「IQ100以下は精神的な障害者である」

Quoraの質問「Do people with 140 IQ see normal people (IQ 100 to 130) as stupid?」に対する匿名さんの回答が非常におもしろかったので翻訳。

160以上:完全な別次元。このレベルの人々には数人しかあったことがない(大学教授を除く)。そしてほとんどの場合、彼らの能力、特に思考の速さは驚くべきほどである。彼らといると自分がとても劣っているように感じるし、本当の天才だと思う。信じられないほど早く物事を考え、問題解決において非常に創造的だ。私が読んだなかでもっとも難しい書籍を、彼らは寝る前の読書で読んでしまう。複雑な精神的抽象を構築でき、非常に微妙だがまさに存在するパターンを認識することができる。私は彼らの考えていることや解決策が正しいことは検証できるが、同じ時間で同じ解決策に到達することはできない。

たとえばMITのような場所ではこのような人々に出会うだろう。おかしなことに、私が知るこのような人々の半数は知性を実際には「活かせなかった」隠者であり(すべての社会的ラットレースを忌避してしまう者もいる)、他方には称賛を受けるジョーン・カーマックのような人々である――カリフォルニア北部は世界でもっともIQ160台の人口比が大きいだろうから、私は十分なサンプル数を持っている。

~155:追随は難しいが、可能である。私はこれくらいの人々とつるむのが一番好きだ。私と同じくらいか、私よりも少し賢いので、つねに彼らとの会話から刺激を受けることができる。ユーモアセンスはとても楽しく、その会話は微妙なニュアンスと暗示に満ちている(フューチュラマのショーによく似ている)。彼らと同じペースで学び、ともに問題解決をすることは非常に「協働体験」的だ。このような人々を見つけ出すのは難しいが、見つけ出したときにはとても喜ばしく思う。同じ波長だと感じるために。

140-150:「仲間たち」。彼らは私をより「賢い」と思うことがときにあるが、実際にはそのギャップは彼らが認識するよりずっと狭い。私の友人のほとんどはこの知能範囲のなかに含まれる。これはおそらく数学や理論、プログラミングに熟達するかの閾値である。これよりも低い知能の人々は、私が「本当の」自分としてふるまうときにはほとんど、私の言っていることを認識することができないだろう。このレベルの知性の人々は、私の思考プロセスとユーモアのセンスをもっとも理解する。このような人々とチェスのような戦略ゲームをすること、知的な議論に参加するのは楽しい―彼らと一緒にいることは非常に「精神的に刺激的」だ。

ところで、私の「適格な相手」の人々はこの範囲(130以上)であり、人口の1%未満であるために、人付き合いは困難である。私はそれより低い人々と社交を行う忍耐力がない。こう述べることは信じられないほど不公平で傲慢であることを私は知っているが、まさにそのとおりなのだ――私のような人間の多くにとって、確かにこのことは現実である。しかし、これは物議を醸す発言だから、私は匿名で投稿するのである。

120-130.聡明。彼らは知覚できるほど知能が低いが、努力すれば多くの概念を認識することができる。論理的なスキルにはときどき印象を受けることがあるが、彼らは「参照」やそのようなことに欠ける。私の家族のほとんどはこの範囲にいて、心から愛しているが、私は彼らから疎外されていると感じる、~145のトップクラスの大学の友人ネットワークとは違って。彼らの記憶力の欠如にはしばしばイライラさせられる。最初から最後まで説明したことを延々と繰り返さなければならないからだ。最終的に、彼らは私の記憶力のレベルが異常であると考え、私を毛嫌いする。私の発言や行動のほとんどは彼らにとって退屈である。

100~120:関わることが少しイライラする。基本的なアナロジーが欠如しはじめる。何度も説明しなければならなくなる。私はこれらの人々のために積極的にバカにならなければならないと感じる。彼らとの交流は退屈する傾向にある。そして、彼らと会話を試みるとき、私は社会的に孤立した(round peg/square hole)ように感じる。本当に、かなりの努力をしなければ彼らと接することができない――これは思うに知的な人間の欠点のひとつだろう。彼らを利用したり、混乱させたり、(無自覚的にでさえ)ミスリードさせること、見過ごさせることは私にとって本当に簡単である。彼らの欠点は痛ましいほどに明らかだ。しばしば、彼らは意志決定のスキルや抑制に欠ける。クレジットカードをつかうときや、道路で運転するとき、時間のマネジメント、注意散漫など。フェイスブックを見たり、昼間のテレビを見る、クリック広告をクリックする、フィッシング詐欺にひっかかる、互いに傷つけ合う人々を見る、彼らにとって「魅力的」(魅惑的でさえある)に見えるセレブの噂話をする。陳腐さを感じずにはいられない。政治的意見、世界観、人生に対する態度は、私には極度に共感できないものだ。私の発言、行動のほとんど「すべて」は彼らに退屈である。

<100:匿名という盾の背後にあるために、私は安全に宣言することができる。人口の半分がそうであることを知りながらも、私の視点からいえば、これらの人々は精神的な障害者である。不幸にも、私はこれらの人々とまったく関係を持つことができない(彼らが人口の半分であるとしても)。そしていかに現実が「彼らの頭を通り抜ける」ことについては本当に驚くしかない。もちろん、私は傲慢な「クソ野郎」のように思われるだろう、しかし私はただ正直なだけなのだ――これが私の世界の見え方なのである(そして私の「レベル」の人々の世界の見え方でもある)。今日、私はだれかに、車輪を「反対方向」に回す必要があるとだれかに伝えたとする。つまり、「もし車輪が左側に回るなら、それを右に回さなければならない」と。すると「どうすればいいかわからない」と彼らは言う。なぜかといえば、「車輪は右に回っている、左ではない」と。このような苛立たしいやり取りは、この知的範囲では標準的である。このような人々が、極度に貧弱な行動決定によって導かれる、薬物依存、失業、望まぬ妊娠、STD、懲役刑、「脳よりも筋肉」な態度、そしてその結果に対するフィルター・知覚の欠如の結果をもたらすことは、驚くほどである。多くは私がペリシテ人(訳注:俗物の意)と呼ぶ者であるが、それは正規分布の逆側における彼らの生活に対する対処メカニズムなのかもしれない。英語の基本的な能力の欠如は、彼らとやりとりする上で劇的な妨げとなる。私は彼らの言わんとしていることがわかるが、しかし彼らがどのように述べるかについては非常に否定的に反応せざるをえない。私は彼らが理解できるよう、また誤解しない(あるいはまったく理解しない)よう話すためにつねに考え込まなければならない。

110-120の人々は私のことを理解しないために私を退屈だと思う人々で構成されるが、100以下の人々は実質的に私の発言や行動によって毛嫌いしたり「攻撃的」にまでなる(「あんたは数学「オタク」だな」、「あんたたち「ブレニアック(非常に知性が高い人)」は奇妙だ」)。このような人々と頻繁に付き合うと、孤独や疎外感を感じはじめる。

確実なことのひとつは、私は自分と同じほどのIQを持ちながら、トランプやオバマのように、ソーシャルな世界全体をうまく導くことのできている人々が本当にうらやましいし、憧れているということだ。現実生活のペルソナでは、私は可能な限り謙虚にふるまうようにしているので、人々は私はまったく不快な人間ではないという。しかしあなたにはわかるだろうが、それは実際には「騙し」をうまくやりとげているということ、そして私は他者と接する上で、カルマや「黄金律」のような個人的信仰を深く持っているからである。

さて、質問に答えるのであれば、「バカ」は強い侮蔑的な言葉だが、しかし私がいかに「普通のIQの人々」と接するかについては、あなた流にこの文章を読んでほしい。これは異端な解答であり、他のすべての解答と矛盾するようだが、それは他の回答者が実際にはIQ140以上を有していないからだろう。この記事が率直であるというために、批判的にならないようにしてほしい。私はまったく攻撃的に、傲慢にならないよう非常に努力しているのだ――私はただ君に私の靴で1マイル歩かせているだけ(自分の立場を経験させているだけ)なのだ。

終わりに

Rue de Rivoli by Balcomb Greene

どうでしょうか。私は読んで清々しい気分になりました。

IQは非常に物議を醸す指標です。エセ科学だとする主張もありますが、私は割と信じていています。例えばテッド・カジンスキー(幼少期のIQが167)などを読んでいると、IQと知性の強い相関を感じます。

IQにこだわらなくても、人間に愚人と賢人がいることは明らかです。啓蒙主義的平等主義は迷妄であり、生まれ持った性質や気質が存在する。愚人に対してほとんどの賢人は、投稿者によって記述されているような心理的態度を持つのではないかと思います。

投稿者はおそらくIQ150程であり、IQ130以下の人(投稿者によれば、人口の1%以下)と付き合うのに苦労すると書いています。このレベルだと少数の高IQ者との交流で孤独を癒やす他ないでしょう。「仲間」を見つけることは高IQほど難しくなりますが、投稿者は別のところで、インターネットで見つけ出すこと、都市部へ行くことをすすめています。

IQと個人主義?

最近考えているのは、IQと哲学思想との相関です。

知能が高まる、あるいは生まれつき知能が高い人は自然と個人主義者となるのではないでしょうか。個人主義者とは、パラントによれば「自らの近接的存在と社会的環境との間における避けがたい不調和を特に鋭敏に感じる素因を持つ人々のこと(「アナーキズムと個人主義」)」なのですが、この「避けがたい不調和」を高知能者はまさに日常的に感じているものでしょう。

パラントは、個人主義者は遅かれ早かれ社会に絶望し、社会的ペシミズムを持つようになると説いた。つまり大衆や社会に最も批判的なのが個人主義者です。

オルテガ・イ・ガセットは大衆を厳しく批判した上で「精神の貴族主義」を説いたわけですが、この精神の貴族主義は、高知能の人物に当てはまるのではないかと最近考えています。

個人主義思想とは高知能者の秘密教義のようなものなのかもしれません。

優れて高貴な者においてこそ、利己心の貫徹も最大となるだろう。(ニーチェ「喜ばしき知恵」)

個人的な話ですが、私も最近、職場などにいる低知能者をバッサリ切るようにしています。どれほど与えようと、忍耐を持って接しようと、かわりに私が彼らから得るものは一切ないからです。

どれほど望みをかけても、低知能者は低知能者のまま。「精神の障害」――この表現は残念ですが非常に正確です。

28 comments

  1. いつも楽しく読ませて頂いております。

    一斉に石を投げつけられそうな回答ですねw
    ただIQ100以下の人に対して「豚」や「家畜」という表現を使っていないあたり、かなり配慮して記述されたのでしょう。
    会話をする機会はとても貴重ですね。僕は大学で将棋部に入って初めて「まともな会話」を経験しました(それまでは運動部でしたが地獄でした)。ただ次元の高い会話は無く雑談や将棋の議論だけに留まりましたが、それでも僕にとっては小さな革命でした。それ以前は雑談もままならなかったので。「積極的にバカにならなければならない」という記述には宿命めいたものを感じます。自然に振る舞いたいです。でも「なぜ彼女をつくらないのか」というありふれた質問に「君は豚と交際したいと思うのか?」などと返すわけにもいかないので身を潜めて暮らしています。
    ところで、彼らはどこで正確に自分のIQを計っているのでしょうね。研究機関とかでしょうか。日本だと病院かwebテストくらいしかないので不便ですね。僕はノルウェーメンサの図形テストでは135でしたが、どこまで信憑性があるやらw

    多数への啓蒙については無理そうですね。ただ御厨鉄さんの記事は質に読者数が見合わず勿体ないなと思います(徐々に読者が増えてきているとはいえ)。やはり辿り着くきっかけが少ないのでしょうね。僕は将棋高段者のコミュニティをつくってそこから自分の思想を流布できないかな、と考えたりしています。
    御厨鉄さんは将棋についてはとうの昔に見切りをつけられたようですが、音楽は続けられてたんですね。昔から読んでいましたが(あなたの記事は大きな革命でした)、これからも記事を楽しみにしています。長文駄文失礼しました。

    1. Quoraの高知能者たちを見てると学校の知能検査で測定されるみたいですね。
      基本的には結果は秘匿されますが、極度の高知能だとこっそり伝えられるみたいです。

      将棋は盲点でした。リアルで自分より将棋が強い人に会ったことがない(とはいえ、ネットでは弱小)のですが、おもしろい人が多いんでしょうか? 
      コメント読んでたら、また将棋をはじめたくなりました。道場行ってみようかな。

      私のブログ、ほんとうに読者は少ないです笑 まあ、細々とやっていきますので今後もお願いします。

  2. 仕事をする上で大変辛いものが有るのでしょうね。
    ただ、ダイバーシティ。(取締役が許容してくれているならば)大変でしょうがお互いに大きな成長を遂げる可能性がありますよね。

  3.  興味深く拝見させていただきました。私は精神科医です。IQ検査をオーダーする立場で、患者のIQを把握しながらコミュニケーションしていますので、大体の傾向は把握できているつもりです。その立場として、見解を述べさせていただきます。
     まず1点、IQを論じるあたって、何の検査において、そのIQなのか、というところが重要です。標準偏差が15なのか、24なのかでも全然違います。日本で一般的に行われている検査は WAIS-R, WAIS-Ⅲ,WAIS-Ⅳ で、標準偏差は15ですので、全人口の95%が70~130に入ることになります。140以上は測定出来ません。そのため、それ以上を測るには医療現場では使われない特殊な検査が必要ではないかと思います。上記投稿者はなんのIQの話をしているんでしょうね。
     2点目、この投稿者のIQがどれくらいなのかは文章ではわかりませんが、多数の患者と接してきた経験からするとIQとコミュニケーションを楽しむことには(少なくともIQ140以下については)関係はなさそうです。130以上の患者さんを何人か見てきました。確かに投稿者の様な孤独感、ある種の優越感を訴える方はいました。しかし、すべての方高IQがそうというわけではありませんでした。
     投稿者の言うところの「適格な相手」のなかでは”境界知能”になりますが、私自身もFIQ132です。しかし、その私も別にIQ100以下の人と会話を楽しむことが出来ますし、彼らから有益な情報や知的好奇心を刺激するような会話だって可能です。
     それでは130以上でもコミュニケーションを楽しみ、集団に属している、と感じられている人と、疎外されていると感じている人の何が違うか、というとそれは下位項目のばらつきが関係しているのではないかな、と考えています。
     WAISでは、動作性IQ、言語性IQ、全IQと下位項目というのがあります。知的能力というのは、一つだけではありません。言語理解や処理速度、ワーキングメモリ、など様々です。なお、よく話題にあがるメンサテストは、行列という項目に特化しているようにも思えますので、すべての知的能力を測っているとは到底思えません。 
     例えば、単語、理解はとても優れているのに、計算、数唱が低かったり、完成、行列は特異なのに類似、知識は苦手だったりと、ばらつきの強い人がいますが、傾向として、FIQが低ければ低いほど、高ければ高いほど多いようです。FIQが高くてばらつきの少ない人やFIQが低くてばらつきの少ない人って珍しいです。総じて「IQが高いせいで孤独である」という人は大抵ばらついていますし、逆に会話を楽しめるタイプは、下位項目のばらつきは少ないようです。さらにいえば、境界知能(70-85)であっても、ばらつきの少ない人って、驚くほど知的に見えて、IQ検査してこちらが驚愕することが多いんです。
     長くなって誠に申し訳ありません。そろそろ終わりにします。わたしが言いたいのは、世間の通説として「IQが20違えば話が合わない」「高IQは孤独だ」というのは、少なくともIQ140以下では、全くのお門違いで、高慢ちきで、自身の知的能力のばらつきのせいである、ということでした。

  4. すみません、130以上で1%未満て書いてありましたね。
    1点目は修正させて下さい、どうも申し訳ありませんでした。

  5. 標準的な知能テストのひとつ、Advanced Progressive Matrices
    では、年齢別に素点(36題36点満点)IQ換算が設定され、たとえば17-30では30点以上は156です。
    パーセンタイルとの関係は155が99%です。
    わたしが試験に関係した10年近くの間、満点は3人いましたが、換算上30点と変わりません。
    30-40になると30点以上はIQ164、40+ですと172です。
    満点の3人でよく会ってた時期はありますが、特別難解な話はしません。
    世間一般の人の会話と同じです。
    学業優秀だった人(小学校卒業時に東大理ⅠⅡ合格確実、理Ⅲ有望、中学で理ⅢA判定)の人もいましたし、子供時代は田舎で埋もれてた人もいましたし、ごく普通の私大学生生活の人もいました。
    厭世自殺念慮が色濃い人もいましたが、知能格差とはとらえてないようでした。
    知能についても、「高知能とは知能テストで好成績をとること」と諧謔まじりに話すくらいで真剣な議論はしません。
    USMに参加してた時期もありますが、ここでの会話も一般のパーティの会話ですね。
    USMの機関紙で、
    「私は知能が高すぎたので学校生活が楽しめなかった」
    という投書に、
    「私も」
    という賛成もあれば、
    「私は楽しめた。それはあなたの人格の問題」
    という反対もあり、数年おきに賛否入りまじり喧々諤々の論争が起きます。
    USMの機関紙を読むと、High IQ dropoutという概念も定着してて、それを支援するGifted children programもありましたから、学校生活に困難を感じる子供は多いようです。

  6. F氏に同感です。
    この類の話題は、高IQ者の中でも特にコミュニケーションに少々難がある方々が好んですると理解しています。私の知人にMENSA会員の人がいますか、それを鼻にかけて、誰それと話が合わないのはIQが20異なるからだとか口癖のように言っています。勿論、本人の前では言わず、私に対して言います。でも、そんなことは口に出さずに心の中にしまって置けば良いことです。彼とは、仕事だけでなく、プライベートの付き合いもありますが、上記のように性格に難があるので、あまり深入りしないようにしています。私自身のIQは、正確なテストを受けたわけでは有りませんが、ノルウェーメンサのインターネットテストで130overでした。IQは、人を客観的に測る切り口の1つでしかないという理解です。
    F氏の意見に概ね賛成ですが、前置きが少々長すぎでは無いでしょうか。また、医師という立派な方が、「低IQの方を見下す高IQの方」を非難するのもどうなんでしょうか。。

    1.  おっしゃる通りです。
       特定の患者に対する陰性感情が文章に反映されてしまいました。不快に思われたのであれば申し訳ありませんでした。

  7. 数値信仰みたいなものですかね。
    何でも調和が大事と思います。
    体なら、大きいだけでは意味がなく、骨格、筋肉、内臓のつながりが良くなければ不調や不全を招きます。

    私としては、人間は理解しあえないのが常だと思いますし、IQが高いから会話に齟齬が生じるというのは上のコメントでもあるように、この方の未熟さのせいと思います。
    もちろん、IQの違いが一因ではあるかもしれません。

    1. 何度も来てしまってすみません本当に。論点の枠を越えるかもしれませんが、少し、僕が本当に言いたいことを言わせて下さい。

      調和は確かにとても大切です。おそらく、御厨鉄さんは個人の枠を超えて、世界の調和を図ろうとしているのでしょう(違ったらすみません)。
      善悪は関係ないものとして、少なくとも日本ではポジティブ(光)とネガティブ(闇)、言い換えれば陽と陰の勢力を比較すると、後者の方が圧倒的に劣勢です。そのため全体の調和を図るならば、光よりも闇の立場に立たざるを得ないのです。

      哲学者(例えばディオゲネスやセネカ)が孤独を好んだり辛辣な表現を多用したりするのは、「未熟である」「性格に棘や難がある」という理由では説明できません。彼らは「あえて」そうしているのです。

      時間はとても貴重です。彼らは偉大な目的のために、「良い気分になること」等によって時間を消費することを嫌い 「苦痛を味わってでも向上すること」を望みます。彼らが孤独を好むのはそのためです。
      それと、原則として人が知的に覚醒することは困難を極めます(才能や文化資本によって難度に差が生じますが)。辛辣な表現は、刺激を与えることでその可能性を少しでも高めるためです。刺激無しに覚醒することは難しいのです。
      「人を悪い気分にしないこと」と「多少の犠牲を払ってでも人が知的に覚醒すること」を天秤にかけた場合、哲学者が後者を選ぶのは明白です。彼らは何よりも、一人でも多くの人間が目覚めることを望みます。しかしそのために彼らはしばしば苦渋を味わいます。

      (ただの暴言は別ですが)辛辣であることは勇敢であることの証です。たとえ非難を浴びようと、投石されようと、それこそ火で焼かれようと、哲学者は真実を伝えます。それは世界の調和を図るためです。

  8. この高IQの問題は、単純に本人の対応能力の問題ではないでしょうか。
    知能の発達していない子供や、的外れな大人に対しては、無難に合わせるかスルーすれば良いだけですし。
    本当に頭の良い人はバカと呼ばれる人も思いやれると思います。

  9. 度々失礼致します。

    F氏の意見を見て当初は反感を覚えましたが、少々反対意見が優勢なようで、自分の考えを改める必要があるのかなと思いました。
    思うに、「IQが20違えば云々」というのはあくまでも「そのような傾向がある」という話であって、僕も投稿者もその傾向を実際よりも強くとらえすぎていたのかも知れません。
    私事になりますが、僕は幼少期からのトラウマがあります。しかしそのかなりの部分は、自分が(おそらく)高IQだという事を知っていれば回避できたものでした。例えるなら「自身が飛べる事を知らなかったために酷い目にあった鳥」でしょうか。飛べる事を知ってから急激に伸びました。

    およそ急激に伸びると反動が生じますが、順調に伸びた人と急激に伸びた人とでは、後者の方が性格に棘が生じたり後天的にばらつきが生じたりしやすいのでしょう。
    また外交的、内向的という属性も重要なのではないでしょうか。基本的に現代社会では外交的な性格の方が好まれますし、内向的な人は暗いイメージから劣等感を感じやすいと思われます。このような要素も他人を見下すこと等に繋がりそうです。

    結論になりますが、IQが高いと「内向的な性格、急激な(知的)成長、トラウマの経験」などの条件が重なりやすく、その結果ひねくれたりばらつきが生じたりする確率が高くなるのかもしれません。そして「IQが20違えば云々」という話は(一定の蓋然性があるものの)、そのような傾向が一人歩きした結果生じたのかもしれません。
    長々と失礼しました。

  10. おもしろいコメントが続いていますね。

    みなさんのおっしゃる通り、記事の投稿者のような厭世的感覚は、IQだけではなく、パーソナリティや環境の影響が大きいでしょうね。

    私はネット上で高知能者の投稿を読むのが好きなのですが、IQ150以上であっても平均層とコミュニケーションがとれない人ばかりではないようです。Tempus fugitさんも言及していますが、「コミュニケーション・レンジ」説、2標準偏差以上のIQ差があるとコミュニケーションが通じないとする説は、私はあまり信じていません。

    一方で、IQという指標よりも広い範囲で、高知能者、たとえば歴史上の天才の多くが孤独だったことは事実です。IQは知能のひとつの指標に過ぎず、ある意味「疑わしい」指標かもしれませんが、高IQ者に高知能者が多く、そして高知能者に孤独な人間が多い傾向は事実であるというのが私の認識です(無論、高IQでも知能が低い人はいるだろうし、高知能でも向社会的な人物はいることはさておいて)。

    私がQuoraに山ほどいる(笑)高IQ者のなかでもこの回答者の投稿を特に気に入ったのは、際立つ知性を感じたからです。文章構成力、論理的な明快さ、批判精神、自らの考えを(批判されようと)率直にアウトプットする意志の強さ、これらは単に高IQだから成しうることではありません。考えてみると、メンサ会員や精神科でテストを受ける人々と「カリフォルニア北部」の隠者や成功者とは違うということかもしれません。

    彼の問題は、まさしくしろごまさんの言う「数値信仰」でしょうね。IQではなく、高知能や低知能というように表現すれば彼の主張は問題ないと思います。

  11. 御厨さんの、高IQなのに知能が低い人もいるだろうし…にグザッときました。
    mou(IQ143)のことかしら(・・;)
    心、技、体なんて、よく言うけど、ほんとそう。
    心、愛情や感情が豊かでポジティブであること。
    技、生き抜くに必要なスキルや知能があること。
    体、見目麗しく健康であること。
    高IQとか知能の高い低いに関わらず、人生って総合力よねと感じます。

  12. さまざまなコメントが寄せられていますが、投稿者は匿名で本音を書いているわけです。彼(彼女)のコミュニケーション能力が問題というような批判をここですること自体、論点がずれている。そして、彼(彼女)は日々そのような論点のズレみたいなものに辟易しているために、このような文章を匿名で投稿したのだろう。
    私が察するに、彼(彼女)は非常にコミュニケーション能力の高い人物であるので、どのような人々に対しても誠心誠意紳士的に対応しているはずだ。
    そのような素晴らしい人だからこそ、彼(彼女)のいうところの知能指数100以下の人達からの心無い攻撃や、120程度であっても話の伝わらない相手などに、本当に辟易しているに違いない。
    彼は書いている。本当の自分として振る舞ったとしたら…云々と。彼は実にコミュニケーション能力の高い、紳士的な人物であろう。
    彼(彼女)は本音を書いているに過ぎない。
    そして、私は彼(彼女)の文章を読んで、とても晴れ晴れとした気持ちになった。
    彼(彼女)が目の前で語ってくれたのだとしたら、今すぐ感謝を伝えるところだ。

  13. コメントを追加したのですが間違えてしろごまさんへの返信にしてしまったようです。申し訳ありません。

  14. 先ほどコメントさせて頂いた者ですが、少々内容を読み違えておりました。
    読み直してみたところ、彼(彼女)は知能指数100の人達と全く関係を持つことが出来ないと書いてありました。
    コミュニケーション能力の高い方ではなさそうです、その点、大変失礼いたしました。

  15. Cambridge Brain Science で人口パーセント値 0%(おそらく上位0.4%以上)のものです。
    Cambridge Brain Science はネット上の非正規のIQテストとしては珍しく検査項目が行列だけでは無い上に、実際にテストを受けた十万人以上の数百万の検査結果から自分のスコアが上から数えてどの位置にあるのかを教えてくれるシステムなので、比較的信憑性が高いと思います。WAISなどの予約面倒な人や検査費用がもったいないと思う人はやってみてはいかがでしょうか。

    長い長い自分語り申し訳ありません。自己承認欲求が強いもので、適当に読み飛ばしてください。

    ここから本題ですが、私は自他ともに認める平均よりは賢い人間ですが、友人関係は良好です。とはいえ他人とのコミュニケーションに難しさを感じたことが無い訳ではありません。
    私は小学校高学年に入ってから自分の賢さに気付き、それまでは注意散漫で忘れ物常習犯の勉強嫌いだったことから、自分のことをバカだと思っていました。10歳を超えたあたりから忘れ物や遅刻も減り、勉強への苦手意識もいつの間にか消え去り、むしろテストでいつも高得点を取る成績上位者の仲間入りを果たしました。友達からも頭がいいと褒められるようになり、その頃から学校での授業と嫌々やらされる宿題だけで平均点を軽く超えた点数を取れるという事実に自信が付き初め、当時の担任教師から中学受験を勧められたり(それまでは塾に通った軽々などは一切ない)学年でもトップの地頭の良さだと褒められ、自分だけ明らかに大きな期待をかけられ、頼んでもいないのに先生の方から中学受験レベルの難しい問題を用意して来て解くように指示されたりと…
    それまで自信がなかったが故に数年のうちにここまで周りからの評価が急に上がって、自分は他人とは違う特別な人間なのだという錯覚が自分の中で生まれ、それはいつしか確信に変わっていました。
    そのせいで中学に上がる頃には無意識のうちに周りをバカにした態度を取っていたようで(自分自身にはそんなつもりはなかった)、同級生からは距離を置かれるようになりました(今思えば同級生から私への理不尽な嫉妬、僻み、やっかみでもあったように思います)。周りから距離を取られ、孤独を感じるようになりついに不登校となりました。それに反して思春期特有の根拠の無い万能感も合わさり、自分のことを過大評価する気持ちがあり、現実と理想との乖離にも悩む時期が続きました。
    ですがそれも、2年ほど続いた引きこもり生活のうちに、思春期の一段落とともに一旦の収まりがつき、今では出席や内申点不足が原因で(勉強もしてなかったので試験の結果もお察しですが…)いわゆる底辺校に通っております。
    ですが冒頭でも言った通り、高校での友人関係は良好です。

    正直、友人を悪く言うのは心苦しいですが、私と友人達との知能レベルの差は歴然としたものがあると思います。私が授業を受けていれば軽々90点後半を取れる簡単な定期テストで、隣の席の真面目にノートを取る女子は、80点にも届かない程度で、友人達も赤点ギリギリを取る人も居るくらいです。テストの点数をそのまま賢さとするならば、私は友人より2倍も3倍も賢い。でも日常会話に問題があるレベルでは無い。ということも重要な事実です。確かに少し高度な表現をしたり、遠回りな言い方をしたり、例え話をしたりした時に理解してくれないこともあります。友人達の話は矛盾だらけで、辻褄も合わないことが多い。その上私がついつい論理を飛躍させてしまった時には友人は私の話について来れませんが、私はそれにストレスを感じたことは無いです。
    それに、そもそもそんな頭を使う難しい話をする必要が無いんですよね。友人とは言っても、その関係にもよるとは思いますし、私がまだ学生だからなのかもしれませんが、友人達とは論理的な話よりもむしろ、感情的な会話をする方が楽しいものです。喜怒哀楽を表現することが目的の会話が私と友人達との会話であり、感情表現の面においてはむしろ、私なんかより友人達の方がまるで少年漫画の様な豊かで魅力的な一面を見せてくれることがあるものなんです。

  16. IQを科学とするのか疑似科学とするのか「境界設定問題」が生じるのではないでしょうか。つまりIQを科学とするのであれば、たった一つの反証(たとえば低IQと断定された人が高度な知識や技術や理解力や計算能力を有しているケースなど)が生じた場合、「IQが知性の絶対的メルクマールである」という仮説は撤回されなくてはならないのです。すなわち反証可能性を担保しなくてはならないのです。反証可能性を認めない主張は疑似科学(≒私的信念)ですからね。私の周りでも偏差値39位のFラン大出にもかかわらず起業して成功している人がいる一方で、高IQ高学歴でぱっとしない人も多いです。そもそも知能検査も「練習」でスコアが上がったりしますから、なんだかなあ、という感じです。

  17. コミュニケーションに関しては、いつもどこもMは内紛お家騒動が多い。
    高IQとされる人同士でも一般社会と変わりません。
    わたしの頃はひどいのはなかったにせよ、おかしなメンバーもいました。
    「あれは今までもいろんな問題起こして、それは自分が知能が高すぎるからと思い込んでるけど、Mでもやっぱり問題起こす。実は人間性が問題だったんだな」
    と役員仲間で嘆いてました。
    Mのメンバーはマスコミが取材に来た時を除いて、自分の体験を話したがらなかったけど、ネットで「高知能ゆえの不遇」スレッドがあるとかなり多くの体験談が寄せられるので、話したい人はたくさんいるのでしょう。
    こういう話は立場上(メンバー募集への問い合わせへの応対等)かなり聞きましたが、「現在の境遇に不満がある」以上のことはわかりませんでした。
    もともとMはイギリス人が冗談半分にはじめたので、知能テスト好成績者の集まりではあっても、知能自体にはあまり関心ない人が多かったです。
    役員だった頃、イギリスの機関紙に「障碍者に与えられる奨学金が高知能の子供に与えられた。高知能というのも障碍の一種」という記事がありましたが、本当なのか誤報なのか冗談なのか今でも判然としません。

    1. 非常に下らないと思います。
      恐らく頭の良さと能力では社会の上位10%に入る人間ですが、つまり世界中の超エリートを見てきた人間ですが、そういう選ばれた人間は大衆を見下すよりもっと大切な事をすべきだと思います。例えそれがどれほど理想論であっても。
      知能テストと高IQを誇る人間にろくな奴を見た事が無いといいますか、少なくとも多く与えられた人間は、人間の心があるなら、そうでない人々の為に尽くすべきです。
      もっとはっきり言えば、繊細な高IQ者の博士よりも、極めて過酷な状況、即ち経済戦争の戦争状態を生き延び、成功出来る、遥かに完成された高IQ者、おまけに人格的な完成をも成し遂げたものが求められると思いますよ。
      格差社会と資本主義と労働者と厭世観について他の記事も拝見致しましたが、社会学的な事を言いたいのでしょうか?それとも数値がお好きなら自然科学?人文科学や芸術においても、人間性が無ければ何の意味もありません。果たしてあなたはファン・ノイマンより頭が良いと言うのだろうか?テレンス・タオより?あの連中がIQ自慢をするとお思いですか?それこそふざけた馬鹿な話だ。ああいうのは思考じゃない。あれは才能なんです。ああいう子ども、元々恵まれてる子どもが知ってから知らずの内に知的訓練を繰り返し、脳のニューロンネットワークが指数関数的に発達する事で天才の域に達するんです。それをずっと続けてれば成長する限り成長し続けます。これが共感覚持ちの数学者や、極めて特殊な知性を持つ人間が世界を常人と異なって見れる理由です。あれらは才能であって普通の知性とかIQとか頭の良さとは呼べないんですよ。
      そして優秀な人間とは、社会学、自然科学、人文科学この全ての3つの分野に渡って総合してジェネラリストとして結果を出さねばならんようですよ。単に哲学だけでなくてね。
      あと、どれだけ世界が腐っていても、どうしようもない残酷な世界であっても殆ど無意味であろうとも希望を見出した方が良いと思いますよ。優れた先人たちはそう願って我々に科学を、哲学を、芸術を託して来たはずです。短い人生を困難に生きながら、生命掛けでね。それをあんまりに矮小化してませんか?私があなたの嫌いな資本主義の中で力を持ったボスの側だからこう言うのかも知れませんけど。

      あとね、少なくともあなた頭良くないですよ
      なぜか?私如きの知性の人間があなたの書いてること完全に理解出来るんですもの

      ヴィトゲンシュタインやノイマンの手稿は読んだことありますけど、あと素粒子論以降の物理学者らの数式も、ああいうのを扱ってる人々とも会ってますけど、私だとああいうのは理解するのに慣らす期間を取る必要があります。
      あなたの文章は普通に読めます。数学的な美も、論理の美しさも、つまりそういうのを彼ら天才たちの才能というんですが、あなたの文書にはそういうの見えませんし、そういうのと比較してあなたの思考と哲学体系は通常人のものですよ。

      1. 非常にくだらないと書かせて頂いた以前のものです
        頭に血が登っていたもので、感傷的かつ失礼で申し訳ない発言をお詫びします

        いやー面白くブログとツイッター読ましてもらいました
        クソみたいな事書いて滅茶苦茶後悔したんですが
        もうちょい書いた方が丁寧ですかね

        あなた、在野か独学でやってきてますね?
        ニーチェ引っ張って来てる時点でお察しな感はあったんですけど。ニーチェって厨二病の中学生が読みたがるもので、正規の哲学の階層に触れた人間は第一にニーチェは引っ張ってきません。ニーチェが使えるとしたら、アウシュヴィッツの環境を生き抜く為の哲学ぐらいです。ニーチェにそれ以外の意味は無い。フーコーも結局殆ど自殺してますしね。超人思想は、現実を生きる哲学としては失敗だってことですよ。あれやると知識人として乖離していって夏目漱石みたいになりますよ。漱石やニーチェは決して幸福な人生ではありませんし、彼らは健康的な哲学者とも言いがたいです。

        私哲学は専門外なんですが
        近代ならネットとポスト構造主義を絡めてる哲学者とか、あの辺じゃないですか?健康的な読んで調べる価値が本当にある哲学は。日本の哲学者は若干小粒ですけど、でも充分凄いですよ

        いま価値ある本当に優れた哲学だと寧ろ精神医学や臨床心理学の方から来るんじゃないんですか。そこに仁医はいますし、社会の病的な状況を全うに癒そうとしている医師は出るんじゃないですかね。あなたはあまりも社会システム全てを否定し過ぎだと思います

        あと天才について

        天才と天才の間の壮絶な差異、大学で一番優秀な物理学者とニュートンとアインシュタインの差、その中で行われる更に果てしない競争の過酷さ、運良く浮かばれる数%、優秀な人たちの浮かばれなさ、そういうものが現実実際に存在します

        例えばシリコンヴァレーでの競争の話ですが、あそこでは一芸出来れば十分食えるって才能を複数持った人間たちが競い合っています
        多言語話者当然、医学部出身者当然、芸術も運動も並以上に出来る、そういうのが基本のスペックです

        それとここが書きたかったんですが
        頭が切れて非常に優秀な人間たちが現代のこの状況で労働奴隷、賃金奴隷な訳がないでしょう?
        かれらは足枷なんてとうに外してますよ
        調べれば出来るので、それをお勧めします

        日本がおかしいってのは完全に正解で、それもマイノリティでなく多数の解答になりつつあります。ちな、これがわかってて若い時から優秀な奴らはスタンフォードかハーバードに逃げるんですよ。東大の学部からね。日本やばすぎるのが在学中にわかってるから。

        1. アナーキストって面白いですね
          私はこの確かに病的な世界を生きる上で、紆余曲折の果てにストア哲学を採用しましたけど
          ニーチェフーコーサルトルボーボワールデリダカントヘーゲル色々いますが、あまりにアカデミック過ぎるのは放置して

          夏目漱石やヴィルヘルム・フリードリヒ・ニーチェは、思想家哲学者芸術家として紛れもなく偉大ですが、現実の人生を実際に生きる人間としては失敗に近いのです

          例えば明確に人間として偉大なのはネルソン・マンデラ、抗アパルトヘイトの大統領です。かれは良かれ悪しかれあなたのいう国家体制の抑圧と差別と戦い、青春時代に30年前後世界最悪の刑務所にぶち込まれるという経験を経て、人間として殆ど死んだような中で、折れる事も腐る事もなく勉学に勤しみ続けたという人間です。パスカルの言う考える葦としての弱い人間が至る可能性の一つです。アントワーヌ・サン=テグジュペリを引用するなら、”確かに技術学校の生徒でさえパスカルやデカルトが知っている以上の数式を知っている。しかし、彼らにあれだけの精神力があるだろうか?”です。アルバート・アインシュタインもナチスによる迫害と戦争の捕虜経験を経て生き残っております。

          こうすると、あなたにとって失敗が何を指すのか不明なのですが、つまりあなたの哲学がどの程度の深度を持っているのか不明だという事ですが、彼らにとっては苦悩を抱え困難な状況に人間として生存しているという事が既にある種の成功だと思います

          あなたは環境に征服されているというか、病的な社会状況に征服されているというか、そんな気がします。
          世捨てをしたいのならばまたその生き方があるのではと思いますよ。
          社会批判をしたいならアナーキズムが現実的に殆ど成立しない事を学ばないとなりません。この社会は問題が確かに多々あるのですが、例えば格差社会を根本的に解決出来たような政治哲学者は、人類史上誰一人現れてないんです。マルクスは失敗者です。出来ているのは幾らかマシにする事です。それが今の限界です。

          東大生が金持ちのボンボンなのだと言う偏見もありましたが、東大出身者で恵まれたキャリアを描くのではなく、同じ様に人間として死ぬような苛烈な経験を経て、それを克服し勝利する人間もいます。東大出身者のエリートキャリアで没落する人間も普通にいます。私が見た東大の先輩は文理における能力が双方高いジェネラリストでした。その東大出身者の優秀層ですら勝てないのが現在の全世界規模の資本主義の経済戦争です。だから化け物と化け物の戦いです。故にここで勝つには通常の普通の人のスペックでは無理だと言う事ですよ。いかに優秀な人間であっても勝てないのなら、人間を超えるか、人間を拡張するしかないんです。ここも散々研究されて議論されてる所ですけど。

          人間の本性は悪であり、人間性と人間に期待することは幻想に過ぎません。
          これは洗脳でもなんでもなくて、私自身超エリート層と社会の底辺のような監獄状況の両方を体験しましたが、その中でわかった事は人間の本性は悪だということです。

          ちょっと野山を歩いて生物学的に考えればわかりませんか?アシナガバチの幼虫を麻痺させて寄生させて食い尽くす昆虫がいますけど、人間の本質はあれと一緒ですよ。生きることは喰らうことです。世界は残酷なんです。

          原始共同体のようなコミュニティであっても平等はありえませんよ。狩猟採取とアニミズム的な国家とは言えない村落のはじめであっても、強弱は存在するから食物の多寡も存在します。先史文明の遺物を研究すればわかります。ブッダ、イエス、ソクラテス以前の文明をね。一億年位前の文明をです。動物は生きてれば絶対これを生み出します。

          人間は性悪で世界はどうしようもないんですが、どれだけ現実に絶望しようとそれがどれだけ理想的な事でもそれでも善を為さねばならないのが本当です。われわれは善悪を語る前に、血涙を流し泣き叫ぶ豚の母親の目の前で殺された赤子を喜んで食べていてるのです。

          夜と霧を呼んでください
          あそこに全てが書いてあります

          国家がどうこう社会がどうこうって話じゃないです。支配階層か被支配階層かもくだらん話です。アントワーヌサン=テグジュペリやヴィクトールフランクルが極限状況で出会った何もかも全てが違う人々と助け合ったことだけが大切なんです。最期の一片のパンを分け合ったことが。

          人間は腐っていて世界は狂っていて
          狂気の中に生きてほんの一瞬正気になると
          それで良いのではと思います。

  18. 100以下の人々は実質的に私の発言や行動によって毛嫌いしたり「攻撃的」にまでなるという文章読んだ?

    キーボードの文字が薄くなるぐらい長文を書いて、議論しているつもりなのかもしれないけど、そういうのを言いがかりといって、人を攻撃してるんだよ。
    結局、自分の方が能力が高いと言いたいんだろ。
    自分の心を見つめてみな。
    賢い人に嫉妬してるだけだから。
    自分の発言が『嫉妬からくるもの』ってわかったとき、人は賢くなるけど、この俺の話もアホっぽく聞こえるんだろうね。
    とにかく地球は生きづらい。

  19. 少し出てるけど、抽象的・論理的思考力っていうのは訓練してるかとか、そもそもそのやり方を知ってるかどうかってところに依るのかなと思う。後者は特に大きいと思う。生まれつきできる人もいるのかもしれないけど、後天的に習得した人が多数派なのでは。
    そうだとするとそういう能力の有無は、興味の対象や生まれ育った環境の問題という感じがする。
    IQが低い相手だろうが何だろうが、一応は複雑な脳を何十年も稼働させてきた生物として、面白いデータは沢山持ってるだろう。それを引き出せるコミュニケーション能力があってこその話だろうけど。
    いやまあ僕にはそんなコミュ力ないんですけどね。

  20. ここに投稿してる人たちは頭は良いのかもしれませんがご自身が他人との比較によってしか成立し得ない下らない選民意識に囚われていることにお気づきでしょうか?その危険性を認識できていないならあなた方も相当な愚か者です。

    1. 私はWAISなどの所謂正式な知能テストを受けた経験がないので、高IQという立場からの発言をすることは出来ませんし控えさせて頂きます。
      ですのでこれからするのはあくまで推測での話です。
      ※この話はとてもデリケートな話題で(このブログとこのコメント欄が既にそうですが…)不快に思う人もいるかもしれません。
      誤解を恐れずに言うと、私が思うにIQ上位1パーセント以上のレベルになってくると、IQ100の人との会話がIQ100の人が子供と会話している感覚に近いものに感じられるのではないかと思います。
      これには知能という話だけでなく知識の量の問題もあるでしょうし、興味関心の広さの問題もあるでしょう。
      IQの数字をある程度信頼のおけるものだとして、正規分布を大雑把(細かい人口比は大目に見て)に捉えて、単純に数字の比較で知能の比較ができると仮定した場合。
      IQ130の人とIQ100の人の会話は、IQ100の人とIQ70の人の会話に置き換えて話をすることが出来ると思います。後者の場合を想像してみてもらえば想像しやすいのではないでしょうか。
      IQ70と言うと軽度知的障害ギリギリのラインです。小中学校では支援学級を勧められるラインです。そしてIQ100の人から見たIQ70の人は少数派ですが、IQ130の人から見たIQ100の人は多数派だと言うことも事実です。

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