苦痛を癒やし快楽をもたらす四つの良薬

望むべきではないものを望む人。そして恐れるべきではないものを恐れる人。このふたつが私が知る失敗者の典型です。

アリストテレスは幸福を求め、プラトンは理想を求めたのですが、エピクロスが求めたのは快楽でした。快楽は非常に誤解されやすい概念ですが、具体的にはアタラクシア(心の静穏)、そしてアポニア(肉体的苦痛のないこと)を求めた。

人生を喜び多く生きるためには、苦痛や不安があってはいけません。生きる苦しみをとりのぞくエピクロスの「四つの薬Tetrapharmakos」を紹介します。

神を恐れなくてよい

Ἄφοβον ὁ θεός

恐ろしい裁きをもたらす神は存在しません。

古代ギリシャの人々はこう信じていました。雷はゼウスの怒りだ。地震や嵐はポセイドンが起こしているのだ。人間が神の怒りを引き起こしたのだ。

生きているうちに道徳的に悪いことをすれば、死後に楽園(エーリュシオン)にいけなくなる。冥界の審判官が許さないだろうから。

エピクロスは、「神の怒り」を認めませんでした。人間の関わる世界の自然現象は、神がいなくても説明できるからです。エピクロスが現実に目にしたのは、むしろ「神の怒り」への恐怖によって、人生の快楽を失う人々でした。

神に関する「エピクロスのトリレンマ」を、懐疑主義者のヒュームの要約から紹介します。

  1. もし神が悪を防ぐことができないのであれば、神は万能ではない。
  2. もし神が悪を防ごうとしないのであれば、神は善ではない。
  3. もし神が悪を防ごうとし、それが可能であれば、どうして悪が存在するのか?

というわけで、私たちが「神」と呼ぶような全能で善良な存在はいないとエピクロスは主張した。だから、私たちは「神の意志」ではなく、自分の意志に従って人生を生きるべきだ、というのがエピクロスの主張です。

ところで、キリスト者はエピクロスを「無神論者」と批判しましたが、実際には神の存在を否定しませんでした(弟子たちの中には過激な宗教批判者もいましたが)。私たちの生に影響する・影響されるような神、人格を持つ神の存在など怪しいものだ、と彼は主張するのです。

もし神が何者にも妨げられない幸福な存在であれば、人間によって悩まされたり不快になることはまったくないだろう。もし神が人間に妨げられるのであれば、そのような神は神とはいえない。

死を心配しないでよい

ἀνύποπτον ὁ θάνατος

エピクロスは、すべての恐怖のなかでもっとも大きなものとして死を位置づけました。死の恐怖がもたらす苦しみは長く激しいものです。死の恐怖があるから、私たちは苦痛や恐怖のないアタラクシアの生活を送ることができない。

しかし、エピクロスはデモクリトスやレウキッポス由来の唯物論を通じて死の恐怖を克服しようとする。死=無であり、死後の世界はない。人間には魂があるが、それは原子として私たちの肉体に行き渡っており、死んだらバラバラになって霧散してしまう。だから、死を経験することはない。

エピクロスは手紙において書いています。

死は、もろもろの悪いもののうちでもっとも恐ろしいものとされているが、実はわれわれにとって何ものでもない。なぜかといえば、われわれが存するかぎり、死は現に存せず、死が現に存するときには、もはやわれわれは存しないからである。

エピキュリアンの墓石の多くには”Non fui, fui, non sum, non curo”というエピタフが刻まれます。これは、「存在しなかった、存在した、存在しない、気にしない」といった意味です。

どうして死後を恐れるのか。生まれる前と同じ状態に戻るだけなのに。とエピクロスは言います。エピクロスは、死の恐怖と長寿への望みを捨てたときのに、人生のほとんどの恐怖はなくなり、生の残り時間をゆたかに楽しめると考えた。

良き物を得るのは易しい

καὶ τἀγαθὸν μὲν εὔκτητον

エピキュリアンといえば毎日酒をがぶがぶ飲んでファックしまくりなイメージがありますが、まったく逆です。

「富める者はもっとも必要とするものが少ない者だ」とエピクロスは言った。彼は人間が必要とするものと、不要であるものを区別した。

  • 自然で必要なもの――空気、水、食べ物、住処等
  • 自然で不必要なもの――贅沢な食事、酒、豪邸、セックス等
  • 不自然で不要なもの――名誉、富裕、栄光、政治、権力等

最後の「不自然で不要なもの」を特にエピクロスは「空っぽ」なものと表現した。獲得するために膨大な努力が必要なのに、手に入れたから満足することはなく、制限に追い求めるようになる。それらは幸福よりも不幸を招く結果になる。「得ることが困難なものは、必要がないのだ」というのがエピクロスの主張です。

ちなみに、古代ギリシャの哲学者で政治を否定する思想に違和感がありますが、当時はヘレニズム時代で内紛や分裂を繰り返しており、社会不安が非常に高まった時期でもあります。

また、エピクロスは、恋愛や結婚についても不必要なものとしました。だれもが知るとおり(?)、恋愛や結婚は喜びより気苦労の方が多いものです。セックスを否定はしませんが、できるだけ避けるべき快楽だとした。

エピキュリアンのスローガンはこうです。「パンと水さえあればゼウスと幸福で勝つこともできる」。これが「快楽」をとことん追求したエピクロスの考え方なのでした。

ところで、エピクロスが何よりも大切なものとして説いたのは「友情」でした。気の合う友人たちと哲学的議論を交わすことをもっとも大きな喜びとした。エピキュリアンの思想「隠れて生きよ」は隠者として生きよというわけではなく、彼らはアテネの郊外の庭園で集団で仲良く暮らした。

世界が与えるものをもっと深く、美しいものとして受けいれよう。今私たちが与えられているものに満足しよう。そうエピクロスは主張した。そうすることで、私たちは多くの恐怖や不安から解放されることになります。

苦難は耐え易い

τὸ δὲ δεινὸν εὐκαρτέρητον

人間は生きている上で、さまざまな病や苦痛に苦しむことがあります。

エピクロスは、そういった苦痛は耐えやすいものだと考えます。その要点は、「激しい痛みは短期的なものであり、慢性的な痛みは鈍いものだから」です。「激しく慢性的な痛み」は例外的である、とエピクロスは考えた。

「人間は苦痛や困難に耐えられる」ということを知っておくこと、今は激しい痛みがあっても、それはすぐに過ぎ去ることを知っておくこと、このことによって人生は楽になるのです。

もちろん、この世には「激しく慢性的な痛み」はある。たとえば末期がんはそのひとつでしょう。そうなれば、人生を終わらせてしまえばよいとエピクロス派は考えます。

終わりに

Summer Haze by John Miller

空虚、とは精神の病を治療することのない哲学的議論を言うのである。肉体の病を除去できなければ医学に価値がないのと同様、精神の苦しみを除去できなければ哲学には価値がない。――エピクロス

エピクロスの思想は非常に実践的で、効果的であり、まさに妙薬といえる。

現代ではマイナーな思想ですが、最盛期には40万人を超えるエピキュリアンを生み、古代ギリシャのすべての組織のなかで最大勢力となりました。エピクロス主義はコスモポリタニズムであり、その共同体である「庭園」は奴隷や女性も数多く参加した。

エピクロス主義が終焉したのはキリスト教が台頭したからです。キリスト教は国家権力と結びついて強力に広がった。恐怖で操作できない人々は支配しづらい。

ただ、現代でもエピキュリアンな生活をしている人は多いと感じます。特に思いだすのは私の大好きなTED動画「Life is easy」のJon Jandai氏です。あと、セミリタイア生活を送るブロガー、人生よよよ氏はエピキュリアンそのものだと勝手に思っています。ついでに、冒険家のからあげ隊長も。

エピクロスは、人間が恐怖から解放され、勇敢に、そして互いに思いやりながら暮らし、真の至福を感じるようになることを望んでいました。

個人的にはアタラクシアやアポニアを理想とすることにはあまり共感できないのですが、それはさておき、テトラファルマコスを知ったときに、私の心はだいぶ楽になりました。良い薬であることは間違いないようです。

4 comments

  1. 外国人という犯罪者予備軍擁護すんの楽しいか?海外オタクよ。日本語使うなよ気持ち悪い。昭和生まれという犯罪者予備軍か?

  2. 現代のエピュキュリアンを教えてくれてありがとうございます。特にJon Jandai氏は英語で素晴らしいスピーチを世界に向けてしました。日本にはJon Jandai氏みたいな庶民が昔いっぱいいたと思います。伝統的に清貧の思想がありました。今は排外主義の変な人が出てきて日本が貧困になってきていると感じます。

  3. 宇宙外生物に、思いを馳せてみては。
    宇宙の外側にある(いる)何か。
    私は5角形に見えているかも?

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