レンツォ・ノヴァトーレRenzo Novatore(1890-1922)が気になっています。

イタリアの詩人、思想家、哲学者。思想は個人主義的アナーキズム、アンチファシズム、犯罪主義、過激主義。

影響を受けた人物として、マックス・シュティルナー、ニーチェ、ジョルジュ・パラント、オスカー・ワイルド、イプセン、ショーペンハウアー、ボードレールなどが挙げられている。

趣味がかなり合うのです……! 彼の作品のなかで、箴言集っぽいのがあったので孫訳してみます。

原文はOf Individualism and Rebellion

Dialogue, 2010 – Lee Ufan

「個人主義と反逆」レンツォ・ノヴァトーレ

人間は生まれつき社会的存在であると主張する者がいる。他の人々は、人間は生まれつき反社会的であるとする。

彼らが「生まれつき」というとき、何を意味するかはっきり理解することができないが、その両者ともが間違っていることを私は理解している。人間は同時に社会的であり、反社会的だからだ。

必要、欲求、恋慕、愛、そして共感は彼を社会性や連合に向かわせる要素である。

独立への渇望、自由への欲望は彼女を孤独と個人主義へと向かわせる。しかし、個人主義が社会に反するとみなされると、社会はその攻撃から身を守ろうとする。「社会主義」と「個人主義」の間の戦争は、バイタリティとエネルギーの創造性ある戦争である。しかし、個人は社会に必要であるが、他方社会はまた個人に必要なのである。

個人主義は、もしそこに個人主義を承認し、活かし、拡大させ、喜ぶことのできる社会がなければ存在することができなかっただろう。

* * *

人間のあいだで――ただ反逆者のみがもっとも美しい人物であり、完全な存在である。彼はいかに欲望せる意志の潜在的道具となるかを知っている。彼はいかに自分自身に服従し命令し、自己を守り自己を破壊するかを知っている。反逆者は生の秘密と、死の方法を学んだ者だから。

* * *

個々や全体に対しての反逆に転倒する者は、その転倒している間でさえ、優越している。

そして優越は、他者に対して、彼女の思想の炎をふきこみ、彼女の理念の光を他者に与えることを意味する。

しかし、転倒した反逆者のもっとも真の追従者は、倒れるときに、すでに倒れた英雄となった「反逆者」に対し、いかに反逆するかを知っている者である。

* * *

反逆の精神が永遠となるのを望むものはだれでも、子どもの反逆心が父の専制政治に変わることを望んではならない。

* * *

父が祖父に信仰の奴隷とならぬよう反逆したのであれば、私は父に対して、今度は彼の反逆を生みだした信仰の奴隷とならぬよう反逆した。

私の息子が今日の私とならないことがあろうか?

* * *

ただ反逆者が破壊したすべての廃墟からのみ創造的な天才が生まれることができる。

しかし、天才の創造が何を準備するというのか、それが新たな反逆でなければ。

* * *

真実を知るために殉教者に問う必要はないと信ずる点で私はニーチェに同意する。しかし欲望の力、大胆な傍若無人さ、巧みな創造的意志はただ天才、反逆者、英雄からのみ受け継がれる遺産である。

* * *

私は天才が「盗み」、愚か者が国務大臣に致死的な爆弾を投げるのを見た。

第一の盗みは独立して生き、自由を創造するためのものであった。第二の殺害は隠された個人的な憎悪と死への意志であった。

第一は「卑しいありふれた犯罪」を行った「ありふれた犯罪者」である。第二は「政治犯罪」を行った「高貴で寛大な政治犯罪者」である。さて私はすべての破壊的な人々、一般に政治的な人々、特にアナーキストに問おう――事実に直面するのであれば、さらなる「政治的犯罪」を栄光のすばらしさと太陽の饗宴のもとで育て上げ、「ありふれた犯罪」を泥の中に投げ捨てる機会である。

* * *

ああ! その作品を見る者はいまだに多すぎる。しかしその作品を見る前に、私は創造者を見る。しかし多くの――とても多くの――アナーキストたちのなかでも、個人はほとんど数えることができない……。

彼らの大多数はいまだにこう主張する暴徒の中にいる。「人間は重要ではない。出来事と理念が重要なのだ」。これこそが、私たちのなかでさえ、多くの高等で遠大な存在が泥のなかに投げ込まれ、多くの愚か者が太陽のもとで育まれる理由である。

* * *

私の憧れの声、私の必要の叫び、精神の飛躍、心の悲しみ、理念のスリル、そして思想の苦悩を理解しない者が、私を批判する権利を否定する。しかし私はただこれだけを理解している。君は私を批判したいのか? それならよろしい! しかし君は決して私の本当の自己を批判することはできない。君が批判するのは君が発明した「私」なのだ。君がその手中で私を破壊することができると信じているとき、私はそこにいながら、遠くで笑っているだろう。

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