2019-05-30

「生まれつきの奴隷」を肯定すること、それは「私たちはみな同じ人間だ」という耳に馴染んだ考え方を捨てること。「私と彼らは違う」という「距離へのパトス」を持つこと。

【距離へのパトス】ニーチェの用語。彼によれば人間類型は,強さと弱さ,偉大と卑小,高貴と低劣などに応じて2分されるが,前者が後者に身を引下げるのではなく,あくまでも後者に距離をおき,わが身を保持しようとするパトスのこと。人類の向上もこれによってのみ期すことができるとされ,したがって同情をきびしく退ける貴族主義的思想が展開されることになる。(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典)

主人道徳と奴隷道徳。好きな方を選ぼう……。

主人道徳奴隷道徳
力、強さ、誇り、優越、高貴さ、富、勝利、野望、権力、自己肯定、勇気、激烈さ、厳格さ、権力への欲望、弱者への恐怖の使用弱さ、優しさ、同情、有用さ、苦しみからの解放、忍耐強さ、謙虚さ、平等、寛容さ、理想、権力への欲望の破壊、利他主義

強い人間、創造的人間

ルドルフ・シュタイナーがニーチェについて書いた本をまた読んでいる。

私はニーチェが昔から好きで、ニーチェアンを自称していたのだけど、アナーキズムに傾倒してから、また「奴隷道徳」にはまってしまっていた。

つまり、私は弱者に同情してしまっていた。

真実なのは、個々の人間だけであり、この個々の人間の本能と衝動だけである。自分の個性の要求を大切にするときにのみ、何が自分の人生の目標かを知ることができる。自分を否定して、自分を手本に似せようとしても、決して「完全な」人間にはなれない。自分の中から実現されたいと迫ってくるものを、実現するときが、完全な人間になれるときなのである。

弱者は自分の本性ではなく、宗教や道徳に従って生きる。彼らは「善き人間」になろうとするが、そのとき内的な本能と衝動はかき消えてしまう。

人はただ自らの自然の衝動に従い、なりたい者、なるべき者になる必要がある。

強靭な精神は、人間に行動を促す原因を、常に、個人の権力への意志の中に見出す。しかし弱い、勇気のない知性の持ち主は、このことを認めたがらない。自分の行動を決めるのが自分であると認めるだけの勇気がないからである。そこで自分を左右する衝動が、自分ではない権力の命令によると考える。私は、自分が欲する通りに行動する、とは言わないで、自分はそうすべきだと命じる掟に従って行動する、と言う。そう言う人は、自分で命令しようとは望まず、従いたがる。

弱者は自分の人生に対して、自分で責任を取ることができない。弱者は人生を自分のものとする力に欠けており、そのことを認める勇気もないからである。責任から逃れるために、彼は自由からも逃れる。

創造する人は反対する人を容赦しない。悩める人の徳である同情など、気にもかけない。彼を駆り立てるのは力であって、他人の苦しみを感じとることではない。彼が働くのは、力を勝利させるためであって、悩める人、弱い人を守るためではない。……創造する人は看護人の仕事を引き受けるつもりはない。有能な人、健康な人は弱い人や病人のためにそこにとどまることができない。同情は力と勇気と大胆さを失わせる。

強者は、弱者をあえて切り捨てる。弱者に同情を抱かない。

社会を殺すか自己を殺すか

「家畜的人間の隷従する自由をどのように守るか」という問題に、しばらく思い悩んでいた。答えは自明のはずなのに。なぜかはわからない。たぶん、体調が悪かったのだろう……。

私は自分の自由を優先させる。それだけだ。

エミール・アンリという爆弾テロリストがいて、彼はパリのカフェを爆撃し、多数の人々を無差別に殺傷したわけだけど、そのことを責められたとき、彼は「無辜の人間などいやしない」と答えた。私はこの言葉が好きだ。

アナーキストが反対するのは、上からの権力ではなく、下からの権力に対してでもある。個人主義的アナーキストは、「社会」や「大衆」、とりわけ「畜群」に敵対する。少なくとも、それらの上に自己を置く。これは結局、価値判断だ。「私の自由」と、「大衆の自由」、もしそのふたつが衝突するとき、私は容赦なく大衆の自由を奪う。

Thonet Chair and Carpet
by Avigdor Arikha

世の中には生きるべき人間がいて、死すべき人間がいる。まさに生きるべきではない人間を生かすことによって文明社会は実現している。

私が望む社会は、各々が自らの才能を、だれかに邪魔されることなく、十分に発達させることのできる社会である。私は諸個人の自己発展を望む。しかし、家畜化された人間にとってそれは困難だろう。「自由な個人的発展」は彼らには不可能だろうし(なぜならそれは、独りで立つことを意味するのだから)、他者がそうしようとするとき、彼らはそれを妨害するだろう。

そのとき、どうして彼らを尊重する必要があるだろうか?

隷従を望む人間など、私とは無関係だ。もしも彼らが私の自由を奪おうとするのであれば、私は容赦なく彼らを破壊する。それだけのことだ。

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