「パンと水さえあればゼウスと幸福で勝つこともできる」

エピクロスがおもしろい。岩波文庫の「エピクロス――教説と手紙」を読んだので気に入ったフレーズを紹介します。

エピクロスの引用集

チーズを小壺に入れて送ってくれたまえ、したいと思えば豪遊することもできようから。

水とパンとチーズ、そして気の合う友人――それがエピクロスの求めるものだった。それさえあればハッピーなのだ。

「エピキュリアン」といえば、贅沢な食事、飲酒、放縦なセックスというイメージがあるが、それはまったくの間違いである。

自然のもたらす富は限られており、また容易に獲得することができる。しかし、むなしい臆見の追い求める富は、限りなく広がる。

私がエピクロスを好きになったのは、自然の与えるもの、水や作物、大地や空気に満足せよ、という教えです。私たちは膨大な食料に囲まれていながら、仕事を失って飢えることに怯えている。そうして毎日労働している。実に恐怖こそが私たちを縛りつけることをエピクロスは説く。

貧乏は、自然の目的(快)によって測れば、大きな富である。これに反し、限界のない富は、大きな貧乏である。

エピクロスがもっとも幸福に有害だと考えたのは、不要で不自然な欲求、権勢欲、富や地位の追求である。そういうわけで、エピクロスは国政に関わらずに生きることを提唱した。これは非政治的であるばかりか、反政治的でもあった。後に述べるように、当時の激動の社会情勢を反映してるからだと考えられる。

性交が、ひとを益することは決してない。

エピクロスはセックスを明白に否定する。ただし、富や権力と違い、セックスが自然な欲求だということは認めている。セックスに関しては、むしろストア派の方が肯定している。エピクロスは結婚にも反対するが、知者が必要に応じて結婚することもありうるとしている。

質素にも限度がある。その限度を無視する人は、過度のぜいたくのために誤つ人と同じような目にあう。

これには笑った。「ミニマリスト」のような偏執狂に私が抱く違和感と同じだ。節制は自由を得るための手段であり、目的ではない。

あたかもわれわれが長いあいだわれわれに大きな害を与えてきた邪しまな人を追い払うように、われわれは、悪い習慣を、徹底的に追い払おうではないか。

私たちの多くは悪癖に悩まされる。アマゾンでガラクタを買ったり、外食をしたり、酒をガブガブ飲んだり……あるいは、富や権力、セックスの快楽を追求することもある。その結果、私たちは時間とエネルギーを失うだけではなく、実際に鬱病や糖尿病のような病を患う。こういった毒になる習慣を捨てよとエピクロスは説く。

正しい人は、最も平静な心境にある。これに反し、不正な人は極度の動揺に満ちている。

エピクロスのほんとうに好きなところは、堅苦しい道徳を説かなかったことだ。個人の外部に神や道徳律のような規範を求めなかった。あくまで、自分の快楽を追求すること、それによって正義が実現すると考える。それは、快楽や苦痛にあっても正義を追求するストア派とは決定的に異なる考え方だった。

ところで、エピクロスは法律を絶対視しない。ソクラテスのように「悪法もまた法なり」とは考えなかった。それは社会に秩序をもたらし個人を幸福にする限りで有用なものと考えた。この考えはベンサムの功利主義に引き継がれる。

わたしは、決して、多くの人々に気に入られたいとは思わなかった。なぜなら、一方、何がかれらの気にいるかはわたしにはわからなかったし、他方、わたしの知っていたことは、かれらの感覚からは遠くへだたっていたからである。

俗見にしたがって、多くの人々がやたらにふりかかる賞賛をかちうるよりも、むしろこのわたしは、自然の研究にたずさわって、たとえたれひとり理解してくれなくても、すべての人間にとって役に立つことどもを、腹蔵なく語り、神託のように告げることを選ぶ。

このエピクロスの孤高ともいえる考え方からは、プラトン主義が主流だった当時に、大変な反対に合いながら独自の思想を主張した彼の苦労が伺える。

エピクロスはそれでも、自分の信ずる道を説いた。

われわれは、哲学を研究しているように装うべきではなくて、真に哲学を研究すべきである。なぜなら、われわれが必要とするのは、健康であるようにみえるということではなく、真の意味で健康であるということなのであるから。

思想と行動の一致をエピクロスは説いた。それは「思想のための思想」ではなく、人々を救うための実用的な哲学であり、人間の病める精神を治療する医学である。(→テトラファルマコス

われわれの生まれたのは、ただ一度きりで、二度と生まれることはできない。これきりで、もはや永遠に存しないものと定められている。ところが、君は、明日の〈主人〉でさえないのに、喜ばしいことをあとまわしにしている。人生は延引によって空費され、われわれはみな、ひとりひとり、忙殺のうちに死んでゆくのに。

エピクロスは、明日飢えることを心配するなと説いた。この世界に穀物はたくさんあり、安価に手に入るのだし、数日食わなくても死ぬことはないからだ。だから、今、楽しめと説く。あらゆる恐怖から解放され、自分の快楽を追求したときに幸福がやってくる。

自己充足は、あらゆる富のうちの最大のものである。

だれもこの言葉に反対はしないだろう。

エピクロスの生涯

エピクロスの生涯の前半には、ひとつに貧困があり、もうひとつに政治的激動があった。

彼が生まれたのは紀元前341年であった。紀元前352年に彼の家族はサモスに移住したのだが、これは土地を与えられての入植民(クレールーコイ)であり、それは当時最も貧しい人々であることを意味した。

彼の父親であるネオクレスは教師であったが、読み書きの教師であり、これは当時軽蔑される職業だった。子どもたちの間で生涯を費やすものであり、女や家内奴隷と同じとみなされたのである。

そんな家庭に生まれたエピクロスだが、12歳の頃から当時もっとも主流だったプラトン派哲学を学ぶためにパンビロスに師事した。

彼が18歳になるとき、紀元前323年、アテナイへ出てきた。そしてその年の6月にはマケドニアの大王であるアレクサンドロスが死んだ。その後は、内戦であるディアドコイ戦争、つまり大王の後継者を争って繰り広げられた戦争が起きた。

エピクロスの思想が生まれ、またそれが受け入れられたのは、背景に政治に対する絶望があったからであるとされる。

エピクロスが自らの思想を説いたのは30歳前後である。レスボス島で学校を開くも、プラトン派が優勢なために受け入れられなかった。Norman Wentworth De Wittによれば実に彼の教義の半分以上はプラトニズムに反するとされる。

彼はアテナイへ移り、わずかな金で庭園つきの小さな家を購入した。そこにエピクロス主義者のコミュニティである「庭園」を創設した。庭園はプラトンの「アカデメイア」に近いとされる。しかし、アカデメイアが(幾何学ができなければ入れない?)教育機関であるのに対し、エピクロス主義の庭園は、パメラ・ゴードンに言わせると「似かよった精神の、ある種の生き方を意欲的に実践する人々のコミュニティ」であったとされる。

当時の哲学者が土地と住居を構えてコミュニティを形成するのは珍しくなかったが、エピクロス主義の特徴としては、当時としてははじめて、女性の参入を認めたこと、奴隷にも教えを説いたこと、そして田舎に拠点を置いたことだった。彼らの庭園がどのようなものだったかの史料はないが、エリダヌス運河の近くにあったことから、水と木々、植物が豊富だっただろうとされる

彼の死後、エピクロス主義は40万人を超え、当時の最大勢力となった。しかしキリスト教が国家と結びついて布教されると勢力は衰えていった。当時のエピクロス批判のプロパガンダ、つまり「酒池肉林の堕落した快楽主義」という誤解は、現代にも生き残っている。

エピクロスと個人主義的アナーキズム

一般的に、ギリシャ哲学でアナーキズムと親和性が高いのはエピクロス主義と犬儒派であるとされる。ところで、犬儒派が割とおおっぴらに規範に反対する傾向があったのに対し(犬儒派は大道芸人のようなところがあった)、エピクロス主義は規範からの隠遁を唱えた。

アナーキズム思想とエピクロス主義はよく似ている。私がエピクロスに興味をもったのは個人主義的アナーキストのハン・ライナーからだが(彼はエピクテートスの方が好きだったみたいだが)、シュティルナーを日本語訳した辻潤もエピキュリアンとして知られている。現代のエピクロス主義思想家は稀だが、パラントの影響を受けたフランスの思想家ミシェル・オンフレもエピクロス主義者である。また、中期のニーチェはエピクロスにかなり影響を受けたとされる(PDF)

あきらかに、エピクロスの思想は個人主義である。つまり反社会的である。その根底には原子論がある。ギリシャ語の原子、アトモンは、ラテン語では「individuum」となる。

具体的に個人主義やアナーキズムと似ている点をあげてみる。

  • 反宗教的であること、つまり死後の世界を否定すること、神の人間への影響を否定したこと。
  • 政治を否定したこと。富と権力を不自然なものとして退けたこと。また、その共同体が女性や奴隷を差別しなかったこと。
  • 人間の幸福に有用ではない法律を否定したこと。
  • 個人の快楽のためにときに文明や文化でさえ否定したこと。
  • 社会を変革しようと試みるよりは、自己の人生の満足を説いたこと。
  • 一方で、同じ思想を共有する人々との共同体を尊重したこと。

おそらくエピキュリアンたちの「庭園」は、かなり成功したフリー・アソシエーションだったのではないかと想像する。特に、シュティルナーの「エゴイストたちのユニオン」にかなり近いのではないか。

政治から逃れて「隠れて生きる」姿勢は、国家から逃れて生きた辺境民「ゾミア」の生き方によく似ている。おそらくゾミアの人々が平等主義的でアナーキーだったように、エピクロス主義もアナーキーだったのではないかと思う。

エピクロス主義のライバルといえばストア派だが、この両者の教義は矛盾よりも共通点の方が多いように思われる。ストア派のセネカがエピクロスを引用しまくっていることは有名である。ニュアンスとして、ストア派の方が一神教的、男性的であるのに対して、エピクロス主義の方が仏教的、女性的であるという違いがある(エピクロス主義は非常に仏教的だ!)。

基本的に私は、状況が許す限りエピクロス主義を支持するし、「隠れて生きる」ことが困難な場合、束縛を免れぬ場合はストア派哲学を採用しようと思っている。

エピクロスは非常に多作な思想家だった。エピクテートスによって「人間の社会性を否定するくせに本をやたらめったら書きやがって」と難癖つけられるほどだった。しかも、彼はほとんど引用をせずに自分の言葉で書いたのだった。

しかし、エピクロスの書籍はほとんど残っていない。左の岩波文庫の本は、一冊で残されたエピクロスの手紙と教義を網羅している。個人的には、バガヴァッド・ギータースッタニパータと同じく、ずっと傍においておきたい本である。

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