2019-03-25

車上生活への準備を進めている。

具体的には、ソーラーパネルの設置、カーテンを張る、ベッド・システムの構築、収納部分を作成……。

今のところ、車内での睡眠に関しては、室内で眠るのと変わらない快適さを実現できている。何度か試したが、8時間、ぐっすりと眠れる。身体のどこも痛くない。あまり快適で愉快なので、最近では車内で眠る方が多い。

創意工夫によって住空間を構築するこのような営みはほんとうに楽しい。なぜか? それは「自分のもの」だからである。私の自動車は、私の持ち物であり、追い出されたり奪われたりしない。賃貸物件のように、壁に画鋲で穴を開けることさえ躊躇することはない。好きなだけ工夫と試行錯誤をして、好きなだけ快適にすることができる。

そう、私の自動車は、私が好きなようにできる「私の家」なのである。

これがどれほど革新的なことなのか考えてみよう。

私たちは、自分の住む家が自分の物ではないということにつねに脅迫されて生きてきた。

18歳まで、私たちは「親の家」に住んできた。大学へ行けば、賃貸住宅のような「地主の家」に住んできた。会社に入れば、また別の賃貸か、会社の社宅に入る。いずれにせよそれらはすべて私たちのものではない。

非道な親たちは「嫌なら家から出て行け」と子どもたちに言う。それは他に生きる方法がないことを子どもたちに教えるためなのである。お前は私に従う他にないのだ、さもなければ生きていけないのだから――これはもちろん、奴隷化の訓育のひとつである。そして、文明のドグマであり、現代資本主義のドグマでもある。

労働者たちは、失業すれば住むところを失う。従順か、死か。労働か、ホームレスか――「ホームレス」とは、資本主義社会の与える恐怖のもっとも大きなもののひとつである。私たちを労働に駆り立てるのは家を失う恐怖だ。給料の3分の1の家賃に住んでいる場合、仕事を失えばたちまち破綻してしまう。

家を追い出される恐怖とはどれほど強力なものだろう! そしてその代償として「マイホーム」への執着が異常に肥大化している。もちろんその心理を資本家は利用する。人は数千万円も払って、何十年ものローンで家を買う。これは驚くべきことだ。西暦2000年を超えた文明社会で、何十年も働いて、やっと手に入れるもの(借金がこれらを前後させるが同じことだ)、それは単なる「家」なのである。これが進歩的な文明人の姿なのだという。このバカバカしさを理解するためには、狩猟採集社会では、ものの数時間で家を建てられることを考えればわかるだろう。

自動車を家にする。これは革新的なことだ。

自動車に住むことは、消費と労働のサイクルからの解脱を可能にする。私たちはコンビニや、24時間スーパー、道の駅や林道の先に車を停めてそこに住まう。トイレはコンビニのものを借りて、公園の水を飲み、太陽光やオルタネーターによる発電で電力を確保する。図書館で本を読み、コインランドリーで洗濯し、カセットコンロで調理をし、寝袋で眠る。この生活は、自動車の維持コスト、税金を除けば、ほとんど金はかからない。

端的に言えば、労働者のすべてが車上生活が可能となり、「いざとなったら自動車生活ができる」ようになっていけば、それは革命的なことである。

金がかからなければ、労働する必要も少なくなる。低い賃金でも、数ヶ月働いてあとは自由に生きることが可能になる。なにせ「自分の家」を持っているのだから。うまく投資による収入や雑収入を得ることができれば、労働から解放されることも可能だ。なにせ、私たちは大家に払う家賃もマイホームのローンもないのだから。

私たちが持つべきもの、それは最低限の住空間なのである。それは、自動車という数十万円で買える鉄の箱のなかに無理なく構築できるだろう。家を持てないこと――そのことが、土地やアパートを持つ地主や、賃金を与えることで支配・管理しようとする資本家に支配されることを意味する。

車上生活は資本主義社会からの解放を実現する。

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