2019-08-09

マックス・シュティルナー。本名、ヨハン・カスパー・シュミット。

あまり有名な思想家ではないですが、個人的にはニーチェ以上のインパクトがある思想家です。

彼の主著「唯一者とその所有」の日本語訳は1929年のクソ古い訳クソ高い現代訳(上下巻で7000円!)しかなくとっつきづらい。

そんなわけで、初学者にやさしいと思われるアンドリュー・R・カールソンの「Anarchism in Germany」(1972)から一部を訳してみます。

シュティルナーの思想

Intérieur (Entrée d’un appartement Parisien) by Pierre Roy

法律を拒絶する

シュティルナーは法律を拒絶する。法律が存在するのは、人間がそれらを自らの利益に都合が良いと認識するからではなく、人間がそれらを神聖物としてとどめておくからだ。君が権利について語るとき、宗教的概念をとりいれていることになる。法律が神聖であるために、それを破るものはだれでも犯罪者となる。したがってそこにはなにか神聖なものに対する犯罪者以外存在しないことになる。もし君が法律の神聖性sacrosancitityを取り除いたとき、犯罪は消える。現実には犯罪とは、国家によって神聖化されたものを冒涜する行為以上ではないからである。

権利を否定する

シュティルナーによれば、権利などというものは存在しない。力が正義を生みだすMight makes rightからである。人間は、彼が所有し維持することのできる力を持つものであれば、すべてを持つことができる。それをどのように取るかを知る人間に大地は所属する。自己幸福Self-welfareは、法律よりもしたがうべき指導原則であるべきだ。シュティルナーは、袋いっぱいの権利よりも、一握りのちからによってより多く前進できると比較した。自由を得る方法は力を通じてである。彼は法律の上にたつ力を持つから。ある人間が完全に自由となるのは、ただ彼が維持するときであり、彼の力によって維持するときである。そのとき彼は自己所有者であり、単なる自由人ではない。だれもが自らに言う必要がある。私は自分自身に関するすべてであり、すべてを自分の目的のために行う。私は唯一者だ。自分ほど重要なものはない。シュティルナーは、ある人間が良いとか悪いとかを信じないし、何が真実か、良いか、正しいか、といったことも信じない。それらは神―中心、または人間―中心の世界の外ではなんら意味をもたない概念である。人は自らの利益を中心におき、自分自身のことがらに集中すべきだ。

国家を拒絶する

シュティルナーは国家を拒絶する。法律がなければ国家は不可能である。法律の遵守は国家をともに維持する。国家は、法律と同じように、個人が自らの幸福のために有用という認識ではなく、それを神聖だとみなす虚偽によって存在する。シュティルナーにとって国家は、法律と同じく、神聖ではない。シュティルナーは国家の不倶戴天の敵である。国家の福祉は彼自身の福祉とはなんら関係がない、だから彼はなにもそれのために犠牲にすべきではない。一般的福祉は彼にとっての福祉ではなく、彼にとっては自己否定を意味する。国家の目的は個人を制限し、手なづけ、服従させ、国家の目的のためになにか全般的なことを彼に課すことにある。国家は個人が自らのほんとうの価値観を獲得することを妨げ、同時に個人を搾取して彼から利益をとりだすことができる。

国家とエゴイストの連合

国家は人間の間に立ち、彼らを引き裂く。シュティルナーは国家の財産と創造物となる代わりに、国家をみずからの財産と創造物に変える。彼は国家を完全に廃絶し、その場所にエゴイストたちの連合Union of Egoistsを形成するだろう。国家は個人的意志の拒絶であるために破壊されなければならない。国家は人間にとって集団的単位としてあらわれるために、エゴイストと国家とのあいだの闘争は避けられない。国家が完全に廃絶されたとき、エゴイストの連合がその優越性を示すだろう。連合は神聖ではないし、人間の力の上にある霊的な力でもない。それは人によって創造される。この連合のなか、人はたがいに相互の利益をつうじて維持し、連合に参加することによって、個々人は彼の個人的力を上昇させる。おのおのの人間が自らの唯一性を守る。彼が真の自己実現を達成すれば、彼は他者を支配しようと求めたり、必要な者以上を所有しようとは思わなくなる。そのことは彼の独立を破壊するだろうから。

エゴイストの連合と共産主義

シュティルナーのエゴイストの連合は共産主義ではない。それは個々人が、それ自体において発展するエゴイスト連合から得られる相互利益によって参入する連合である。そこには主人も従者もいず、エゴイストだけが存在する。第三者に「自らの正当性」を証明する者がいないために、だれもがみずからの唯一性のなかに身を引く。そのことは衝突を防ぐだろう。エゴイズムは個々人のあいだの、真の、自発的連合を育む。シュティルナーは、エゴイストの連合が従う社会的組織の形態をなんら発展させなかった。組織は、それ自体がシュティルナーの連合にとって忌み嫌うものである。連合のなかで個人はみずからを発展させることが可能になる。連合は個人のために存在する。エゴイストの連合はシュティルナーが反対したところの社会と混同されてはならない。社会は神聖だと考えられる人間を要求するが、個人を消費する。連合は、連合を自らの利益のために消費する個人によって構成される。人々が自由にエゴイストの連合に参入できるために、法律、国家、財産の廃止がどのように実現されるのか? それは十分な数の人間が第一に自らの幸福を最高の法律として認識し、内なる変化を経験すること。それからそれらの人間が外的な表現:すなわち法律、国家、財産の廃絶をもたらすときに起きる。

革命と反逆

シュティルナーにとって革命と反逆rebellionは同義語ではない。革命は既存の国家や社会の状態を覆すことにある。したがって、革命は政治的、社会的行動である。反逆は、一方で、状況の変容である。反逆は人間がみずからに関する不満を抱くことに起因する。それは武装蜂起ではなく、個人の蜂起である。反逆はそれが生みだす協定について考慮しない。革命は新しい協定を望む。反逆者は人々に、もはや自らが協定されることではなく、自らが協定することを望む。既存の制度や機関に大きな希望を抱かずに。反逆は確立された秩序に対する戦いではないが、それが成功したとき、秩序の崩壊をもたらす。シュティルナーは、秩序のエスタブリッシュメントの打倒を、打倒そのことのために行うことを求めない。彼は自らをその上に高めることに関心がある。彼の目的は政治的、社会的ではなく、エゴイスト的なのだ。

力が必要である

状況の変化をもたらし、法律、国家、財産の新しい状況をもたらすためには、既存の条件に対する暴力的反逆が不可欠である。力が必要だ。もしそれぞれの人間が必要なものを手に入れるためには、それを取らなければならない。これは必然的にそれぞれの万人に対する戦争を意味する。貧者は、ただ反逆者となったときのみ自由で所有者となる。国家は暴力的反逆によってのみ打倒される。ただ反逆のみが成功する。革命は失敗する、それはただほかの望ましくない政治的社会的条件を設定するだけだから。反逆のみが、望ましくない政治的社会的条件を完全に排除し、自己の最高次の実現を達成することのできる、エゴイストの連合に入ることを人間に許すのである。

終わりに

自分を所有せよ、自分を所有されるな

超簡単に言えばそういう思想です。自分を所有するとは、自分自身の唯一性を、力によって実現・維持していくことにあります。

シュティルナーの思想は、同じヘーゲル左派であるマルクスやエンゲルスに強い影響を与えました。ニーチェとカミュはかなり影響を受けていると私は考えています。他、フロイトやダーウィンにも影響を与えたという説があります。

アナーキストでは個人主義者やエゴイストである、エマ・ゴールドマン、レンツォ・ノヴァトーレ、シドニー・パーカーなどが強く影響を受けています。現代アナーキズムでは、アピオ・ラッドなどの暴動主義アナーキズムinsurrectionary anarchismに影響を与えています。

シュティルナーの思想はシンプルです。自分を支配しようとするものを退け、ただ自分の唯一性に依拠して生きよ、というものです。神、道徳、法律、国家、社会、あるいは自由、家族、愛といった偶像をすでに破壊した人にとっては、水のようにすんなり受け入れられる思想です。

しかし、シュティルナー思想の「エゴイストの連合」というのは少しわかりにくい概念です。個人主義哲学者のジョルジュ・パラントは、シュティルナーを批判して、「エゴイストの連合は社会に過ぎない」としました。

マルクスが執拗に攻撃したのがこのシュティルナーなのですが、結果としては、共産主義は神聖物として、神聖物らしい末路をたどったことは私たちの知るところです。では、エゴイストの連合が国家や私有財産を打倒するか? それはよくわかりません。

しかしながら、私はエゴイズムはその「即効性」に価値があると考えています。自己所有は、不自由な現状においても実現できます。資本主義社会でも、監獄のなかでも、自己所有は可能です。

多くの左派思想は、革命が起きてはじめて人間が自由になれるとされます。そのせいで、理想のために命を落としたり、いまここの状態に非常に不満のまま生きることとなります。そのような人々をシュティルナーは「君はおばけに取り憑かれているのだ!」と笑うでしょう。エゴイズムでは、少数の自己所有者があらわれて、次第に国家が「勝手に崩壊する」ということになります。もっとも、シュティルナーはそれを歴史の必然とか、革命の方法論として考えたのではなく、エゴイストたちが、エゴイスティックに生きていたら、勝手に国家は自壊するだろうと予想したのです。

私自身、自分を所有できている(少なくともそう感じている)ので、このようなクソ社会・クソ国家のなかでも楽しく生きることができています。

さて、「唯一者とその所有」はアナーキスト・ライブラリーにて英訳が全文公開されています。興味をもったら読みましょう。運がよければ図書館に日本語訳がおいてあるかも?

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