2019-11-18

150万円の家に引っ越した。

しばらく隠棲する。

とにかく……静かで眺望のいい家だ。鳥と虫の声しか聞こえない。まあ、この家が優れているのはそれくらいである。

この物件を見に行ってから1ヶ月で入居となった。

この選択は私にとって大きなものだった。

30歳を迎えた私には、葛藤があった。自分のこの生をどうしたいのか、ということだ。

30歳にもなると――先のことが見えてくる。先が見えるとは、自分が見えるということでもある。私は多くの人々によって踏み固められた平凡な人生を歩めないだろう。そして平凡な人生を歩めないということは、歩むべきでもないということである。

世間の常識で考えれば、私の貯えはまったく乏しい。それに、ぶらぶらすべき年齢ではない。だけど、私ははっきりと先の見えない困難の多い道を選んだ。

L’Oeuf Blue – Paul Wunderlich

生は戦いなり也?

Muss es sein? Es muss sein! Es muss sein!

いや、「選ばされた」というべきだ。

私はいやいやながらそうするのである。クルマに家財を積んでここに来るとき、嫌な動悸と胃痛に苦しめられた。それ以前も、ずっと不安に押しつぶされそうだった。

どうしてこうなったのか? すべては間違っているのではないか?

そんな疑問に襲われて、私は、夜も眠れないくらいだった。

「人生は戦いなのだから」とそのたびに自分を納得させた。「人生は戦いである。だから、不安と恐怖があるのは当然だ。大事なことは、それに屈しないことだ」。

人生は戦いなのだろうか。おそらくは、そうである。

自然界は戦争の世界である。自然な男は戦士である。自然法は歯と爪だ。爾余のすべては誤りである。戦闘状態はいたるところに存在する。私たちは永遠の衝突のなかに生まれている。それが私たちの受け継いたものであり、前世代の遺産なのだ。(”Might is Right” Ragner Redbeard)

では、世間の人々は――失礼ながら――どうしてあんなにふぬけているのだろう? 弛緩した笑みを浮かべ、だらしない腹をさすり、自分の生をだれかに譲り渡してしまうのだろうか。

オオカミと10余年を過ごした哲学者のマーク・ローランズはこう述べている。

人間は弱さをつくりだす動物である。私たちはオオカミを犬に変えた。バッファローを牛に変えた。種馬を去勢馬に変えた。私たちは利用できるように、彼らを弱くするのである。(「哲学者とオオカミ」訳は私による)

「人間は弱さをつくりだす動物であるHumans are the animals that manufacture weakness.」。ローランズは言及していないけれども、私たちにとってもっとも「有用な道具」とは、もちろん人間である。だから私たちは去勢され、牙を抜かれ、すすんで腹を見せるように飼いならされるというわけだ。

鶏を脅しつければ、産む卵の数が増えるというわけではない。牛を鞭打っても乳はたくさん出ない。しかし、人間は未来を予見し、因果関係をよく理解する。だから私たちは「恐怖」で管理される。

恐怖を感じるとき、不安を感じるとき、私は自分にこう言おう。それはなにも問題ない。そして「君が不安を感じ、恐怖を胸にいだきながらも、あえてそれをするなら、それは正しいのだ」と。

「周りのだれもかれもが君を否定して、それでも君がそうすることをやめないなら、それは絶対的に正しい」。

植えつけられた恐怖を少しずつ解除していく。それは「おばけ」であり、「頭の中の歯車」である。

恐怖ほど恐怖すべきものはない。

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