2019-08-01

国家は死んだ。

山や川は見えるが、countryは見えない。
男と女、子どもと老人は見えるが、nationは見えない。
徴税の通知や警察官は見えるが、stateは見えない。

国家というおばけ

国家は存在しない――と最近考えるようになった。

これはべつに新しい思想ではない。「共同幻想論」や「想像の共同体」といった言葉はどこかで聞いたことがあるだろう。しかし、そういった理論を知っていることと、ほんとうに国家が存在しないのだと考えることは別のことだ。

多くの人が「神は幻想だ」とは言うけれど「国家は幻想だ」とは言わない。聖書は読まれなくなったが、教科書と新聞はあいかわらずのベストセラーだ。すべての近代国家は例外なく同じことをする。新聞と教科書をつうじて、ひとびとに「ここは○○国であり、お前たちはこの国の民なのだ」と教え込むこと。国家は人々の信仰を必要とする。神のように、信仰がなければ存在できないフィクションだから。

この観点からは、アナーキストも国家主義者でありうる。アナーキストが国家を強大な実在者として前提するとき、それは国家というおばけを実体化することになる。

現実には、国家なんて「私」の前には、弱々しい、ちっぽけなものに過ぎない。私の人生に国家はほとんど関係がない。

「国家が存在しないだって?」――「君は目を閉じているだけだ、見たくないものを見ないようにするために」「それは知的怠惰に過ぎない」

――けれども、逆である。国家が存在しないことに気づいたのは、目を開いたときだった。

Standing Figure with Hands on Belt by Nathan Oliveira

インサレクションが国家を消す

国家を消してしまう過程には、エゴイズム思想があった。

「国家」や「政府」は、多くの人々によって尊敬され、恐れられる、自らの上に立つものとして理想化されている。彼らはそれを「私の国」と呼ぶ。……しかし、エゴイストは一切の理想を持たない。理想は彼自身の理想に過ぎないことを知っており、それらの理想から自らを解放することを知っているために。彼女は理想の利益のためではなく、自己自らの利益のために行動する。……彼/彼女には「国家」への尊敬はない。「政府」は単なる人間の集まりであり、その人間は大馬鹿者であり、多数となるとさらに大馬鹿者になるところのものであることを彼女は知っている。……彼/彼女は国家なき人間である。(「エゴイズム」ジョン・ビバリー・ロビンソン

私は国家なき人間である。

どうしてそんなことが可能なのか? あの強力な、だれもを支配し、管理し、抑圧する国家を打倒せずして? 私は革命なくして国家というおばけをバスターした。私的なインサレクション(暴動)によって。

インサレクションとはなにか。革命とは何が違うのか。「唯一者とその所有」を読んでみよう。以下は英訳からの私の訳。

革命revolutionと暴動insurrectionは同義語とみなされてはならない。前者は状況、確立された状況や地位、国家や社会の逆転を含み、したがって政治的または社会的行為である。後者はまさに不可避の結果である状況変化を持つが、それ自体から始まるのではなく、人間の自らに関する不満から始まるものであり、武装蜂起ではなく、個々人の蜂起であり、それが生みだすところの協定に関係なく行われる。

暴動は、革命のように政治的、社会的行為ではない。ただ個人の不快な状況における衝動に起因する、個人の行動である。

革命は新しい協定を狙うものである。暴動は自らが協定されることではなく、自ら協定することを導く、そしてきらびやかな「制度」を望むことはしない。

暴動は確立されたものthe establishedに対して戦うことではない、うまくいけば、確立されたものはそれ自体が崩壊するからである。それは確立されたものから出んとせる私の前進にすぎない。私が確立されたものから離れるとき、それは死に、崩壊する。

暴動は、あらたな社会的協定を生みだすこととは無縁である。そしてたとえば国家のような確立されたものに対して、自らを解放することを求める。なんらかのきらびやかな「制度」によって自らが協定されることを望まない。

さて、私の目的は確立された秩序の転覆ではなく、私がそれよりも上昇することであり、私の目的と行動は、政治的あるいは社会的ではなく、(ただ自己とその所有へと直接的に向かう)エゴイスティックな目的と行動である。

暴動は、確立されたものの上に自らを位置づける試みである。そのとき、確立されたものは崩壊する。このプロセスは、ただエゴを追求することによって可能であり、社会的、政治的な過程とは無縁である。

私のインサレクション

私は国家が嫌いだ。不快だ。だから、消した。

具体的に、どのようなインサレクションによって私は国家を消すことができたのか。インサレクションといっても、大仰なものではない。主には生活の変化、エピクロス的節制と、恐怖からの解放を実現したこと。

私は自由である。国家の干渉は、私の自由にほとんど影響を与えない。

私は素朴な生活をしている。卵や納豆、もやしを食べている。何年も同じ服を着古している。先月の生活費は家賃を除けば3万5千円であった。私はたっぷり寝る。少しの遊びを楽しみ、孤独に暮らしている。さて、国家が重税を課して私から富を強奪したところでそれがなにをもたらすのか? 私はいまと同じ生活をするだけだ。

私は少しの友人と理解者との関係を楽しむ。名誉や社会的成功はどうでもいい。ところで、国家がなにをしようと、この友情の楽しみを邪魔することはできない。私を監獄に閉じ込めてもいい。刑務所のなかは興味深い人間ばかりかもしれない。

国家は私を殺すことができる。しかし、私が私であることをやめさせることはできない。私はまじめに毎日生きているから死ぬことが怖くない。

私はテレビを見ないし、ネットのニュースも見ない。テレビや新聞にだけ存在する知らない人の存在を信じない。私は自分よりもバカな人間がバカなことをしているのを見ることは楽しまない。

すなわち、国家の権力は、私の生活になにも干渉しない。それはあまりにも下だから。――国家は、ピラミッド構造だと言われるけど、あらゆる首都の標高が低いように、ほんとうは逆ピラミッドなのである。汚泥が沈殿するところ。

国家は私の人生に影響を与えないから、私は関心をもたない。「滑稽なもの」「よくできたおもちゃ」として楽しむことはあるだろうけど。

楽しく充実した人生を私が生きることと、国家という存在はなにも関係がない。私は北朝鮮に生まれようが、戦時中の日本に生まれようが、自分が自分であることを喜び、自由に楽しく生きていける。

私はそういう力を持つように生まれ、その力を持っている。だから、国家は存在しない。

シュティルナーと道教――壮年の思想

ところで、「国家を消してしまう」というのは、ひとつの理想を、ひとつの知識を減らすことにほかならない。これと同じことを老子が言っている。

「学問」を修める者は日々に知識が増える。「道」を修める者は日々に知識が減る。知識を減らして又減らし、そのことによって、意図を持って事を為さないという状態に至る。

私たちははじめに学問を修めようとするが、やがて道を修めるようになる、と老子は書いているのだろう。

同じことは、シュティルナーも主張している。シュティルナーは人間の発達過程を「少年期」「青年期」「壮年期」「老年期」と分けた。

少年期、私たちは「現実主義」である。身の回りのものごとに支配されている。青年期になると私たちは「理想」を追い求めるようになる。

純粋な思想を明るみに持ちだしてこれに与することは、青年の喜びである。真理、自由、人道、人間などというような思想世界のあらゆる絢爛たる姿は、若き魂を照らし、感激せしめる。(「唯一者とその所有」草間平作訳)

言ってしまえば、ヴィーガンや大学知識人のような左翼主義者は青年的だと言える。アナーキストの多くも、理想社会を追求するときに青年的である。

しかし、人は知的成熟を通じて壮年となる。そのとき彼はエゴイストとなる。

人が体のある自分を愛し、そのままそっくりの自分を悦ぶようになるときーーただしそれは成熟期、すなわち壮年でなければ起らないーーそのとき初めて、人は自己自身の・もしくは自我的の関心egoistic interest、すなわちたんに僕らの精神の・でなく、全体の満足の全人の満足の・関心を、利己的関心を、持つのである。試みに壮年を青年と比較してみたまえ、諸君の目には、彼の方がいっそう頑固で、狭量で、利己的selfishに見えないだろうか。……彼はただ、一層堅実になったばかりだ……一層「実際的」になったのだ。だが、大切な点は、青年が他のものに、たとえば神、祖国、などに「夢中になる」のと違って、壮年はむしろ彼自身を中心とすることである。(同)

この青年から壮年への変化、理想主義からエゴイストへの変化は、まさにここ最近私のなかに起きた変化だった。(それでは「老年期」は? シュティルナー曰く「俺はまだ壮年だから知らない」と……)

私は30歳である。いい年だ。大学生の頃とは違ってそれほど理想を求めなくなった。

私はただ自分が楽しく自由に生きることにしか関心がない。それは知的肉体的な成熟といえるし、青春の死ともいえるだろう。

3 comments

  1. 今までも色々な「おばけ」を消されて来ましたがついに国家(笑)を消すことになりましたね。
    かなりスケールダウンしますが、僕の中でも「世間」のようなものは消えていました。というかシャットアウトしていたら勝手に消えました。干渉を最小限にしてその存在が薄まれば消えたも同然なのかもしれません(あとそういえば関係あるか分かりませんがダンテの地獄も逆ピラミッドでしたね)。
    僕は20代半ばなので青年期みたいですね。でも段々と理想主義的な本が退屈になってきました。広く啓蒙しようとすると千年はかかりそうですし。今は次に解くパズルを探しているところです(それかパズルを作るための材料集めですね)。

    あと話変わりますが前回の記事はとてもかっこよかったです。少しすっきりしました。「馬鹿だな」と言われるのに対して「どう見ても馬鹿はお前の方だ」と言っても疲れるだけですしキリがないので基本的に引き下がるしかないんですよね(知性にもチャンピオンベルトがあれば話は簡単なのですが)。でも見えにくいものを見通すのが知性であると考えるとある意味自然な現象なのかもしれません。

    あと色々と評価を受けられていますが、僕は御厨鉄さんの特徴は「枠にとらわれない知性」と「計り知れない器」だと思っています。一定の水準に達したら満足する人はとても多いですが、変わり続ける人は最も希少だと思います。僕も見習いたいです。あと矢のような批判を恐れない勇敢さですね。

    また変なことを口走ってしまいそうで胃が痛いのでコメントを控えていたのですが、北欧神話の本(エッダ)に「贈り物はささやかでもよい」みたいなことが書いてあったのでコメントしました(そもそも贈り物になっているのか分かりませんが、まあコメント欄がまた賑やかになればw)。

    なんだかまた色々と変なことを書いてしまいましたが、これからも知の錬金(?)を楽しみにしています。長々と失礼しました。

    1. 国家を消してしまうのはかなり勇気がいることでしたが、消してしまえばなんてことはないですね。結局、国家とは幻想なんですから、みんなが目を覚ませばなくなるわけです。

      器が大きい、とははじめて言われました笑 私はむしろ、自分の器は小さい方だと思っていて、そのせいでころころと考えが変わっていくのかなと思っています。ひとつの思想にとらわれると身動きが取りづらいですからね。

      ともあれ、コメントありがとうございます。孤独に書いているので嬉しいことです。

  2. 東京に在住でしょうか?東京大神宮に祈願に参られてはいかがでしょうか。
    帰りに、神楽坂でフランス料理でも食べて来られては?
    神は、案外あなたの近くにいらっしゃるかも。
    しばらくGoogleしか見ないで過ごされては。
    世界中のデータを集めていますから、あなたのことも、ご存じですよ。

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