷制度である。このことについて疑いはない。

ある人は言った。GAFAで働いている人は? シリコンバレーで働く人は? 高給取りの医者はどうなのか? 彼らエリート層は零細企業の経営者よりも自由・権限・富を持つことが珍しくない。

これについてはいろいろな考え方がある。彼は結局、週40時間働かなければならないのだし、彼が働く企業の資本家は彼よりもはるかに利潤を得ているのだから奴隷に過ぎないという説。

あるいは彼らはプロレタリアートとプチブルジョアの間の半自律労働者Semi-Autonomous Wokers(Wright)であるという考え方。つまり、彼らはある程度職務における自由裁量、管理権限を持つため、単純にはプロレタリアートとはいえないという。私はこちらの考えの方が好みだ。

しかし、例外のことを考えるのはやめておこう。何にでも例外がある。古代ギリシアでは、自由人よりはるかに裕福な奴隷がいた。だからといって奴隷制度が存在しないわけではない。

日本人の労働者の平均年収は430万円であり、99%は年収1500万円以下だ(平成 29 年分 民間給与実態統計調査より)。ところで、年収1000万円以上を「勝ち組」と言う人もいるが、これは労働者同士を対立させる分断統治のひとつで、現実にはただの賃金奴隷に過ぎない。

賃金労働の自己実現?

まじめに働くことがよい人生か?

勤勉は美徳だと私たちは100万回聞かされてきた。しかし、他のすべてと同じように、繰りかえし説かなければならないことは虚偽である。

賃金労働は奴隷労働だ。だから「賃金労働は自己実現だ」ということは、オーウェル「1984」の「戦争は平和だ」のようなダブルスピークである。

……もっとも、世の中には生まれついての奴隷が存在する。私はいろいろな職場で、奴隷根性を持つ人々が、オーバーワークと権威への絶対的献身によって、腐臭のする「自己実現」を果たすのを見てきた……。

ともあれ、まともな人間たち――これが少数か多数かはわからないが――にとって労働は自己疎外である。週40時間の労働は、大半の人間を惨めな存在へと変えてしまう。彼にはほとんど自分の時間がない。余暇時間のほとんどは労働の精神的ストレスと肉体的ストレスを発散させるために用いられる。たとえば、酒を飲んだり、ディズニーランドへ行ったり、映画を見る、ゲームをする。資本主義はあらゆる選択肢を用意する……。

労働者のほとんどは、能動的に、創造的に生きることがない。死ぬ前から死んでしまう。賃金労働者としてクソマジメに働くことは、自分を殺すことである。彼は経営者にとって物を言う道具であり、虐待される娼婦である。

奴隷の反逆 サボタージュ

「そうしない方がありがたいのですが」(メルヴィル「バートルビー」

私が賃金労働をしていて実感したことがある。それは労働ではなく、労働の拒絶に自己実現があるということだ。

労働の拒絶とは、あらゆる意味での職務怠慢である。

上司の目を盗んでのサボり、あるいは上司をうまくコントロールして快適な環境をつくること、可能な限り労働効率を下げて時間あたりの労働を薄めること、本来発生しない残業代や経費を奪取すること、会社の備品をうまく私物化すること、あるいは同じ労働者との秘密の結託、労働や権威を軽蔑するゆかいな談笑に興じること、こういったことはただ命令に従うだけの労働者にはない「創造性」がある。

実際、こういったことは多かれ少なかれ大半の労働者がしていることだ。けれども、それをなにか後ろめたいこと、くだらないこと、ネガティブなものとして一般的に考えられている。

私はこれらを、むしろ賃金労働者にとって非常に重要なことだと考えている。労働の拒絶を、意識的に、肯定的に、なんら反省することなくwillfulに行うこと、ここに労働者の反逆があると考えている。

労働者がサボるときには、だれかの意志ではなく、自分の意志にしたがっている。そしてそこには少なくとも、創意工夫、ある種の技術の熟達と、勇気を必要とする挑戦がある。つまり命令に対する盲目的服従よりもはるかに自己実現的である。

賃金労働者は、労働を軽蔑し、拒絶することによって、人間として成熟する。

自由人を目指すこと

古代の奴隷にせよ、中世の農奴にせよ、奴隷状態から解放される人間はつねに存在した。

古代ローマでは、死ぬ前に奴隷を解放すると天国へ行けるとされており、解放奴隷がたくさんいたというし、勤勉にはたらいて恩赦されたり、金で自由を買った奴隷もいた。中世では、農奴―領主という封建社会構造とは別に自治的な宗教集団や職能集団が存在しており、それらに加入したり、または個人として宗教者や手工業者、芸人となることができた。

奴隷状態から解放される人間がいることは、現代でも同じである。投資や起業によって富を築き上げ、自由人となる賃金奴隷は存在する。これはかつての奴隷たちと同じく、少数者に過ぎず、決してイージーな道ではないが、たしかに方法はあるのだ。

私自身、まだ先になるだろうが、賃金奴隷から解放されるための努力はしている。支出を切り詰め、貯蓄をし、投資の勉強をしている。月に5万円で生きられるような生活条件を構築しようと試みている(これは非常に愉快な勉強だ)。

大半の労働者は――かつての私もそうだったが――労働を嫌悪する一方で、自分が自由になれるという可能性から目をそむけて、その場その場の享楽に身を沈める。休日にはショッピングだ、ディズニーランドだ、クラブや居酒屋だ、アマゾンでガラクタを買おう、かっこいい自動車を買おう――彼らは必要のないものを借金で買うことすらする。まさに自分で自分の首を締めている。もちろんこういう意志薄弱な労働者がほとんどだからこそ、資本主義は成立している。

自分を律することのできる、そして自由を愛する少数の労働者は、未来の目標を定める。社会の道徳規範や誘惑に束縛されることなく、解放へ向かって努力する。そこには創造性があり、能力と勇気を必要とする挑戦があり、したがって自己実現的である。

もっとも、労働から解放されればすなわち良い人生があるわけではない。重要なのは何からの自由かではなく、何へ向かっての自由かである。この点については以前訳した

創造的労働者

人間のあいだで――ただ反逆者のみがもっとも美しい人物であり、完全な存在である。(「個人主義と反逆」レンツォ・ノヴァトーレ

賃金労働者は奴隷である。私たちは奴隷的境遇にある。だからといって、精神まで奴隷となることはない。みずからの置かれている状況に反逆することによって、主体的な人間となりうる。

自分が置かれている状況が自分を規定するのではない。自分がおかれている境遇に対してどうするか、そのアティチュードが人間を規定する。

したがって、賃金労働者であっても、それに反逆することによって精神の自由を得ることは可能である。反逆者は、賃金労働という過酷で屈辱的な状況でさえ、笑うことを知っている。彼は困難をすすんで受け入れ、それを楽しみさえするだろう。

反対に、自由人や金持ちであっても、精神的に不自由な人間はいくらでもいる。

自己を確立すること、能力と勇気と創造性を持つこと、そこに自由で楽しい人生が存在する。弱者は自らの境遇に打ちのめされて嘆くが、強者は自らの境遇を笑い、破壊する。

7 comments

  1. 賃金奴隷系の記事を読む度に業務時間中は労働から解放されて読書や創造的な活動をしたいと妄想していながら、実際に時間が出来るとソーシャルゲームやネットサーフィンでダラダラと時間を浪費してしまう自分を省みて辛いような恥ずかしいような気持ちになります。
    同時に、その感情が正しいこと(この場合は御厨さんが説いている様な生き方)にそぐわないものだから、というところから来ていた場合、自らの行動を規定する主体を自分ではなく他人に置いているという点で本質的には生まれながらの奴隷的性質に変わりは無いのではないかと不安になります。
    御厨さんはアナーキストとして自身の思想を確立していく中で、自分が単に先人の思想を模倣しているだけではないかと不安になったこと等はあるのでしょうか?

    1. 恥ずかしいことではないですし、それが自然なことだと思いますよ。
      私も最近まで余暇時間は酒を飲んでだらだら過ごしてました。
      なにかきっかけがあればそういった悪癖はなくなるんじゃないでしょうか。

      >御厨さんはアナーキストとして自身の思想を確立していく中で、自分が単に先人の思想を模倣しているだけではないかと不安になったこと等はあるのでしょうか?
      最近までそういう感覚はつねにありました。実際私の思想は模倣だらけなので。
      ただ、さいきんはエゴイズムと出会ったことで、何にも頼らず真に自己創造的に生きる試みをしています。
      赤ん坊がひとりで立つまでには何かにしがみつかなければいけないものですし、自立の前にある種の模倣があることは自然だと考えています。

  2. 借金してまで不必要なものを買う話がありましたが、これメディアや広告代理店(注)が原因ではないかと思います。つまり、誰かが奴隷を欲していて、それを目的に実際は流行っていないものをあたかも流行っているかの如く錯覚させ(特に日本人にはこの「みんなとは違う」感覚がひどく不快になるようなので、とても有効になる)、貯蓄や投資に回す資金をなくさせる。これでどんな条件でも働かざるを得ない状態にさせる。

    奴隷労働というと、同様に国家もそれに加担していると考えています。目的かただの結果か不明ですが、セーフティーネットを減らすことで、何歳になっても、あるいは学生でも奴隷労働させることを企んでいるのではと思います。もし国家が国民に幸せな生活を望んでいたら、ブラック企業を根絶する取り組みをしたり(実際はせいぜい有名企業を調査するくらい)、あるいは失業時のセーフティーネットを充実させるはずですから。

    (注)電通などは、ほとんどこれをさせる気満々のようです(「電通戦略十訓」)。http://d.hatena.ne.jp/keyword/%c5%c5%c4̽%bd%b7%b1

    1. そうですね。結局、本当に必要なものは安価で買えるので(パンや塩など)、マスコミの洗脳から解放される必要があります。

      国家はもともと、大量の奴隷労働を維持管理するシステムですから、「労働者の幸福」などは考えないでしょう。
      もし考えるとすれば、テロや示威行為など、労働者が実際に支配層に危機感を与える場合のみです。

  3. 先程、初めてこのサイトを訪れましたが、大変興味深く、面白いです。
    僕も、賃金労働者ですが、ニートになっても平気でいられるよう、経済的自由人になる事を目標に、資本の蓄積と投資をしています。
    国家や社会から逸脱して生きれるほど強くはありませんが、今あるシステムを利用し、飯のタネが作れるくらいには成長したいので、勉強と行動と修正を繰り返してます。

    ところで、「反対に、自由人や金持ちであっても、精神的に不自由な人間はいくらでもいる。」と書かれていましたが、なんだかイメージが湧きませんでした。少し抽象度を具体に寄せて、教えていただけないでしょうか?

    自由人なのに、精神的に不自由ってなんでしょう?
    仮定ですが、金持ちや自由人は、経済的に自由であり、誰かに依存していないのであれば、独自の商売を持っていると思います。
    故に、思考し実践できる力があるから、それを成し遂げ、継続できてるのだと思います。

    すみません、細かい所の質問ですが、もし気が向いたら教えてください。

    1. 組織に所属などせず自由な毎日だが、精神的に未熟で解放されてない人ではないでしょうか。

      自由な上で
      ・人の目が気になり行動に自ら制限をかけてしまう
      ・未熟なゆえ、彼氏(彼女)や親がいないと何もできない
      ・薬物やゲームなどに依存しすぎて抜け出せない

      ここらへんパッと思い浮かびます

    2. こんにちは。経済的あるいは階級的な意味での自由人と、精神的な意味での自由人は違います。
      朔さんがあげているように、経済的に自由でも、精神的には恐ろしく貧しい人なんてさほど珍しいものではないと思いますが、いかがでしょう。

      また、「思考し実践する力」がなくても、経済的独立は可能です。
      結局この世は階級社会なので、親が自由人なら子どもは無能でも自由人のことが多いです。
      もちろん、底辺層から成り上がった人間の大部分は「思考し実践する力」を持っているでしょうけど。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です