2019-11-23

生きる権利は乞い求めるものではなく、奪うものだ。

20世紀初頭パリの武装強盗集団を率いたマリウス・ジェイコブの「Why I Was a Burglar(1905)」を訳しました。

Moonlight Night on the Dnieper – Arkhip Kuindzhi

なぜ私は強盗だったか

Translated: for marxists.org by Mitch Abidor 2005;
CopyLeftCreative Commons (Attribute & ShareAlike) marxists.org 2005.

諸君:

今、私が何者であるかをあなた方は知っている。強盗の収穫品によって生きてきた反逆者。さらに私はいくつかのホテルを焼き払い、権力者たちの攻撃から自分の自由を守った。

私はあなた方に戦闘のすべてを明らかにした。それはあなた方の知性の問題として述べたのである。

私を裁くいかなる者の権利だろうと認めないために、許しや寛大さを求めることを私はしない。憎悪し軽蔑を抱く者に乞うことはしない。あなた方は強者だ。好きなように私を処分したまえ。流刑地なり、処刑台に送るがいい。なんだっていい! しかし道を別れる前に、最後にひとつ話しておきたい。

あなた方は私を強盗だと糾弾する。だから強盗とは何であるかをまず定義しよう。

私の考えでは、強盗は食欲を満たすためにすべての人間が感じる必要である。この必要がすべてのことを具体化する:生き物のように誕生しては死ぬ星々から、極小のために私たちの目からはほとんど認識できないほど小さな虫まで。生とは強盗と虐殺以外の何ものでもない。植物と獣は生きるために貪り食らいあっている。

ある者は他者のエサとして奉仕するためだけに生まれる。文明の程度、よりよい言い方では、人間の到達した完全性にもかかわらず、人間もまたこの法に課されているため、死の苦痛の下でのみ生き延びることができる。食べてゆくために人間は植物と獣を食らう。彼は飽食である。

生をたしかなものにする栄養補給の他、人間は空気、水、日光が必要である。しかしこれら栄養のために殺し合うふたりの人間を見たことがあるだろうか? 私は知らない。にもかかわらず、これらはもっとも貴重な物であり、なしでは人間は生きられない。

自分を奴隷にしてしまうものを摂取することなく、私たちは数日間過ごすことができる。空気について同じことが言えるだろうか? 4分の1時間でも無理である。水は私たちの組織の4分の3を構成し、その順応性を維持するために不可欠である。熱がなければ、太陽がなければ、生は完全に不可能である。

そしてすべての人間がその栄養を奪い、盗んでいるのである。彼を犯罪者として告発するだろうか? もちろんありえない! では、どうして私たちは他のものとこれらを差別するか。それは他方は努力が必要であり、一定の労働を必要とするからである。しかし、労働はまさに社会の本質である。つまり、すべての個人のアソシエーションとは、より少ない努力で良き生を獲得せんがためである。それが既存の社会のイメージだろうか? あなた方の機関はそのような組織様式に依拠しているか? 実態はまったく逆である。

人間が働くほど、得るものは少なくなる。生産するものが少ない者ほど利益を獲得する。価値は考慮されない。図々しい人間が権力を握り、自らの略奪を合法化することを急ぐ。

社会スケールの上から下まで、すべては、一方に卑怯者がおり、一方に愚か者がいる。このような真実を知ってながら、この状況を尊重できるなどとどうして私に期待できようか?

酒売りと売春宿の主人は富裕さを増し、一方で天才の男は病床で貧困死する。パンを焼くパン屋は何も得られない。数千の靴をつくる靴屋はつま先が見えている。大量の衣類をつくる織工は着るものを持たない。宮殿や城を建てる煉瓦職人は不潔なあばら家で新鮮な空気を求めている。すべてを生産する者は何も持たず、何も生産しない者がすべてを持っている。

このような状態は労働者階級と所有階級、つまり、何もしない階級との対立をのみ生む。闘争が勃発し、憎しみが打撃を与える。

あなた方は人を盗賊や泥棒と呼ぶ。彼がほかの者になれたのかどうかを自分に問うことなく、法の厳格さを適用するのである。不労所得生活者rentirerが強盗になったと聞いたことがあるだろうか? 聞いたことがない。しかし、不労所得生活者でも地主でもない私、生存の保証を得るためには自分の腕と頭脳しか持たない私は、違ったように自分を導かなければならなかった。社会は三つの存在様式しか私に与えなかった。労働、物乞い、強盗。労働は憎悪にはほど遠く、私を喜ばせる。人間は労働なしでは生きていけない。人間の筋肉と頭脳は、費やさなければならぬエネルギー量をもっている。私が憎んだことは、わずかな賃金のために、血と涙を流すことだった。それは私にとって許せない富を形成することであった。

一言で言えば、私は労働の売春に屈服することを憎悪した。物乞いは転落であり、すべての尊厳の否定だった。すべて人間は生の宴の権利を持つ。

生きる権利は乞い求めるものではなく、奪いとるものだ。

強盗は、所有権の返還であり、回復である。工場に閉じ込められるかわりに流刑地にいることを。権利を持つことを物乞いするかわりに、私はその財産を攻撃することで、富裕層と戦争をし、面と向かって敵に反逆して戦うことを私は望んだ。

無論、あなた方の法律に私が服従することが、あなた方の望みだったことは理解している。従順で疲れ切った労働者として、私は惨めな賃金とひきかえにあなた方の富を築き上げただろう。そして肉体が消耗し切り、頭脳が弱ったときには、私は街角で死んだだろう。そうすればあなた方は私を「皮肉屋の強盗」ではなく「正直な労働者」と呼んだろう。お世辞を言えば、あなた方は私に労働勲章さえ与えるかもしれない。司祭は騙された人々に楽園を約束する。だがあなた方はもっと具体的だ:一枚の紙切れをくれる。

諸君、あなた方の善良さ、謝意に感謝しよう。私は自動機械やカリアテッド(女像柱)になるよりも、自分の権利を皮肉に考える方を好む。

意識を持つようになってすぐに、私はなんら躊躇なく強盗になった。私はあなた方の、いわゆる道徳を一片たりとも持っていない。道徳は所有権の尊重を理想として主張するが、実際には地主以上に最悪の泥棒はいないのである。

諸君、自らを幸運と考えよ、この偏見が人々に根付いており、そのことが最良の憲兵として働くのだから。法律の、強制力の無力さを知って、あなた方はそれらをもっとも堅固な保護者にした。しかし、注意せよ:すべては一時的にしか続かない。構築されたすべてのもの、計略と力によって作られたものは、計略と力によって破壊されうるのである。

人々は日々進化している。これら真実を学び、権利を意識した、すべての飢える者、悲惨な者たち:つまりすべてのあなた方の被害者たちが、ジミーズ(泥棒が用いる金テコ)で武装し、自分でつくりだしてあなた方に奪われた富をとりもどすために、あなた方の家を襲撃しようとしているのが見えないだろうか?

彼らがこれ以上不幸になると思うか? 私は逆だと思う。もし彼らがこのことを注意深く考えるなら、彼らは悲惨に呻きながらあなた方を肥え太らせるよりも、すべての可能なリスクを冒すことを望むだろう。

「監獄……流刑地……処刑台」、そう言われている。しかし可能なかぎりあらゆる苦しみでできている獣の人生と比較したとき、それら見通しがなんであるか。

地球の内部でパンのために戦う鉱山労働者は、太陽の輝きを見ることなく、次の瞬間には爆発の犠牲者となり、死に至ることがある。屋根の上を渡る屋根葺き職人は、落下して粉々になる恐れがある。船乗りは出発の日は知るが、いつ港に戻るのかを知らない。他の多くの労働者たちは、あなた方の富を創造するために、職業行為により致命的な病にかかり、その身を消耗させ、毒し、自殺している。憲兵や警察官――あなた方の従者――でさえ、あなた方が与える、少しずつ齧るための骨を得るために、あなた方の敵との戦いのなかでときに死に至る。

狭量なエゴイズムで頑迷なために、この見方に懐疑的だろうか? 人々は怯えているから、あなた方は言うようだ。恐怖と抑圧で彼らを統治するのだと。彼が叫んだら投獄する。彼がヘマすれば植民地送りだ。彼が実行したら、ギロチンだ! これらすべては悪い計算である、諸君、私を信じてほしい。あなた方の与える判決は、反逆行為の治療薬とはならない。抑圧は、治療とはほどとおく、緩和剤にもならず、邪悪を増大させるだけである。

集団的基準は憎悪と復讐を植えつけるのみだ。それは致命的なサイクルである。ともあれ、あなた方はいくつもの首を切り落とした、そして監獄や流刑地を人で満たした。それで憎悪があらわれるのを防いでいるというのか? なにか言え! 答えよ! 事実はあなた方の無能を表している。

私の場合では、自分の行為の結果が流刑か処刑台以外の何ものでもないことを十分によく知っていた。それが私の行為を妨げなかったことをあなた方は知らねばならない。私が強盗に身を投じたのであれば、それは収入、儲けの問題ではない、原理の問題であり、権利の問題なのだ。私は自分の自由を、独立を、人間としての尊厳を望む。だれか他人の財産のための熟練工となるのではなく。率直に、湾曲な表現を避けて言おう。私は強盗されることより強盗することを望んだのだ!

もちろん、私も暴力や計略を用いてだれか他人の労働の成果を奪うことを非難する。しかしまさにその理由によって私は金持ち、つまり貧者からの強盗者との戦争をしかけたのである。私もまた強盗など消え去った社会に生きたいと思う。ただ私はもっとも不正なる強盗者:個人的財産への反逆の手段としてのみ、強盗を承認し、行使しただけなのである。

あなた方は、結果を破壊するためには第一に原因を破壊せねばならない。強盗があるのは一方に豊富があり、一方に貧困があるからである。なぜならすべてがただ少数者にのみ所属するからである。闘争がなくなるのは、人間が自己の楽しみと苦しみを共有したときにのみ、自らの労働と自らの富を、万人に所属させたときのみである。

革命的アナーキストよ、私は私の革命をした。アナーキーよ永遠なれ!

萌芽へ、あなた方へ、原因へ。

マリウス・ジェイコブ

マリウス・ジェイコブMarius Jacob, 本名:Alexandre Jacob(1879-1954)は、高い知性を持つ強盗であり、被害者に寛大ないわゆる「義賊」の一人。モーリス・ル・ブランの「アルセーヌ・ルパン」のモデルにもなった人物です。

彼は「夜の労働者」と呼ばれる窃盗集団を組織して夜盗や強盗を働いたが、その原則は単純なものだった。「自分の生活と警察からの自由を守る以外に人を殺さない」。

そしていわゆる社会のパラサイトとみられる職業――資本家、裁判官、軍人、聖職者などから盗みをはたらいたが、社会的意義がある医師や建築家、芸術家からは奪わなかった。盗みによって得た富の一部は、アナーキスト集団に分け与えられた。

彼はアナーキストですが、イリーガリスト(非合法主義)の多くのアナーキストがそうであるように、理想主義的・社会的なアナーキストとは良い関係をもたなかった。1903年、彼は強盗中に捕まり、ギロチン刑は免れたものの、死ぬまで強制労働の刑を宣告された。

訳者あとがき

「生とは強盗と虐殺以外の何ものでもない」ってすごいセリフですね。たしかに、自然界において奪い合いは普遍的ですが、人間だけがその行為を裁きます。そして弱者や貧者の強奪は処罰されますが、支配者側の強奪は裁かれることがありません。

「Property is Theft」というプルードンの言葉を知らないアナーキストはいないでしょう。つまり「私有財産は強盗である」。ここでの私有財産とは農地とか、工場のような、生産手段の所有を指しています。

ジェイコブの主張においても、支配者側の強盗を厳しく批判しています。彼の主張は非常に納得できる内容です。また、個人で、今ここの反逆で、今ここの自由を勝ち取ろうとする点では、現代の非合法主義アナーキストに通じるものがあります。

私はジェイコブのように強盗をしようとは思いませんが、彼の気持ちは非常に理解できますし、だれかを富ませるための労働や、自分を軽蔑する人間に乞うことを嫌う気持ちは非常に共感します。

人によっては、殺人者、強盗者というだけで彼を否定してしまうかもしれません。しかし、当時のフランスにおいて、彼が義賊として民衆の支持を広く集めたことは事実です。私自身、彼の文章からは、知性と勇気、そして弱者への同情を強く感じました。

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