愚者にとっての夜は、賢者にとっての昼である。

たしか仏典の言葉だったと思う。

ある人間が賢いか、愚かかを知りたいときには、良い方法がある。彼の前で無知のふりをしてみるのである。

自分が知っていることを、相手が知らない――そのとき、愚人は喜々として教えたがる。実際、そのときほど彼らの顔が輝くときはない。一方で賢人は、極力知らないふりをする。

なぜこのような違いがあるか。愚人にとっては知的優位を感じられる機会は宝石のように貴重だが、賢人にとってはうんざりするほどありふれているからだ。

それに、賢人は自分よりも愚かな人間に知的劣等感を抱かせることの危険を知っている。愚人は愚人であることを認められないがために愚人なのである。愚人に知的劣等感を与えたとき、彼は自分を反省するかわりに他者を憎む。賢人はそのことを知っているから、そのような状況を恐れる。

だから、君がある人間が賢いか愚かかを知りたいときは、彼の前で無知のふりをすればいい。

Spring by Theodore Rousseau

天才の苦悩は、バカにバカにされることだ

とだれかが言っていた。

しばしば、愚人は賢人に馬鹿にされる。「民衆はしばしばよりよき知恵をもつ。必要なことのみを知るがゆえに」(ラクタンティウス:ショーペンハウアーの孫引き)。

愚人は物事を知らないのではない。彼らの頭脳は、賢人と同じくらい回転している。ただ、彼らは皮相的なこと、非本質的なことばかり頭に詰め込んでいるのだ。しばしば、愚人ほど勝ち誇った人はいない。彼らはたしかに物事をよく知っている。しかし、物事をまったく知らない。

Tor Matsonという人がQuoraの「賢人のもっとも悲しい真実って?」という質問に回答していた

賢人でいることは、ほんとうに、ほんとうに孤独だ。

楽しくない。魅力的でもない。

クソほど苦痛だ。そしてもし君が頭がいいだけでなく、同情的でもあるならば、歴史上のこの時点で、生活はほんとうにひどい地獄だ。君は何が間違っているかを知ることができるし、どうやって良くすればよいかがわかり、そして良くしようと思うが、君にはそれができない。

頭の悪い人々は君のアイデアはバカげてると言う、彼らは彼ら自身のことを理解していないから。だれも君を理解しない、彼らがいかに努力しようとも。君は複雑なアイデアのすべてを説明することさえできない。ほとんどの人が興味を失うから。君は人といるとき、ほとんどのときに正直でいられない。人々はしばしば怖がり、身を守ろうとする。

君は単純な改良ですべてを10倍良くする方法を知っているが、それを実現する力をもたない。このことは今日でもっとも悲しい出来事であると私は言おう。非常に高いIQであることをだれにも望まない。平均より少し高いくらいがいい。本当に頭が良いことは、本当に苦しいことだ。君がなにを達成しようと、どうすればもっとうまくやれたかが、耐え難いほど詳細にわかるから。

賢人と孤独

多数の人間と関わりあいながら生きることは、愚人にとっての幸福であり、賢人にとっての地獄であるようだ。

愚者は世俗の常識や他人の号令に従って生きることを望む。これは愚者の数少ない知恵であり、彼らはそれが生存に役立つことを知っているのだ。

賢者は世俗の常識が他人を支配する道具であり、それに従って生きることは人生を台無しにすることだと知っている。

愚者は基本的に社交好きで、集団主義的で、大衆的で、コンフォーミストで、権威主義的である。一方で賢者は、隠者的で、個人主義的で、反逆者で、反権威主義的となる。

歴史的事実。文明社会は、つねに、大量の奴隷か奴隷的人間を前提とした。そして文明の発展とともに、効率的に、より膨大な量の愚者が生産された。

賢人には乾燥した清涼な空気が必要だが、しかしこのような時代では、窒息してしまう者も少なくない。

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