2019-08-06

私は保存的知恵よりも破壊的狂気をはるかに愛する

私の好きなイタリアの詩人、個人主義アナーキストのレンツォ・ノヴァトーレの「Intellectual Vagabonds」を訳しました。

知の放浪者

原文「Intellectual Vagabond

「すべてよきブルジョアにとって疑わしく敵対的であり、危険に見える者は」とシュティルナーは言った、「「放浪者」の名のもとにまとめることができるだろう。すべて放浪者の生き方はブルジョアジーを不愉快にさせる。そしてまた、知の放浪者というのもいる。彼が父から受け継いだ住処はあまりにも狭苦しく、その限られた空間に甘んじて生きるためにはあまりにも抑圧的であるために、遠く離れたところにあるより多くの空間と光を探し求める者。家族の洞穴のなかでとぐろを巻いて穏当な意見の灰をかきまわすのではなく、有無を言わさぬ真実として数千世代に与えられた快適と安心を受け入れるのではなく、呵責ない批判と飼いならされない懐疑への偏執によって、すべての伝統の束縛を超越し、彼らは自由に振る舞う。これら奔放な放浪者は、不安定な、落ち着かない、気まぐれな階級、プロレタリアートによる階級を形成する。彼らの落ち着きのない性質について言うなれば、彼らは手に負えない短慮な熱狂者と呼ばれる……」(原注:ここでノヴァトーレはシュティルナーを要約して引用している)

ああ、知の放浪者! 青ざめた、悔い改めることなき破壊者よ! 新しき物を創造する気まぐれな想像力の、終わりなき領域をかけ抜けつづける者たちよ。

彼らに語るとき、ツァラトゥストラはこういった。「偉大なる精神にとって大地はいまだに自由だ。穏やかな海の流れの匂いを漂わせる、孤独な精神とその親戚には、いまだ多くの港がある。生はいまだ自由であり、自由精神にとって自由なのだ」

それから彼は続けた。「国家が存在をやめたところでのみ、無駄ではない人間が始まる。そこは必然の賛美歌が始まるところであり、その復唱は単一ではない。国家が存在をやめたところ……だが見てほしい、私の兄弟たちよ。向こうにある虹、超人への架け橋が見えないだろうか?」

しかし、これらすべてを語る前に、彼は「新しい偶像」――つまり、国家――の足元に屈服する狂人と猿について語った。彼は言う。「ああ私の兄弟たちよ、彼らの腐臭のする口と不健康な渇望によって窒息したいだろうか? そのかわりに、窓を打ち破り、新鮮な空気のなかに自らを守れ!」

そして彼ら――知の放浪者たち――は、窓を打ち破り、はやる思いで駆け寄った。陽気な本性が生の歌を織りなす、黄金の作物が風で踊り、太陽がキスをする領域の、冒涜の自由へと。

その日から、彼ら――破壊者たち――は自らを無法者と宣言した……自由の勝利のうっとりする魅力に心を奪われ、山の青々とした葉からシンボリックなざわめきが、より遠く……より高く……と再び彼らを呼んだときには、彼らはたいてい地面に横たわり、休息した。彼らは互いの目を見やった。愛の炎が火山の溶岩のように彼らのひとみのなかで輝いた。

Mountain Rise by Eyvind Earle

そのとき彼らは師が言ったことを理解し、互いを「同類の精神」と認識した。そして新しい生を明らかにするとされる緑の山の頂上へとみなで出発した。

神聖を汚す冒涜的な彼らの足が高き頂きに休んだとき、太陽はすでに沈んでいた、壮麗な炎の舌に似た広大な赤い帯のほかには何も残さずに。その瞬間、彼らの精神のすべてに悲しい直感が通りすぎた。彼らはみな、その赤い炎に師の影が沈んでいくのを見た。しかし原始的で荒涼とした沈黙のなか、彼らはいまだに師の声が語りかけるのを聞いたようだった。「何も恐れるな。私はふたたび太陽とともにのぼるだろう。そしていまお前たちのもとにも日没はやってくる、しかしお前たちもまたふたたび夜明けの最初の光線とともにのぼるのだ」。

しかし、哀れなことよ、互いに見やると、荒廃につつまれて恐怖の震えを彼らは感じた、というのも愛の炎が彼らのひとみで火山の溶岩のようには流れなかったからである。憂鬱の黒い翼が彼らの心のドアを激しく打ちつけ、悲哀と睡眠で彼らを満たした。

夜明けがやってきた、銀色の塵とともに。自由の睡眠者たちの目を探し、新しい日の誕生を告げにやってきた。そのとき彼らは目にさらに輝く炎を燃やし、足を跳躍させた。生の賛美歌を歌い、彼方へと熱心に集中した。

少しの時が経つと、デュオニソス的の喜びの歓声が、彼らの脈打つ胸から流れだした。

師がかつて語った虹と超人への架け橋は、キリスト的霧の曇った炎の中心から輝かしく荘厳に立ち上がった。

しだいに、太陽が地平線を照らすにつれ、それらの領域がすでに他の創造物によって住まわれていることに彼らは気づいた。ああ、彼らはその住人を認識しさえした……彼らは見た、悲劇的な美しさのなかで、情熱の溶岩の炎を目に湛える者であるヘンリック・イプセンの創造物、社会的偏見によって自己を狙う疫病の壊疽をことごとく破壊した者を。そしてこの象徴的なイプセン的破壊を通じて、彼らは超人の誕生をかいま見たようだった。

静かな精神と炎の心によって、彼らはルベックとイレーヌ(訳注:イプセンの遺作「わたしたち死んだものが目覚めたら」の登場人物)が墓から立ちあがり、死に満たされ永遠の生の光を芽ぐむ、白き氾濫が待つところに向かうのを見る。彼らは見つづけた。彼らは見て、目撃したのだ! 彼らは漁師――オスカー・ワイルドが彼の心の虹から発するおぼろげな光の中で建てた「ザクロの家」(訳注:ワイルドの短編集)の家に住む者――が、彼の偉大な、有無を言わさぬ情熱を心に閉じ込めてやってくるのを見た。彼は僧侶の家、市場、若く信じがたいマユルダが住む岩、そして悪意ある仕掛けが蔓延する山へと飛び込んだ。そこで彼女は彼をディアブロ的な魔女の踊りによって誘惑しようとした。

しかし漁師はだれもに挑戦し、その全員に打ち勝った。だから前進することは狂気であり、執拗な情熱の欲望だった。彼は自己の魂からみずからを解放しなければならなかった、彼と彼の心の間にはひとつの障壁があった。なぜならこの解放によってはじめて、彼は恐ろしい海の渦巻に自由に飛び込み、深淵に住む人魚と結ばれることができたからである。そしてその人魚のみが彼に喜ばしい愛の陶酔を与える唯一の存在だった。

ああ、彼ら知の放浪者たちがいかに多くを見たことだろう、「虹」と超人への架け橋のあいだできらめく物事を。もし野卑な畜群――いまだによどんだ水の中で無為に過ごし、岩山の麓でけっして自らを新しくすることなく年をとった――が粗野で卑劣なわめき声をあげ、彼らを偏執狂や熱狂者と呼び、動揺させることがなければ。

不吉な赤い自動車が現代的な大都市のひとつを駆け抜け、いなづまのようにひどく、新しい生活様式を宣伝するとき、嘲りの笑みと苦い皮肉が彼らの唇をゆがめていた。

しかしいま自分があてもなくさまよっていたことに気づいた。さらに悪いことには徘徊のさなか私は自分が悪い仲間といることに気づいた…… シュティルナー、ニーチェ、イプセンやオスカー・ワイルド。そこには灰色の自動車もあるのか? 狂人、堕落者、非行者、それらすべて。

ああ、先覚者よ、あなたはまともな人々の怒りから私を救う……そして破壊のために時間をとらないもの、戦いのそれぞれの日、私たちを抑圧し、押しつぶす社会から私をふたたび救ってくれ。しかし、彼らは教えることで時間を無駄にするよりも、自らのために闘争し考えることを学ぼうとする者に対し、闘争と思考のシステムを課す。そして、彼らの時間が余ったとき、その時間は、未来社会に対する新しい反逆者たちが閉じ込められる狂人収容所がいかに大きいか、大きくなければならないかを調べあげるために用いられる。

私に関するかぎりでは、私は彼ら狂人とよい関係であることに気づく。そして彼らのひとり、たぶん最良の人物といると、私は叫ぶ。「彼らを軽蔑せよ、良きことと正しいことを軽蔑せよ、彼らはつねに終わりの始まりであったために」 ああ、狂人の仲間との生活はいかによかったことか! 彼らの「破壊の狂気」を見つけたことはなんとすばらしいことだろう! 私は保存的知恵よりも破壊的狂気を、はるかに、はるかに愛することを確かにしよう!

そうだ、そうだ、私を狂人たちと一緒にさせておいてくれ。もしつぎのヨーロッパ革命が、私たちの破壊の精神錯乱につつまれた落下の喜びを否定するとき、よりよい時期に私は戻ってきてそれらを語るだろう、そしてもしそのときお叱りがあれば――おそらくその狂気の小ささについて?――私は躊躇なくそれを行うと約束しよう。

訳者あとがき

ノヴァトーレは詩人だけあって抽象表現が多いのですが、この作品も難しい部分が多々あり、訳があやしい部分があります。ノヴァトーレは大好きな詩人なので、今後も訳していきたいです。

ワイルドの「漁師」が収録されている「ザクロの家」はこの本で読めます。私はまだ未読です。

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