2019-10-10

ADHDは1万年前の脳を持って生まれたシーラカンス?

私は以前、「自閉症者は自己家畜化されていない脳を持つ」という論文に非常に驚いたのですが、今度は「ADHDは遊動的狩猟採集社会に適応的な脳を持つ」という説があるようで、それに関する小論が非常におもしろかったので訳しました。

原文は「The Evolution of ADHD – Social Context Matters(PDF)」。著者はウィスコンシン大学の生物考古学者のDan Eisenberg、ウィスコンシン大学ミルウォーキー校の考古学者Benjamin Campbell。

ADHDが狩猟採集民の脳なのであれば、なぜ淘汰されずに現代に生き残っているのか? その点が考察されている小論です。

Where Do We Come From? What Are We? Where Are We Going? by Paul Gauguin.

ADHDの進化――社会的コンテクスト要因

注意欠陥多動性障害(ADHD)はアメリカにおいて小児の8%(男児の12%)と、成人の4.4%が障害を持つと推定されている。ADHDは大部分が遺伝要因(約70%)によるものであり、そのことは遺伝子が因果関係と自然選択によって影響を受けることを示唆している。したがって、このADHDの高い罹患率はつぎのような疑問を投げかける。「なぜADHDの原因となる遺伝子は自然選択によって人間集団から排除されなかったか?」 この問題に答えるためには、ADHDの現象をよりよく知る意味でも、まず私たちの現在の社会環境について、そして進化の歴史において私たちが経験した可能性のある過去の環境について、遺伝子的、分子的なエビデンスに加えて考慮する必要がある。

私たちは、先祖たちと異なる社会的、環境的コンテクストのなかを生きている。大規模な公的学校と公的教育はここ数百年の最近の発明である。約10000年前まで、すべての人間は遊動的狩猟採集民であり、農業や家畜化された動物は存在しなかった。私たちの先祖は社会的な圧力に直面し、複雑な採取と狩猟の技術に注意を集中させる必要があったが、社会的教育的要求の本質は、私たちの現在直面しているものと質的に異なっていた。今日、私たちは狭く定義された技術を専門化しているが、狩猟採集民はおそらくジェネラリストであり、広く多様な生存技術や社会的技術を獲得し実践する必要があった。

現代の狩猟採集民の研究からは、私たちのほとんどが経験したような、教室における高度に統制された学習ではなく、遊びや観察、インフォーマルな指導をつうじて学習が行われてきたとまとめることができる。ADHDが通常、学校において「適切に」集中する上で困難である子どもに対して診断され、またそれが続いて、特定の厳格な方法に注意しつづける必要のある労働やライフスタイルに問題をかかえる大人たちに対して診断されるのは驚くことではない。私たちの進化史の過去においては、ADHDはそれほど問題をかかえておらず、おそらく長所でさえあったと信じる十分な理由がある。

この仮説の興味深いエビデンスはADHDの遺伝学に関する研究にある。ADHDに関する遺伝子のひとつはドーパミン受容体D4(DRD4)と呼ばれ、その対立遺伝子は、前頭前野に発現するドーパミン受容体のサブタイプの感受性に変化を与える。ADHDは複雑な特性を持ち(多くの遺伝子によって制御される)、DRD4遺伝子におけるADHD関連対立遺伝子(DRD4 7Rと呼ばれる)は、ADHDの因果のわずかな部分しか説明しない。それでも、DRD4遺伝子の多様性は私たちの脳をかたちづくる遺伝的諸力を覗き見ることを可能にする。

DRD4遺伝子の7R(ADHD関連)対立遺伝子は、約45000年前に発生し、その後に盛んに選択されていったと考えられている点で特異的である。すなわち、7R対立遺伝子はそれを有する人になんらかの利点をもたらした――「適合性」を高めたことになる。このことはDRD4遺伝子の「連鎖不平衡」のパターンに基づいて推測することができる。連鎖不平衡は遺伝学でよく確立された手法であり、実際に観察される組み換えの速度と、偶然的に発生する速度(クロスオーバー)を比較するものである。人口におけるDNA配列と偶然値との乖離は、自然選択が起きたことを証明する。

連鎖不均衡パターンによれば、DRD4 7R対立遺伝子が過去の環境において選択され、進化的に優位だったと考える十分な根拠がある。しかし事はもっと興味深い。7R対立遺伝子の頻度は、集団間において劇的に変化するのである。ある集団では1%で、別の集団では70%以上ということがある。Chuansheng Chen氏らの実施した研究では、集団間のこれらの違いは集団のもつ歴史の側面によって説明されるとする。移住の歴史が長い集団ほど、DRD4 7R対立遺伝子の頻度が大きくなる傾向があるのである。

なぜ7R対立遺伝子がより移動の多い集団で頻度が高いのかの理由は定かではないが、おそらくADHDに関する行動特性を持つ人々は、自らの故郷から遠くに移住したいという欲求を持つ可能性が高いのだろう。あるいは、この対立遺伝子を持つ人々は、移住した先の新しい環境に適応することに優れているのかもしれない。見知らぬ環境に入ることは圧倒されることであり、何に対してもっとも注意を向けなければならないか学習するには時間がかかる。おそらく私たちがADHDとして現在認識している人々は、異なる狩猟や採集方法を学び、新しい社会的・文化的規範と折り合いをつけることにより、新しい環境によりよく適応してきたのだろう。

さらには、Chenらは現在遊動的生活を送る人々は、定住する人々よりも7R(ADHD関連)対立遺伝子の頻度が高いと報告している。私たちはアリアールと呼ばれるケニアの牧畜民集団との研究によるエビデンスから、Chenの研究を発展させた。アリアールはラクダ、ウシ、ヒツジ、ヤギを飼う伝統的遊牧民である。彼らは伝統的に砂漠に住むが、家畜のための食料と水を探し続けなければならないため、ひとつの場所に長くはとどまらない。アリアールの多くはこの伝統的な生活を続けているが、近年遊動的ではなくなり、ひとつの場所に定住する下位グループがある。この定住集団はより農業的であり、多くの商品を市場で売って子どもたちを学校へ行かせている。

アリアールの約150人の成人のDRD4遺伝子型を分析した。約半数は遊動集団、半数は定住集団からである。具体的には、7R対立遺伝子の有無を健康度(低体重が少ないことで判断される)によって相関できるかを確認した。私たちは、7R ADHD関連対立遺伝子を持つ遊動民は、ADHD対立遺伝子をもたない遊動民よりも低体重が少ないことを発見した。しかし、定住民の間では、その逆であった:ADHD関連対立遺伝子を持つ定住民は、ADHD対立遺伝子を持たない人々よりもわずかに低体重であった。

これらの結果は、DRD4を移動パターンと関連付ける先の発見と一致している。DRD4 7R対立遺伝子とADHDのあいだのより広い関連性を考慮すると、これらの結果は、ADHD様の行動をする人々が、進化的な意味でより成功することを可能とする遊動的コンテクストに関する何かが存在することを示唆する。おそらくより拡散的な注意をもつ遊動的アリアールは、ダイナミックな環境をよりよく観察し、家畜の状態、水や食料のありか、侵入者の存在などによく気づいた。この異なる注意スパンは、学校教育、穀物栽培、市場での商品販売に集中しなければならない定住的アリアールにおいては、あまり役にたたないだろう。

さらには、DRD4遺伝子のADHD関連対立遺伝子が促進する行動的/心理的特徴が、他の場合では有害となるが、ある種の社会的、環境的コンテクストにおいては有用となることを示す多くのエビデンスがある。これらの発見の直接的臨床的な重要性は限られている。しかし、それらは私たちに、現社会におけるADHDの社会的コンテクストの役割について考えさせるべきである。私たちの社会には、ADHDの子どもや大人が自分の特性をよりよく活用できる領域があるのではないか?

子どものADHDが、第一に学校の要求に適応できないことに問題があると考えるのは正当なことだろう。私たちの社会では、学校教育は強制的であり、一般的に子どもたちにどのように学ぶかを指示し、本質的に単一の教育アプローチを採用している――子どもたちの状況の多様性に関わらず。

公式の研究は不足しているものの、心理学者のピーター・グレイがまとめた優れた事例証拠がある。自分の教育と生活を方向づける自由を与えられた子どもたちは、もはやADHD治療薬が必要なく、自らの行動/心理を長所とし、より生産的で健康な生活が送ることが可能になった。このことはADHD治療薬が重要な役割を持たないことを意味するのではない。しかし、その役割は病を治療する薬物治療ではなく、ある人が社会の欲求に対処する上でのギャップを埋める方法として見て、より包括的にはたらく必要が私たちにはあるだろう。

大人のADHDが子どもの約半分であるというのは興味深いことだ。大人たちは、通常子どもたちよりも自らの長所を活かす役割を選択し、薬物治療をより戦略的に行使する自由がある。このような自由によって、大人たちは自分の異なる注意パターンによって障害を受けることのない仕事を選択することができる。実際、大人たちは自分のADHDが明らかな利点となるようなニッチな分野を見つけることができるかもしれない。ADHDを持つ個人は「重要」なことよりも興味深いことに注意を払うと説明されてきた。しかし、なにが「重要」かはしばしば特定の社会的価値観の反映である。ある領域では、芸術や科学のように、なにが興味深いか重要であるもしADHDの個人が、興味深いことに注意を向けることで注意を維持することができたなら、しばしば途方もないエネルギーによって創造的領域における生産的キャリアを導く可能性がある。

ADHDの子どもや大人は、しばしば自らのADHDが厳密に障害であると信じさせられている。ADHDを自分の強みにする代わりに、薬物治療によって解決しなければならない欠陥であるというメッセージをしばしば与えられる。社会的文脈に注意を向け、進化の遺産を理解することが、ADHDの人々が、彼らにとって、社会にとって、より生産的な方法で自らの興味を追求することができる助けになるだろう。

(訳文ここまで)

終わりに

若干わかりにくいところがあったので、軽くまとめてみます。

ADHDには遺伝的特徴がある。ではなぜADHDは自然淘汰されなかったのか? 現代社会では不利となりがちなADHDは、ある環境においては有利となる可能性がある。研究によれば、農耕民族よりも遊動的狩猟採集民にADHDに特有の遺伝形質があるようである。ケニアのアリアールという民族には、伝統的遊動生活を送る伝統的集団と定住生活を送る新しい下位集団がある。遊動生活を送る集団では、ADHDの特徴を持つ者がそうでない者より低体重が少なく、健康度が高かった。しかし定住生活を送る集団では逆の結果が見られた。このことから、ADHDの者は特定の環境では進化的に優位でありうる。ADHDの者は、画一的で統制的な学校教育や、専門的で単調な労働には向かないかもしれないが、自由に学ばせたり、ニッチな職につくことで、まったく健康的で生産的に生活を送ることが可能だと考えられる。

以前、ADHDを研究している人? が5chに書き込んでいて、「ADHDは狩猟採集民の脳をもって生まれたシーラカンスなんだ」と書いていましたが、なかなかうまい表現だと思いました。実際のところは、「ADHDの特質は遊動的狩猟採集社会に適応的」であるというだけで、狩猟採集民=ADHDというわけではないですが……。

アメリカでADHDが多いのはおもしろい。「開拓」と「移民」の国ですからね。ちなみに比較的定住民族であるはずの日本もADHDは非常に多く、ADHD治療薬の「世界三番目の市場」とされているようです。これは想像ですが、「マーケティング」の賜物かと思います。

ADHDは障害か――遊動民の排除と同化

小論を読むかぎり、ADHDはなんら病気ではないし、障害と呼ぶのも抵抗があります。彼らはたまたま農耕社会の延長上にある現代文明社会に生まれたから適応できないだけの完全な健康者でしょう。それでは彼らを「治療」する医療とは何なのか?

国家や文明社会は、その誕生以来、アウトサイダーや反逆者たちを追放するか、あるいは同化吸収してきました。私の見るところ、文明の発展とともに「迫害」から「隔離」へと変わり、その次は「同化」されるようになっているようです。国家の少数民族に対する態度がそうですし、「定住民の間に生まれた遊動民」(ADHD)についても同様でしょう。

ADHDが古代の農耕社会に生まれたのであれば、ある段階で「お前は出ていけ!」となり、「はい出ていきます」とどこかの旅商人や托鉢僧にでもついていったでしょう。

近代になると、自治的なギルドや修道院はなくなり、農村を追い出されたら都市へ行くしかなくなります。そこで彼らは救貧院やワークハウスに隔離され、「労働の喜び」を叩き込まれるわけです。

現代社会では、いちいち閉じ込めてはコストがかかるし、「人権」の問題もあるので、脳をいじくって同化吸収する方策がとられます。「コンサータ」に「インチュニブ」で、適応的な賃金労働者を生産する。

そんなわけで、ADHDと医療の関係は、狩猟採集民に対する農耕民、移動民に対する定住民の長い歴史とオーバーラップしているようだ、と私は感じました。

参考:農耕――人類最大の誤ち

それにしても――パースペクティヴィズムって、ほんとうですね? 私たちは遺伝形質によって、違った世界を見ている。ある人間にとって、この社会はディズニーランドで、ある人間にとってはアウシュヴィッツである。これはおもしろい事実ですが、ある人間とある人間が根本的にはわかりあえないという絶望でもあります。

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