2019-09-15

我々は思想と行動の貴族である
もっとも高き頂きの孤独の住民である

イタリアの個人主義アナーキスト、エンツォ・マルトゥッチの「Heroic Spring」(1922)を英訳から日本語訳しました。マルトゥッチ(1904ー1975)はレンツォ・ノヴァトーレに非常に強い影響を受けた人物。

ニーチェやオルテガ・イ・ガセットのような「精神の貴族主義」の影響が色濃い作品です。

Seal – Morris Louis

英雄の春

英訳:”Heroic Spring” From Proletario # 5, December 12, 1922

遊牧民、放浪者、反逆者たちに

人間はどこだ、兄弟たちは。私が探し求める人間はどこだ?

雄々しく向こう見ずな反逆者はどこにいるのか? より高く、より美しい生を獲得するための、宇宙との巨大な戦いに直面したアルゴノーツのように、自由や偉大さの夢に満たされた英雄的戦士はどこにいるのか? 私の異教の精神がアナーキーに愛する、強さ、勇敢さ、大胆さはどこに? 彼らはいったいどこにいるのだ。……ああ!……探し求めることに煩わされることは無意味だ……。今日のブルジョアジーの産業社会にはただ下劣な臆病者がいる……。ここには奴隷根性の奴隷たちがいるのみだ……。

英雄は、過去の時代に属する。勇敢な叙事詩の自由と冒険、そして戦士的なエネルギーの輝きに彼らは属する…… おそらく彼は未来のアナーキーに属するだろう、個人が、もはや法的なくびきに繋がれておらず、過去における自らの完全な勝利のための勇敢な行動を回復するときには。

しかし今は? 今、ここにいるのは自らの運命を諦めた獣じみた庶民と、傲慢さにふくれあがり卑しさに満たされた狭量で哀れなプチ・ブルジョア……。こびへつらう被支配者と専制的主人は腐敗のなかで飛び跳ね、世界を悲しみの幕で覆った、泥の中の虫のように。しかし一方のぼろきれと他方の豪華な服の下では、チキンの心臓が鼓動している。ともに弱く、気力を奪われている……。したがって、プロレタリアには自らを解放することができない、暴君の支配が彼の力によってではなく、人民の受動性と放棄によってなされるように。

今日、ここにはゴミ、泥、糞だけがある。

海賊たちは海から消え、盗賊たちは森から消えた……。剛健な本能と精力的な感情――遠い記憶だ……。英雄たちは死んだのだ……。

***

人間の堕落の悲しき砂漠に開花するオアシス――下水管の悪臭のさなかに咲く薔薇――我々遊牧民、放浪者、反逆者は、神聖な奇跡を生みだす。我々、我々が英雄を復活させるのだ。社会から追放され、無関心な群衆にののしられながら、我々は心のなかの快き庭に、ノスタルジアと悲しみの歌を歌う優しきナイチンゲールを守っている。

闘争と困難な危機によって鍛えられた我々は、ねじれて回転する精神のなかに赤い悪魔を宿し、その抑えられない力を荒れ狂わせる準備が常にできている。

そしてナイチンゲールがさえずるとき、悪魔は血塗られた戦場へと飛びこむ。そこでは復讐の女神たちが不気味な死の円舞と死のワルツを踊る。

我々は拒絶と反乱の詩人であり、崇高なる狂気の歌い手であり著者である。

感情の溶岩と情熱の炎による我々の内なる火山の噴火口で、我々は生への渇望を満たした……。そして我々に法律と道徳を課すことを望む社会に向かって、すべての他者が臆病にも「然り」と繰り返すなか、我々は確固として「否」で応答するだろう。

今、我々は戦いに翻弄されている。決定的で致命的な戦い……。唇に笑みを浮かべ、我々は崇高なる冒険の奈落へ、ニンフとハーピーの待つ深みへと飛び込んだ。それが勝利の陶酔にせよ、すべての枷からの解放にせよ、戦争の回転の輝かしい終焉にせよ。

誇りと軽蔑――我々は果敢に最後の切り札を出した。したがって、勝利を達成するためには精力を百倍にし、さらに尽力することが我々には必要である。

我々はすでに勇敢なる戦闘者である。そして今、我々は英雄となろうとする。これは必然であり、不可欠なことである。

我々の大義の良き結果のために、我々の個人性の向上のために。

* * *

そして、アナーキー――自由の母体、喜びの源泉、力の宝庫――に向かって、我々、誇りと永遠の反逆の子は、偉大なるエネルギーと力をもってして突き進む。ピエティスト(敬虔主義)たちの夢ではなく、弱者たちの目標ではない。勇敢で死物狂いの偶像破壊者たちが、もっとも厳酷な鎖でさえ除去することのできる手段としてのアナーキーへと。

青き勇気の川が深き底から溢れ出るところを、狂気の風が荒々しい怒りで打ちのめすところを、戦いのその只中を、すべて我々は行進していく。

そして憎悪によって研がれた矢を、我々は法と社会の要塞に対して放つだろう……。そしてキリストの冒涜された祭壇の上にある自由を抱擁するだろう……。偽善者と臆病者が我々を恐れさせようとする。暴徒が無思考に我々に叫ぶ……。しかし愚者たちの呪詛が我々にとってなにか問題だろうか?

我々は思想と行動の貴族である、もっとも高き頂きの孤独の住民である、そして爬虫類たちの唾液は一切我々を悩ませることはない……。

訳者あとがき

個人と社会を完全なアンチノミー(二律背反)とする――これが個人主義の考え方ですが、マルトゥッチの記述はまさに個人主義的です。一般にアナーキズムは国家を否定する一方で理想社会を夢見ますが、個人主義はアナーキズムよりも徹底した拒絶なのです。

マルトゥッチは、勇敢さ、大胆さ、力強さを英雄的な美徳と讃え、臆病さ、弱さを庶民的なものとして否定します。この考え方は非常にニーチェ的です。

私がマルトゥッチの記述で好きなのは、アナーキズムをなにか追い求めるべき理想や目標とするのではなく、自らを解放する「手段」として考えるところです。

私自身、アナーキー社会が実現することについては非常に懐疑的ですが、それを差し引いても、アナーキズムは個人が生きていく上で「有用」であると考えています(そして実際に有用でした)。

すべての社会、権威、集団は自らの正当性を主張します。必然的に、個人や個人性は抑圧されることになる。個人が呪縛から解放され、自らを肯定し、力強く生きていく上で、アナーキズムは偶像破壊的な道具になると考えます。

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