2019-07-21

アナーキズムは、少数の貴族的一群の倫理的、精神的遺産であり、大衆や人民のためのものではない。

イタリアの個人主義アナーキスト、レンツォ・ノヴァトーレの「NOONTIME SONGS」(1922年)を訳しました。私のいまの心境にぴったりあう作品です。原文はこちら

A Chronicle of Drifting by Kansuke Yamamoto

I

「まさしく、いまだ邪悪のための未来がある。そしてもっとも暑い正午はいまだ人間に発見されていない」
ニーチェ「ツァラトゥストラはこう言った」

私はひとりぽっちだ、私はひとりぽっちだ! 孤独で遠くはなれている……。

しかし、それがすべての問題なのか?

そうだ、それが私にとって重要なのか?

空漠とした無限の荒野が私のまわりに広がる。そしてここで――太陽の黄金の光線のさなかで――もみと松の木は沈黙の交響曲と神秘の音楽からなる奇妙な歌をうたう……。

私も歌っている。

すべての血に染まった精神のための流血の真実の歌をうたう。私のもっとも偉大な、もっとも絶望的な正午の歌をうたう。もっとも暑い夏の日の詩を歌っているのだ……!

しかし、私は孤独で見知らぬ仲間のためだけに歌う。遠くはなれた私の子どもたちのためだけに歌う……。

私の心が、もはや繊細で香り高いバラが点在する春の庭ではないために。私の心が、もはや処女の夢で満たされた紅色の宝石箱ではないために。

朝の詩を歌った者はだれでも、正午の詩を歌わねばならない。そして私はそれを歌っている! 私のもっとも暑い夏の日の詩を歌っている。

II

かつて私は夢をみた……。

それは私の青春の最初の喜ばしき春だった!

よき時代だった!

神秘的な理想は見えざるつばさをエーテルの波に羽ばたかせた。肉的な涙は霊的な笑いで啓かれた。私のなかで、人間の悲しみは未来の美という調和的な夢に変わった!

正義と自由の……友情と愛の偉大な夢を私は夢見た。

その夢のために生きた。その夢のために戦った……。

私の精神は容易に壊れてしまう、香り高いバラによって完全につつまれていた、そして私の心は処女の夢で満たされた紅色の宝石箱だった!

赤と黄金の光で私の目は輝いた、そして信仰は劇的で感情的な「然り」であった、それは信じられ、望まれていた……。

そうだ! 私は信じていた……。

私は友愛を、人間の贖罪を、愛を信じていた……。

「人間の自己昇格」「大衆の向上……」「人民の上昇……」「人類の昇華!……」

ああ! あのすばらしい夢の詩、私の青春!

III

偉大で寛大な労働者として生まれた者の道――思想のプロメテウス的「美徳」へと向かう――には、解放する悪魔が、藪のなかに隠れ、待っている。

私はつねに隠れた悪魔をもっていた、そしてある日彼は横たわりながら私を待っていた、ほほえみ、自信ありげだ……。

彼は私に言った。「私は高みにおいて鷲であり、深さにおいてアビ(水鳥)である」

「私は永遠の過去からやってきた。そして永遠の未来に向かう」

「私は永遠のである、私は悲しみだから。私はそれ自体で永続する悲劇の否!である。 拒絶と破壊の精神である。解放と創造の反乱である!」

「私は人間のルーツであり、生命の「私」である。お前のもっとも地下に隠れた深さの拒絶の精神である。そして私が恐ろしい洞窟からやってきて、風のケンタウロスにまたがり、私の真実に世界の背後でいななかせると、幽霊は死に、人間は青ざめる」

IV

悪魔は私のもっとも地下に隠れた深さについて語った。血の気の引く恐ろしい真実を語ることのできる者……。

かつて、神は暴君であった。

それから家族と社会、国民と人類がやってきた!

しかし、私は永遠の過去から永遠の未来に向かう者と話した……。

そしてこれら凶悪な幽霊を認識した……。

ああ、それから私はそれらが何世紀にもおよぶ道にそって、あまりにも多くの血、汗、涙の川をすするのを見た!……

あまりにも多くの死体の山をそれらが貪るのを見た!

あまりにも多くの!

そして、「明日」の囁きに堕ちたすべての死者。

「明日?」「神と明日」「人間と明日」「国民と明日」

しかし、今日は?

私の英雄はどこか?

――私のみしらぬ孤独な兄弟たちはどこか? 遠く離れた子どもたち、天才あるいは偏執狂たち――孤独に、自由に、生きること、死ぬことの方法を知っている者たち、意識的に、自覚的に「私」「今日」「私の自由」「私の実現」を叫ぶ者たちは?

V

私はひとりぽっちだ、私はひとりぽっちだ! 孤独で遠くにいる……。

高熱が私の額を打ちつける、そして新しい乾きが私を焼く。私の口を焼く。

普通人の井戸は今の私には遠すぎる、そして処女なる泉はいまだ不可知の神秘である……。

私はまだ弧である。いつ頂点となるのか?

……

たそがれの光。

鳥の歌が聞こえる。私は鳥が夕べの祈りの憂鬱な明白さを飛びこえ、遠くの影のやわらかな青の下に散逸するのを見る。

それは私に想起させる、青春の翼をもつ私の夢が遠く、悲しみのはるか遠くへ、忘却の悲痛な影のなかに散逸していくのを見る。

VI

なんでもないことだ。ノスタルジックな記憶の影は、私のもっとも暑い夏の日の朝の強烈な光を単に通りすぎただけだった。

これですべてがとおりすぎた。熱が私の額を打ちつけ、乾きが私の口を焼く。私は「必要」と「乾き」のために身を屈め、私の熱い血の泉と苦い汗の雨でそれを癒やした。この激烈な自己飲酒は、私を高揚させ変容させる狂気のせん妄に酔わせた。

これで正午の悲劇の奇跡は完了した。

私は弧のように堕ち、風の神秘と太陽の栄光への頂点のように上った。高揚した変容と、狂気の英雄的言葉を語るために。

VII

私は「第一」の孤独の影と語った。彼女は私に言う。「あなたは信仰の霧のなかで目を閉じて兄弟愛を夢見た、しかし現実の太陽のもとで目を開けたとき、あなたはカインとアベルの悲劇を見た」。

私は「第二」の孤独の影と語った。彼女は私に言う。「あなたは純粋な友情を誠実に求めた、しかしあなたが熱心に耳をそばだてて、求めへの返答として聞いたのは、鋭い金属音だった。それはいまだ世界中で鳴り響く、ユダの30枚の銀貨の極めて不快な音だった」。

私は「第三」の孤独の影と語った。彼女は私に言う。「あなたはすべての人類との本当の団結を絶望的に求めた、そしてあなたの絶望的な呼びかけのもとには、誹謗と軽蔑による皮肉、陰険な嘲笑が返ってきた」。

私は「第四」の孤独の影と語った。彼女は私に言う。「あなたはとても多くの歌と詩を男女の愛に送った、しかしこの愛は性別間の隠れた戦争へと変わった」。

私は「第五」の孤独の影と語った。彼女は私に言う。「あなたは「自分」が「私たち」になれると信じていた、人間には社会が必要だから」

「しかしこの必要がまさに人間を奴隷にし、不幸にするものだとは思わないか? そこに方法がある、そう信じていたのか? 方法なんてない……閉じられた円環(多数者の死の重みによって舗装され、永遠残虐なる多数派によって敷き詰められた)の中に、人間は、生の征服と個人の所有の永続的戦争の呪いをかけられている。生ける人間は決して持たなかった、今も持たず、未来にも持たない、力が持つことを可能にする、彼の諸力と能力であるところの個人性以外は」。そして――意地の悪い読者のあなたのように――私はこの発言にうなだれたために、第五の孤独が私にふたたび語り始めた。このように。――「古い自己への哀れみと同情から、新しい自己の光の到来を恐れるとは、悲惨なことだ。あなたは不安と恐怖で震えている。深淵を前にして震える者のように、不安でぐずぐずしている……。あなたはキリスト的ニヒリストでありうるのか? 生の現実にのしかかる悲劇的死があなたを怯えさせるのか? 私の敵の一人となるか? よろしい、もしそうなら――善きキリスト者のように――生の上に理想causeを置くがよい。しかし私はあなたに生を善悪から超越させることを教える。そこでは開放された私が鼓動し燃えさかる。そこでは否定的な精神が、社会という理念に反して現れ、糾弾する。そこでは真の孤独者が戦争における自由を歌う!」

そして第五の孤独の影が消えたとき、「第六」の者がやってきて、このように私に語った。「私はあなた自身の影だ。証人なしに孤独になりたいのであれば私を殺せ。第七の孤独がまっている。彼女はあなたに極度の秘密を教えるだろう。究極の神秘である謎を解明するだろう」。

……

「第七」の孤独が私に語った。しかし彼女の言うことは私の秘密のひとつのままである。私のもっとも深い、もっとも内奥の現実の神秘を語る言葉をだれが私に与えてくれるのか?

だれが私を理解しようか?

私の孤独な、見知らぬ兄弟たちよ。君には聞こえないのか、君のもっとも暗い深さから、問答無用の「否」の唸り声が?

ああ、これが私の「否」なのだ、兄弟たちよ。

VIII

死を思わせる光景が私の眼前を通り過ぎた。

それは私の古い信仰のおぞましい奇怪な幽霊だった。

彼らは血に染まった口を持ち、血まみれの歯で死者を噛む。

「明日!……」という囁きに堕ちた死者。

第一の死者は言った。「私は神の名のもとに焼き払い、強奪した、そして彼の栄光と殺人のために死んだ」

第二の死者は言った。「私は祖国の名のもとに焼き払い、強奪した、そしてその威厳と殺人のために死んだ」

第三の死者は言った。「私は人民のために焼き払い、強奪した、そして彼らの自由と殺人のために死んだ」

第四の死者は言った。「私は人類のために焼き払い、強奪した、そして人類への愛と殺人のために死んだ」

第五の死者は言った。「私の精神は偉大なる崇高な思想で満ちていた。すべての人間が自由で、偉大で、幸福となることを夢見た。自由と平等、愛と兄弟愛が生を所有し世界を支配することを求めた。そしてこの夢を実現するために――世界が理解しようとしなかったことに――私は焼き払い、強奪した、そして死に、殺した。

これら5人の殺人的奴隷の死体の背後には、世界の5つの部分が分断されて存在しており、同じ道を進む間に、互いの喉を切り裂く準備ができている。

……

神、祖国、社会、人民、人類? 理想未来?

いや、私は現実だ、私は今日生きている!

戦争は生の現実だろうか? まさしく! しかし私は生贄の動物ではない。私の魂を奴隷化したくない。私の肉体を祭壇の上の生贄としたくない。私の骨を怪物に砕かれたくない。あなたはまだ呪われた人々を求める、人民の神官、祖国に仕える者、人類の使徒。

あなたは私の磔刑を叫び求める。あなたは野蛮なエゴイストに対して叫ぶ。しかし私は動じない。私は拒絶と反逆の偶像破壊の歌をうたう。私は正午の詩を歌う。

――私のもっとも暑い夏の日の詩!

IX

私にとって、アナーキーが意味するのは個人の実現を達成する手段であり、その逆ではない。アナーキーもまた幽霊になりうるのだ。

社会的目標としてのアナーキーが弱き夢であるならば、強き実践のアナーキーは個人実現の手段である。弱者は社会を創造した、そして社会は法の精神を生みだした。しかしアナーキーを実践する者は、法の敵であり、社会に反する者である。そしてこの戦争は不可避であり、永遠である。皇帝が倒れるところに、レーニンが立ち上がるからである。王室警備隊が廃止されれば、赤軍の警備隊がやってくる……。アナーキズムは、過去現在未来において、つねに少数の貴族的一群の倫理的、精神的遺産なのであり、大衆や人民のためのものではない。アナーキズムは彼らのもっとも深い地下に響く有無を言わさぬ「否!」の叫びを聞く少数者の財宝であり財産である!

X

私はもっとも過激な知的放浪者の種、静止しない同化されざるものの「呪われた」種に属する。私は知られているものは愛さない、友人でさえみしらぬ者たちだ。

私は真の孤独の無神論者であり、証人なき孤独者だ!

そして私は歌う! 影と神秘が織りなす私の詩を歌う……。

未知の兄弟と遠き子どもたちのために歌う……。

私は嫌悪と軽蔑のなかで自由となるために、愛の奴隷制から自らを解放した……。

私は群衆と精神を共有しないから。私は人民の痛みに苦しむことはない。社会的調和の可能性を信じない。

私は自分自身の精神に共鳴し、自分自身のひどい苦痛に苦しみ、ただ自分自身、自分自身の深い悲哀のみを信じる。この悲哀はだれにも理解できないものであり、私が愛するものであり、人間の虚偽を嫌悪し軽蔑することによって愛するものである。私はこの悲哀を愛するからである。所有するものすべてを愛するように、私は悲哀を愛する。理想的な恋人のように、みしらぬ兄弟のように、遠く離れた子どもたちのように。

XI

では、どこにいるのか――天才たちと偏執狂者たち――生きることと死ぬことを、孤独でいることと自由でいることを知る者――意識的に知覚的に「私」「今日」「私の自由」「私の実現」を知る者たちは?

ああ、私の兄弟たちよ、どこにいるのか?

ああ、「呪われた」種、いつあなたの深い「人間性」は理解されるのか? しかし、このすべてが理解される必要があるだろうか?

もっとも純粋な美はいまだ顧みられていないのではないか?

XII

私の悲劇はなんとひどいものだ、私の神秘はなんと奇妙で深いことか!

私はまだ夢を見ている!

私は夢見る、みしらぬ友人を、もたざる恋人を、創造されぬ思想を、思想されざる思想を、経験されぬ人間を、匂うことなき花を、散策されざる森を、発見されざるオアシスを、見えざる太陽を……。

私は夢見る!

長き待望に青ざめた人々の偉大な大反乱を夢見る。鎖に繋がれた人々の悪魔的な目覚めを夢見る……。夜、火葬の薪に火を灯すのは美しいに違いない!……長き待望に青ざめた悲劇の英雄たちが駆る死のケンタウロスがいたるところの大地を走り抜けるのを見るために。反逆と拒絶の精神が世界中で至高の舞踏をするのを見るために!……

ああ! 私はかつてそうであったように、いまだ永遠の夢想家なのだ。

それでも現実の声が私に語りかける。皇帝が死ねば、レーニンが興る……。王室警備隊が廃絶されれば、赤軍警備隊がやってくる……。

そうだ、私は不可能の夢想家である、しかしアナーキーを実践する、それを夢見るのではない。私は今日の人間を断罪する、そしてそれに反逆することを――取り込まれるのではなく――実現するために、意志の弓を張る。今では、私は自らの内なる美の源泉によってのみ喉の渇きを癒やす。

ああ、私のみしらぬ孤独な兄弟たちよ、私たちの遠くはなれた子どもたちに何がやってくるだろうか?

しかし邪悪のための未来もあるだろう、もっとも暑い正午は人間に発見されていないのだから。

もし今日、私たちの「運命」が世界に反して生きることを破滅させるならば、なぜその「運命」の明日が地球の上で自由に踊ることを選ばなかったか?

「明日!」

しかし今日は?

今日の私たちに残されているものは私たちの拒絶と反逆の悲劇的なの声だけである。私たちの個人性の実現を通じ、私たちの自由の征服を通じ、私たちの生の完全で十全な所有を通じて! 私たち――放浪者――は反逆と拒絶の同化されざる者たちなのだから!

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