毎年、私は実家の裏山で年を越すことにしている。

小さな火を焚き、30分ほどを過ごす。

当然ながらだれもいない。真っ暗である。しかし、市街と向かいの山を一望できるその場所からは、さまざまな人が新年を祝う花火が見えるのだった。

私はそれを見ながら、小瓶の酒をちびちび飲み、ぼんやりと過ごすのである。

これは2017年の年越し。

今年の総括

今年は実り多い年だった。知的にかなり前進できた。

単に知識を身につけたということではなく、より自由になり、より多くの自己発展を果たしたと思う。

アナーキズムとの出会い

アナーキズムと出会ったことが大きな出来事だった。

私が自分をアナーキストだと認識したのは18年の1月。だから私はまだアナーキスト一年生だ。

日本では死んだ思想と思われがちのアナーキズムだが、海外では一定の影響力を持っている。2018年は主にAnarchist Libraryを読みふけった。特にインパクトが強かったのはユナボマーの「産業社会と未来(全文)」。他、著名なアナーキストであるジョン・ザーザン、ディヴィッド・グレーバー、ピーター・ゲルダルースにも影響を受けた。

今年読んだ著書の中では、James C. Scottの「ゾミア」のインパクトがもっとも大きかった。James C. Scott、たぶん後世に名を残すと思う。他、シュティルナーの「唯一者とその所有」、あとはたまたま図書館で手にした柄谷行人の「帝国の構造」も良かった。柄谷ってあまり知られていないがアナーキストなんだよね。

「国家」「文明」「技術」「家族」「道徳」。そういった「幽霊」をひとつひとつ丁寧に潰していったことで、自由に生きるようになった。

世界を殺してしまった

「自分を殺すか、世界を殺すか」

もっとも人生を憎んでいたときから好きだった言葉だ。

結局、まともな人間は現代社会と調和してやっていくことは不可能だ。世界を肯定するか、自己を肯定するか――これはトレード・オフであり、自分を肯定するということは、すなわち世界を否定すること。

10年ほど前、私は自分が惨めで最悪の存在だと思い込んで苦悩していた。他方、社会は完全に機能しているように思われた。周りの浮ついた連中(リア充)が羨ましかった。

現在では、私は自分が充足した存在だと感じている。かつて憧れた「社会適応者」は、なにか心を壊した薄ら寒い存在に見える。そして現代社会は完全に腐敗していると思う。

いま、私は貧乏で社会的地位の低い惨めな生活をしている。貯金は増えていない。高級車は持っていない。結婚もしていない。賃金労働をしている。「30歳までに作家になる」という夢は潰えた。

でも、私は自分を十分な幸福者だと感じている。

世界を殺して、自分を生かすことに決めたから。

これからも凡庸な人間になることはない。いつまでも少数の認識者として生きていこうと思う。

今後の展望

いま撮ってきた、今年の焚き火。

2019年をどういう年にしようか。

前々から考えていること。自分で何かを生産して直売したいと思っている。ブログという営みをマネタイズしたいけれども、アドセンスのように「だれか他人の商品を売る」のが嫌だ。とりあえず一冊でも著書を書いてみたい。

第二に、「セミリタイア生活」に移行したいと思っている。月々の支出を極限まで削ぎ落とし、ある程度著述で収入を得て、週16時間労働くらいで生きていけるようにする……。

少し世帯じみた? 願望を書いてしまった。私も三十路だから、遠い理想よりも近くの現実を見るようになってしまう。

……お前の信じているアナーキズムこそ「遠い理想」だろう、と言われるかも知れない。しかし、私にとってアナーキズムの方が現実的で、産業文明社会の方がはるかに遠いものなのである。

不覚にもAマークだったのでパシャリ。わざとではない。

2019年も「齟齬」の更新は続けていく。ただ、2018年のようには頻繁に更新できないと思う。週に1度か2度くらいになるだろう。でも、ブログはずっと続けていきたいと思っている。

2018年、たくさんの支持、応援、感想、批判に感謝しています。読まれている――という事実だけで書いている甲斐があります。

それではみなさん良いお年を。

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