2019-05-25

悪名高いことだが、アリストテレスは奴隷制を肯定した。

彼の主張はこうだ。人間には生まれつき奴隷が存在する。彼らは他者に道具として使役されること、他者の財産や所有物となることに自然の適性がある。精神が肉体を支配するように、主人は奴隷を支配しなければならない。

アリストテレスは当時の奴隷制を単に肯定したのではない。彼は生まれつきの奴隷ではない人間が、ただ契約や法律によって奴隷状態であることを望ましくないと考えた。敵意を育むからである。彼は奴隷として生まれた人間は奴隷となるべきであるとし、一方でそうではない人間は奴隷になるべきではないとした。

アリストテレスの主張を肯定する現代哲学者はほとんどいない。アリストテレスの主張は、だいぶ珍妙である。例えば、彼はギリシャ人以外のすべて生まれつきの奴隷とした(そして彼はその根拠を風土に求めた)。

しかし、彼が次のように言うとき、その主張はそこまで間違っているようには思えない。

  1. 「生まれつきの奴隷」が存在する。
  2. 「生まれつきの奴隷」は奴隷状態に置くことが正しい。
The Column by Horia Bernea

「生まれつきの奴隷」。この問題について、フェルナンド・ペソアの描く「アナーキストの銀行家」は以下のように述べている。

アナーキズムは自然の不平等に対して何もできない。個人の知性、意志の程度は、彼と自然とにかかっている。……例えば、自然の資質の遺伝的倒錯が、その人物の実際の気質を変えるまでに至ったとき、特定の種類の人が奴隷となるよう生まれ、つまり生まれつき奴隷となるよう生まれて、自分を解放するための努力が不可能であることがありうるだろう。しかしその場合、彼らは自由社会や自由とどうして関係があるだろうか? ある人が奴隷になるために生まれたとしたら、自由は彼の性質に反していることになる。つまり、彼にとって自由は専制の形態となるだろう。

私は銀行家に同意する。奴隷として生まれた人間に自由を与えることはアナーキズムに反する。生まれつきの奴隷があるとすれば、彼を奴隷のままにしなければならない。

「隷属する自由」

19世紀代の、古典的アナーキズムの根底には、「すべての人間は自由を求める」という前提がある。つまり、人間は生まれつき自由を求める。支配されることは望まない……。

自発的隷従というと、ラ・ボエシの「自発的隷従論」が浮かぶ人も多いだろう。彼は、人間が隷従してゆくプロセスを描いた。はじめは支配に反発していた人々は、徐々に支配に慣らされてゆく。いずれにせよ、人間は「生まれつき」自由を求めるとした点で彼は古典的アナーキズムと前提を共有する。

もしすべての人間が自由を求めるのであれば、支配構造は廃すべきである。一部の支配者を排除し、国家や資本主義などの支配構造を破壊すれば自由社会が実現するだろう。

しかし、人間の歴史はどうだったのだろうか。人間の歴史は、自由を求める反逆の歴史というよりは、服従の歴史だったのではないか。少数の権力志向の変態が私たちを支配しているのであれば、なぜ私たちは、彼らを打ち殺し、自由社会を実現しなかったのだろうか。支配者がどれほど、狡猾で、巧妙で、邪悪で、強力だったとしても、私たちにはそれが可能だったはずである。たしかに、そこには闘争があった。暴動や革命が多数存在した。しかし、どうしてそれがたちまち次の専制を生んだのか。

そこに「支配する者と支配される者の共犯関係」がなかったと言えるのか。

「人間」の超越

実際のところ、人間が隷従を「望む」ことがありうるのかはわからない。

支配関係は相互関係だ。資本主義だろうと、古典的奴隷制だろうと、奴隷の面倒をみない主人はいない。主人は奴隷を必要とするし、奴隷にとっても主人は必要だ。奴隷であることは、もし自由を望まなければ、それほど悪いものではない。

家畜においては、攻撃的で反抗的な個体は殺され、容易に手懐けられる個体が繁殖を許されることにより、種が改良されていく。同じように、人間も家畜化によって支配が容易な個体が増え続けている。より服従しやすい、管理・支配しやすい人間を「生まれつきの奴隷」と言っても、そう外れではないだろう。これは多くのアナーキストにとっては悲劇的な事実だ。

ともあれ、私たちは自由を望む。人間の大部分が生まれつき飼いならされており、隷従を望むとしても、「私たち」は違う。「私たち」と「彼ら」は違う。

アナーキズムとは、おそらくそういった少数者、例外的個人のためのもの以上ではないのかもしれない。

「人間」に対してどのように語られようと、そのことで絶望する必要はない。私たちは人間である前に自己である。人間が家畜化されていようと、隷従の本能があろうと、「私が」自由を求めるとき、そのことは変わらない。

おそらく、例外的個人は「人間」を飛び越えなければならない。人間「以上」にならなければならない。

君の偉大を成すものは人間ではない、むしろ君が人間よりも以上であり、他の――人々よりも強大であるために、君が君の偉大を作りだすのである。人は、人間より以上ではありえない、と信じている。むしろ、人は人間以下ではありえないのだ!(「唯一者とその所有」)

2 comments

  1. 生まれつき、というか性質的にMな人とか結構いますかからね。 男性より女性に多い印象ですが

  2. 生まれつきの奴隷って言っても環境要因などもあるのでやはりなんとも言えないかも知れません。そういう人達が存在するなら存在するでやはり国家を破壊し自由社会を実現した上で、隷属したい人は勝手に隷属すればいいのではないでしょうか、
    現状はクソも味噌も一緒に奴隷側に放り込まれてる感じですし

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